尾形龜之助詩集『雨になる朝』(昭和4年/1929年刊)後編 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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尾形龜之助詩集『雨になる朝』
昭和4年(1929年)5月20日・誠志堂書店刊
著者自装・ノート判54頁・定価一円。

 今回は尾形亀之助(1900-1942)の第二詩集『雨になる朝』(全48篇・昭和4年/1929年)から、詩集後半の24篇をご紹介します。今回のセクションの詩集中盤は特に短い詩ばかりで、長めの詩の多い宮澤賢治や逸見猶吉ならば1篇で中盤12篇を合わせたよりも長い行数になるでしょう。これは極端な短詩で印象派的効果を狙った北川冬彦や安西冬衛らのモダニズム詩人らとも異なる発想によるものなのは明瞭で、実験的意図に由来するものではありません。尾形が三好達治と同年生まれであり、三好が翌昭和5年(1930年)には画期的な第一詩集『測量船』を刊行すると思うと、『測量船』とほぼ同時にこの『雨になる朝』が刊行されたのは昭和初頭の現代詩の両極端を示すようです。

 尾形亀之助の戦後の包括的な再評価の始まりは、創元社刊の「全詩集大成・現代日本詩人全集」全15巻の第12巻『草野心平・高橋新吉・八木重吉・中原中也・尾形亀之助・逸見猶吉集』(昭和29年/1954年4月刊)に『色ガラスの街』『雨になる朝』『障子のある家』の全3詩集が採録されたのが最初になります。この第12巻は「歴程」詩人集なのが人選からも明らかで、通常「歴程」の詩人とは限定されない中原(中原は「白痴群」「文學界」「歴程」「四季」「青い花」など多くの同人をかけ持ちしていたため、没後に中原の業績の奪い合いが起こりました)がこの巻に入り、生前刊行の2詩集しか採録されていないのに較べ、夭折後に没後同人の形で遺稿を預かった八木重吉は歿後の未発表詩集までくまなく集められています。宮澤賢治の収録巻、立原道造の収録巻では没後全集の未刊詩集まで採録されたにもかかわらず、全集も出ていた中原中也の未刊詩集が無視されたのは「歴程」の中では中原もまた一介のマイナー・ポエットと位置づけられていたということでしょう。『尾形亀之助全集』の刊行は昭和45年(1970年・思潮社)ですので、「全詩集大成・現代日本詩人全集」の時点では未刊詩集は単行詩集としてはまとめられていませんでした(もっとも未刊詩集が単行刊行されていた八木重吉はともかく、宮澤賢治、立原道造も未刊詩集は全集のみの集成でしたが、「歴程」では八木や宮澤が、「四季」では立原が中原中也より優遇されていたのが「全詩集大成・現代日本詩人全集」の編集には反映されています)。
 
 この創元社の「全詩集大成・現代日本詩人全集」は監修に名を連ねる草野心平と金子光晴、三好達治、村野四郎(西脇順三郎は名義だけの監修でしょう)の意見を強く反映して伊藤信吉が調整したものと思われ、全巻解説も伊藤が執筆しています。伊藤は三好達治とともに萩原朔太郎の秘書を勤め、「歴程」同人の中でも硬派な社会主義詩人でしたが、逸見猶吉をいち早くデビューさせるなど慧眼の批評家でもありました。伊藤信吉の詩的出発はアナーキズム詩人だったのでダダイズム系統・モダニズム系統の新たな詩的表現への理解もありました。その伊藤による尾形亀之助評は、簡略に言えばダダイズムの陥ったデカダンスという否定的評価です。伊藤は中原中也についても中原の詩の童謡性・小唄性に現代詩としての資格を疑っています。

 伊藤の見解は傾注するに値するものですが、詩人ではなく意外なジャンルから尾形亀之助の再評価を試みた画期的な批評が昭和44年(1969年)になって発表されました。劇作家・別役実(1937-2020)の第一戯曲集『マッチ売りの少女/象』(同年7月刊)で、別役氏は「あとがき」として異例の「研究 それからその次へ」で尾形亀之助論をあとがきにし、尾形亀之助について論じることで自分の劇作家とのしての姿勢と方法を語っています。これは宇野浩二が第一短編集『蔵の中』で「近松秋江論」を後書きにした以来の珍しい例で、別役氏はさらに詳しく伊藤信吉の詩論集に当たって伊藤の尾形論に食いついています。この時点で別役氏が読んでいたテキストは「全詩集大成・現代日本詩人全集」の尾形亀之助集しか考えられないので、同全集の解説から伊藤信吉による尾形評価に疑問を抱いて独自の尾形龜之助論にたどり着いたと思われます。翌昭和45年(1970年)に初の『尾形亀之助全集』が刊行されますが(1998年復刊)、それに先立ち、ノーベル文学賞受賞者になってもおかしくなかった現代日本最高の劇作家(つまり日本最高の文学者)の最初の著作に、尾形亀之助論がマニフェストとして掲げられていることは注目されるべきでしょう。

