サン・ラ Sun Ra - スーパーソニック・ジャズ Super-Sonic Jazz (El Saturn, 1957) :
Released by El Saturn Records H7OP0216, March 1957
All songs written and arranged by Sun Ra except "Soft Talk", written by Julian Priester
(Side A)
A1. India - 4:52
A2. Sunology - 5:43
A3. Advice to Medics - 2:05
A4. Super Blonde - 2:39
A5. Soft Talk - 2:45
A6. Sunology, part II - 7:08
(Side B)
B1. Kingdom of Not - 5:35
B2. Portrait of the Living Sky - 1:52
B3. Blues at Midnight - 6:34
B4. El is a Sound of Joy - 4:00
B5. Springtime in Chicago - 3:51
B6. Medicine for a Nightmare - 2:25
[ Le Sun Ra and his Arkestra ]
Sun Ra - piano, electric piano, space g ong
Art Hoyle - trumpet, percussion
Julian Priester - trombone
James Scales - alto saxophone, percussion
John Gilmore - tenor saxophone, percussion
Pat Patrick - baritone saxophone, percussion
Wilburn Green - electric bass
Robert Barry - drums
Jim Herndon - tympani, percussion
(add and replaced September or October 1956)
Pat Patrick - alto saxophone, percussion
Charles Davis - baritone saxophone, percussion
Victor Sproles - bass
サン・ラ(1914-1993)は60歳以降には評価が高まり、名声の絶頂で生涯現役の長い楽歴を終えた幸運な長寿ミュージシャンでした。しかしサン・ラ&ヒズ・アーケストラ(箱舟ArkとオーケストラOrchestraの合成語)が完全に国際的認知を確立したのは1976年夏の国際ジャズ・フェスティヴァル公演を収録した『Live at Montreux』(同年発売)の頃で、デビュー・アルバム『Jazz by Sun Ra(Sun Song)』1956からちょうど20年目であり、『Jazz by Sun Ra』の時点で42歳だったサン・ラは62歳になっていたのです。数え方にもよりますが、シリーズ作やコラボレーション作を整理すると『Live at Montreux』は第67作か68作目のアルバムに当たります。さらに1993年の没年までにサン・ラのアルバムは通算140作を軽く越えることになります。世代的にはサン・ラはビ・バップのバンドリーダーでスケールの大きな活動をした巨匠たち、ケニー・クラーク(ドラムス・1914-1985)やセロニアス・モンク(ピアノ・1917-1982)、ディジー・ガレスピー(トランペット・1917-1993)、チャールズ・ミンガス(ベース・1922-1979)と同年輩か少し年上なだけでした。ですがサン・ラは1961年のニューヨーク進出までずっとアメリカ第3の大都市シカゴでのみ活動していた上に、全国流通のアルバムがなかったためにニューヨークを活動拠点とするジャズマンか、またはアメリカ第2の大都市ロサンゼルスで活動するジャズマンしか注目されなかったジャズ界とは交渉がありませんでした。
アルバム・デビュー時点でサン・ラはシカゴのローカル・ジャズ界で揉まれてきたプロ歴25年を越える40男でしたが、'30年代ビッグバンドの音楽監督出身のサン・ラに対してアーケストラのメンバーたちは20代のバップ世代であり、アーケストラの音楽はビッグバンドでもビ・バップでもない奇妙なジャズに独自進化したものになっていたのです。1956年録音にしてエレクトリック・ベースを使用しているのも先駆的な試みでした。また後年マックス・ローチ・クインテットに参加するジュリアン・プリースターが在籍しています。サン・ラ自身によるアウトサイダーズ・アートのような印象的なジャケット・アートに飾られた自主制作盤の本作は、SP盤(シングル曲)集でもないのにLPのAB面に各6曲・全12曲も収録し、珍妙なムード音楽的演奏が半数を占めていますが、'20年代末にニューヨークの高級クラブで大評判を呼んだデューク・エリントン楽団が当時エキゾチックなジャングル・ミュージックと見なされていたのと同様、エリントンが師事したフレッチャー・ヘンダーソン晩年の弟子だったサン・ラによる初期エリントン楽団の再生と言って良いものであり、最晩年まで生きるジャズ史そのものだったサン・ラの出発点として前作のデビュー作『Jazz By Sun Ra』'57(録音'56)とともに記念碑的位置を占めるものです。筆者は定期的にデビュー作『Jazz By Sun Ra』から実質的な遺作となった『Pleiades』'93(録音'90)までほぼ140作あまりあるサン・ラのアルバムを入手可能な限り聴き(主にサン・ラ没後発掘のアルバムを加えると裕にその1.5倍になります)、入手困難なものは海賊盤まで手を出してじっくり聴いていますが、数枚聴いてもよくわからないサン・ラのアルバムは全貌がわかるにつれ惹きこまれていくようなものです。
