アシュ・ラ・テンペル - ジョイン・イン (Ohr, 1973) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

アシュ・ラ・テンペル - ジョイン・イン (Ohr, 1973)
アシュ・ラ・テンペル Ash Ra Tempel - ジョイン・イン Join Inn (Ohr, 1973) :  

Released by Metronome Records GmbH, Ohr OMM 556.032, April 10, 1973
All Composed and Performed by Ash Ra Tempel
(Seite 1)
A1. Freak'n'roll - 19:15
(Seite 2)
B1. Jenseits - 24:18
[ Ash Ra Tempel ]
Hartmut Enke - bass
Manuel Gottsching - guitar
Rosi - vocals
Klaus Schulze - drums, organ, 'synthi A' 

(Original Ohr "Join Inn" LP Liner Cover & Seite1/2 Label)


 発売はワルター・ウェグミュラーの『Tarot』'73の方が先になるようですが、クレジットの通り本作はシュルツェ参加のコズミック・ジョーカーズ・セッション・アルバム第1弾(コズミック・ジョーカーズ作品としてはシュルツェ不参加のティモシー・リアリー&アシュ・ラ・テンペル名義の『Seven Up』'72が初作ですが)の2枚組大作『Tarot』のレコーディング合間に、メンバーとのセッションついでにアシュ・ラ・テンペル4作目のアルバムとして制作されたものです。アシュ・ラ・テンペルは第2作『Schwingungen』'72ではクラウス・シュルツェが抜けてマニュエル・ゲッチングとヘルトムート・エンケがゲスト・ミュージシャンを迎えてアルバムを制作する体制になり、第3作『Seven Up』'72はLSD研究・普及活動家のティモシー・リアリー博士や取り巻きのヒッピーたちを迎えたパーティー形式でスタジオ・ライヴ録音された音源を編集した、コズミック・セッション最初のアルバムとなったものでした。『Schwingungen』『Seven Up』の2作はA面がヴォーカル入りヘヴィ・サイケ、B面がメディテーション・ミュージックの構成で、つまりデビュー作A面にヴォーカルが入った恰好です。クラウス・シュルツェは1972年に『Irrlicht』でソロ・デビューしていましたが、コズミック・ジョーカーズ・セッションの『Tarot』で顔を合わせたついでに再会セッションのアシュ・ラ・テンペルのアルバムを作ろうとOhr主宰者のロルフ=ウルリッヒ・カイザーから提案があり、内容・構成はほぼデビュー作と同じく、A面はギター、ベース、ドラムスの即興ヘヴィ・ロック、B面はメディテーション・ミュージックで、こちらはマニュエル・ゲッチングの恋人ロジ・ミュラー(正式メンバーあつかい)のウィスパー・ヴォイス入りで、実質デビュー・アルバムのリメイク作と言える内容です。ただしデビュー・アルバムからの進展も明らかで、ほとんど楽曲とは言えないほど垂れ流し状態だったファーストに較べて本作のゲッチング、エンケの演奏はよりソリッドで、勢い任せばかりではない構成力が認められるプレイです。またファーストでは霞のかかった音像から聴こえてくるようなエフェクトがサウンド全体にかけられていたのに対し、本作はほとんどエフェクトがかかっていない、ギミックの少ない硬質なサウンドになっています。ただしファースト・アルバムにはその強引さに陶酔的魅力があったので、ミュージシャンシップの向上した本作では陶酔感においては後退したとも言えて、初期4作(シュルツェ参加はファーストと本作の2作だけですが)の、エンケ在籍時のアシュ・ラ・テンペルはさらに発掘ライヴ3作も含めて、どれも落とせない連作をなしているとした方がいいでしょう。

 本作発表後、まだソロではライヴ・アクトとしての地位を確立していなかったシュルツェはアシュ・ラ・テンペルのゲスト・メンバーとしてライヴ活動を行い、アシュ・ラ・テンペルのステージ中でソロ演奏のパートを披露して大きな評判を呼んだのがシュルツェがソロ活動に専念し、ソロでのライヴにも乗り出すきっかけになったと証言していますが、一方その1973年のツアーを最後に、もっとも徹底したヒッピーだったエンケはアシュ・ラ・テンペルを脱退し、LSD常習の悪化から再びミュージシャン活動に戻ることなく伝説的存在となりました。2000年にゲッチングとシュルツェはデュオでアシュ・ラ・テンペル一時的再結成アルバム『Friendship』を制作し、やはりデュオでおこなった記念コンサートからのライヴ盤『Gin Rose at the Royal Festival Hall』もリリースしますが、LSDの常用で廃疾状態になったエンケの音楽活動復帰は絶望的に無理だったそうで、エンケはそのまま復帰することなく2005年に53歳で逝去します。『Join Inn』のジャケットとクレジットはエンケ、ゲッチング、ロジが縦に並び、手前に別枠でシュルツェの写真がはめこまれています。本作がエンケ最後のアルバムなのを予告してトップにフィーチャーし、シュルツェがすでに独立してソロ・アーティストとなったと強調するかのようなジャケットです。本作もジャーマン・サイケデリア、クラウトロックの古典的作品であり、印象的なジャケットとともに聴き継がれているアルバムです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)