 この後編で尾形亀之助詩集『雨になる朝』は全編をご紹介することになります。尾形亀之助は現代詩でもとりわけ読者に解読不可能性を感じさせる詩人で、解釈以前に茫洋としてその詩が存在しているような、とらえどころのない非・実在感を与えます。このような詩人の作品は実物を読むしかないありません。昭和45年(1970年)思潮社より刊行の一巻本全集は平成10年(1998年)にも復刻されていますが少部数で高価な上、古書価も安くありません。手頃なのは思潮社の「現代詩文庫・近代詩人編」第5巻の『尾形亀之助詩集』で、生前刊行の詩集全3冊全編、詩集未収録詩篇が詩集1冊分、主要な小説・エッセイが収録され、ほとんど全集に準じるものになっています。今回ご紹介した別役実の尾形亀之助論に加え、尾形亀之助年譜と鈴木志郎康による書き下ろし解説も併載されており、ハードカヴァーの大冊の全集よりもハンディな「現代詩文庫」版の方がお勧めできます。「現代詩文庫・近代詩人編」は第1巻が北村透谷、2が釋超空(折口信夫)、3が中原中也で4が石川啄木ですから、第5巻が尾形亀之助というのも大したものだという気がします。また尾形亀之助の生涯については、『尾形亀之助全集』の編者・秋元潔氏による『評伝尾形龜之助』(冬樹社・昭和54年/1979年刊)が20年以上におよぶ文献収集、当時まだ存命だった関係者への取材によって『尾形龜之助全集』と匹敵する浩瀚で詳細な決定版評伝として必読書になっており、「現代詩文庫」版『尾形亀之助詩集』(または『尾形龜之助全集』)と秋元氏の『評伝尾形龜之助』にこの詩人の精髄は尽きているとも言えます。

 文学史的には、尾形亀之助の詩は西行にまで遡れる隠者の詩とも言え、散文体の文体から系譜をたどれば『徒然草』、『方丈記』、芭蕉の紀行文など世捨人の人生観をエゴイズムの放下の心境の中で綴ったものでもあります。通常クリエイティヴな作業である創作では作者の姿勢は生の拡充に向かいますし、叛逆的詩人としての北村透谷や石川啄木さえもそうでしたし、尾形より年少でダダイズムから出発した中原中也ですらそうでした。ですが尾形の詩作は、まるで尻尾で足跡を消しながら去っていく小心な犬のように心情の痕跡を打ち消していくものでした。生活も逝去の状況も尾形とそっくりに世を去った日本のダダイストに辻潤がいます。坂口安吾は辻潤を日本のダダイズムの脆弱さを露見させた存在と批判しましたが、辻潤や尾形亀之助の思想的立脚点やその文業を脆弱と言っても、それはむしろ常に強固であろうとする安吾の理解の限界を示すものであり、本質的な批判にはならないのです。

尾形龜之助・明治33年(1900年)12月12月生~
昭和17年(1942年)12月2日没、享年41歳
大正12年(1923年)、新興美術集団「MAVO」結成に
参加の頃、22歳

 暮春
 
私は路に添つた畑のすみにわづかばかり仕切られて葱の花の咲いてゐるのを見てゐた
花に蝶がとまると少女のやうになるのであつた
夕暮
まもなく落ちてしまふ月を見た
丘のすそを燈をつけたばかりの電車が通つてゐた
 
