ひとりのなかでひとりの老人が、ほか二つ | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Piet Mondorian,"Mill in sunlight (Molen bij zonlicht)",1908

ひとりのなかでひとりの老人が
黙祷のために、その一

まわる 回る 廻る 巡る
くすぶる 宿る 目眩う 迷う
矯める 灼ける 避ける 惑う
冴える 燃える 映える 舞い上がる
止まる 冷める 消える 覚める
還る 変わる 鎮まる めくる
日々の めらんこりえ

ひとりのなかでひとりの老人が
成長する 美しいひとは
ますます美しくなり
醜悪なひとは ますます
見苦しくなる それは平等
ではない 魯鈍なひとは
ずけずけと 思いつくまま
他人の庭を踏みつけにして
安易な答えをもぎ取ろうとする
七輪はぶすぶすとけぶる わかりあえないひとと
ひとは 最後までわかりあえない
ようだ 悲鳴に変わるすぐ手前の
悲しみの認識 さえも
分かちあえない
通じない

一問一答式の思考しか
そこには存在しない から
歯車のきしみのように
彼らの老化は進行していく そして
他人をも 彼らの老化の
道連れにしようとする

空は 大地とともに広がる
ぎざぎざに 切り裂かれた記憶と
ぼくの 退屈な睡りの廃墟に
でたらめな斜塔の影が
伸び縮みして 日時計を刻む

目覚めると 現実もひと続きだ
みだらな夢が 肋骨の隙間で
息苦しい湿潤となって
日蝕のように
不意に
陽を閉ざしに
見舞うとき


悪夢と現実がひと続きのとき
黙祷のために、その二

乱れ 凍え 痺れ 渇え
ちぎれ 寂れ 途絶え 耐え
紛え こらえ 答え 回え
応え 堪え 冴え 惑え
矯わえ 燃え 映え 消え
酢え 鎮え 饐え 据えられた
数珠つなぎの でかるこまにい

視界はゆらいで そこひよりも早く
まなざしを惑わせ 現実を
抽象する この夜明けの
何という安らぎ まだ
眠るきみの 髪に指を絡ませて

ひと晩中 ぼくを苛みつづけた
悔恨の奔流も たぶん今なら
清められていく 少し寝汗をかき
しっとりとした きみの髪の
房ぶさ 地肌に 触れながら
ざわめいた感情を
ひと束にする

夢のなかで 青空に見捨てられたぼくは
懸命に火を焚いた 昼がぼくに与えてくれたものを
次々と火にくべた
カセットテープ 楽器 練習スタジオ
帳面 待ち合わせの喫茶店 天鵞絨の
椅子 コースターの厚紙 ストローの包み紙 
さえずる鳥たちとその鳥かご
ひとつずつ 献花のように
投げこむ
もしそれらが砂のように滑稽ならば

漏斗となって砂時計は漏れる
ぼくは 疲労に追いつかれる前に
こなごなの元素となって
いっせいに それらを
流れ落とすために
圧縮する


ほんのつかの間、ただ一瞬の
黙祷のために、その三

山や川や野 草木や石 岩や岡や滝

大小の町や村や田や原 橋や角

東と西と北と南 奥や崎や沢

彼らの名前は土地の標ばかりだ

地勢を反映する痣のような

字が伝承されるばかりだ

空白の地図を埋めるように

孤独を埋めあわせるように

小川と石橋が惹かれあう

木の下で水と沢が逢い引きする

川と田が高い岡と婚姻する

それらは愛なしでも成立する

むしろ愛とは違うもの

愛なしでも結びつけあうものが

精霊のように野合して

木霊のように響きあう

時計が時を刻まない部屋で

病人たちが釈放の夢を見ている

窓の外では 女たちが日傘の影を交差させて運ぶ

ビル風は最上階まで中庭の大気を循環させる

望んだものは手に入らない

未亡人ばかりが集う教会の

冷たい床に靴音が止まる

誰にも必要とされないことは

愛を失った者だけの安息だ

時を選ばず ほんのつかの間

幼な児のなかに 永遠と

老人の夢が うたた寝する

ただ一瞬の その交錯が

コル・ニドレイの詠唱のように

シナゴーグの祠に反響する

アラムの密咒に福音はいらない

律法だけが聖別する

姓を名を そして

冷えきった 静けさの闇と

灼きつく 苦しみの陽を

目覚めない 石の

静寂のように

否応なしに閉ざすなら

ぼくは 愛と優しさと 孤独と

自由と希望の欠如ばかりか

人からその名を剥奪する

暴力に たやすく

順応することすら

できる

(古い書きつけをまとめました。)