 
 秋日
 
一日の終りに暗い夜が來る
 
私達は部屋に燈をともして
夜食をたべる
 
煙草に火をつける
 
私達は晝ほど快活ではなくなつてゐる
煙草に火をつけて暗い庭先を見てゐるのである
 
 
 初冬の日
 
窓ガラスを透して空が光る
 
何處からか風の吹く日である
 
窓を開けると子供の泣聲が聞えてくる
 
人通りのない露路に電柱が立つてゐる
 
 
 戀愛後記
 
窓を開ければ何があるのであらう
 
くもりガラスに夕やけが映つてゐる
 
 
 いつまでも寢ずにゐると朝になる
 
眠らずにゐても朝になつたのがうれしい
 
消えてしまつた電燈は傘ばかりになつて天井からさがつてゐる
 
 
 初夏無題
 
夕方の庭へ鞠がころげた
 
見てゐると
ひつそり 女に化けた躑躅がしやがんでゐる
 
 
 曇る
 
空一面に曇つてゐる
 
蝉が啼きゝれてゐる
 
いつもより近くに隣りの話聲がする
 
 
 夜の部屋
 
靜かに炭をついでゐて淋しくなつた
 
夜が更けてゐた
 
 
 眼が見えない
 
ま夜中よ
 
このま暗な部屋に眼をさましてゐて
蒲団の中で動かしてゐる足が私の何なのかがわからない
 
 
 晝の街は大きすぎる
 
私は歩いてゐる自分の足の小さすぎるのに氣がついた
電車位の大きさがなければ醜いのであつた
 
 
 十一月の電話
 
十一月が鳥のやうな眼をしてゐる
 
 
 十二月
 
炭をくべてゐるせと火鉢が蜜柑の匂ひがする
 
曇つて日が暮れて
庭に風が出てゐる


 十二月
 
紅を染めた夕やけ
 
風と
 
ガラスのよごれ
 
 
 夜の向ふに廣い海のある夢を見た
 
私は毎日一人で部屋の中にゐた
そして 一日づつ日を暮らした
 
秋は漸くふかく
私は電燈をつけたまゝでなければ眠れない日が多くなつた
 
 
 夜
 
私は夜を暗い異様に大きな都會のやうなものではあるまいかと思つてゐる
 
そして
何處を探してももう夜には晝がない
 
 
 窓の人
 
窓のところに肘をかけて
一面に廣がつてゐる空を眼を細くして街の上あたりにせばめてゐる
 
 
 お可笑しな春
 
たんぽぽが咲いた
あまり遠くないところから樂隊が聞えてくる
 
 
 愚かなる秋
 
秋空が晴れて
縁側に寢そべつてゐる
 
眼を細くしてゐる
 
空は見えなくなるまで高くなつてしまへ
 
 
 秋色
 
部屋に入つた蜻蛉が庇を出て行つた
明るい陽ざしであつた
 
 
 幻影
 
秋は露路を通る自轉車が風になる
 
うす陽がさして
ガラス窓の外に晝が眠つてゐる
落葉が散らばつている
 
 
 雨の祭日
 
雨が降ると
街はセメントの匂ひが漂ふ
 
×
 
雨は
電車の足をすくはふとする
 
×
 
自動車が
雨を咲かせる
 
街は軒なみに旗を立てゝゐる
 
 
 夜がさみしい
 
眠れないので夜が更ける
 
私は電燈をつけたまゝ仰向けになつて寢床に入つてゐる
電車の音が遠くから聞えてくると急に夜が糸のやうに細長くなつて
その端に電車がゆはへついてゐる
 
 
 夢
 
眠つている私の胸に妻の手が置いてあつた
紙のやうに薄い手であつた
 
何故私は一人の少女を愛してゐるのであつたらう
 
 
 雨が降る
 
夜の雨は音をたてゝ降つてゐる
 
外は暗いだらう
 
窓を開けても雨は止むまい
 
部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる


後記
 
 こゝに集めた詩篇は四五篇をのぞく他は一昨年の作品なので、今になつてみるとなんとなく古くさい。去年は二三篇しか詩作をしなかつた。大正十四年の末に詩集「色ガラスの街」を出してから四年経つてゐる。
 この集は去年の春に出版される筈であつた。これらの詩篇は今はもう私の掌から失くなつてしまつてゐる。どつちかといふと、厭はしい思ひでこの詩集を出版する。私には他によい思案がない。で、この集をこと新らしく批評などをせずに、これはこのまゝそつと眠らして置いてほしい。

(以上詩集『雨になる朝』昭和4年(1929年)5月20日・誠志堂書店刊、後半24篇+後記)

(前後編完)

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)