'60年代以降次第に前衛化してくるアルバム群がサン・ラの本領でしょうが、アーケストラ初期に当たる'50年代シカゴ時代のアルバムもあちこちにどこか変な感覚があって、似ているのはニューヨークのセロニアス・モンクや、ロサンゼルス出身で早いうちにニューヨークに進出したチャールズ・ミンガスのジャズなのですが、モンクやミンガスの工夫は天才的とはいえ理屈で割り切れないものではありません。ところがサン・ラの場合はどこか天然的にズレていて、天然にズレていた天才はバド・パウエル(ピアノ)やエリック・ドルフィー(アルトサックス)もいますが、サン・ラの場合は大世帯のアーケストラでメンバーたちの演奏は抜群に達者なのにサン・ラの采配ひとつでどこかネジの外れたジャズになっています。今回もニューヨーク進出までのサン・ラのアルバムをリストにしておきます。すべてスタジオ録音アルバムで、どれも以降'60年代~'90年代まで続くサン・ラ・アーケストラの原点となった重要アルバム群です。カッコ内はレーベルと録音/発売年、*は録音後すぐに一般発売されたものになります。
[ Sun Ra and his Arkestra 1956-1961 Album Discography ]
*1. Jazz By Sun Ra, Volume 1 (Sun Song) (Transition, rec.1956/rel.1957)
*2. Super-Sonic Jazz (El Saturn, rec.1956/rel.1957)
3. Sound of Joy (Delmark, rec.1956/rel.1968) originally recorded by Transition Records as "Jazz By Sun Ra, Volume 2"
4. Visits Planet Earth (El Saturn, rec.1956-58/rel.1966)
5. The Nubians of Plutonia (El Saturn, rec.1958-59/rel.1966)
*6. Jazz in Silhouette (El Saturn, rec.& rel.1959)
7. Sound Sun Pleasure!! (El Saturn, rec.1959/rel.1970)
8. Interstellar Low Ways (El Saturn, rec.1959-60/rel.1966)
9. Fate In A Pleasant Mood (El Saturn, rec.1960/rel.1965)
10. Holiday For Soul Dance (El Saturn, rec.1960/rel.1970)
11. Angels and Demons at Play (El Saturn, rec.1956-60/rel.1965)
12. We Travel The Space Ways (El Saturn, rec.1956-61/rel.1967)
*13. The Futuristic Sounds of Sun Ra (Savoy, rec.1961/rel.1962)
ここまで13枚制作しながらすぐ発売されたのが1、 2、 6、13の4枚しかありません。他のアルバムはすべて1965年以降の発売になっています。もっとも1957年~1959年にかけての3枚ですらシカゴ以外に出なかったバンドとしてはそこそこで、発売未定のままでこれほどアルバムを自主制作していたのは異例です。1~12までの12枚の制作を経て、ニューヨークの弱小インディーズとはいえマニア向けの老舗ジャズ・レーベルとしては全国的な知名度だけはある(貧弱な制作で悪名も高い)サヴォイから元トランジション・レーベルの主宰者でプロデューサーのトム・ウィルソンの口ききでリリースしたのが、ニューヨーク進出直前作にして通算第13作の『The Futuristic Sounds of Sun Ra』(Savoy)でした。サヴォイからのアルバムはこれ1作で次作以降はまたバンド自身の自主制作レーベル、エル・サターン・レコーズに戻るのですが、セシル・テイラーのプロデューサーでもあったトム・ウィルソンやサヴォイ側には前年から話題を呼んでいたオーネット・コールマンのフリー・ジャズへ便乗する意図があったと思われます。サン・ラのニューヨーク進出も、'50年代末にはニューヨークやロサンゼルスに修行しに来たシカゴ出身の若手ジャズマンや、シカゴへ巡業しに来た全国区の人気ジャズマンの間で自然に評判が高まっていたのが後押しした形でした。
13枚の制作枚数のうち発売作品が4枚、トランジション・レーベルに録音されたのは『Jazz by Sun Ra』と『Sound of Joy』の2枚あるも後者はレーベル休業によってお蔵入りとなったわけですが、当時シカゴはデトロイトと並んでローカルな黒人音楽レーベルが多数あり、ニューヨークとの距離は遠いもののボストンやロサンゼルスとは産業道路で結ばれ(いわゆるルート66です)、シカゴの黒人人口はほとんどミシシッピ川沿いのニューオリンズからの流入であり、ジャズとブルースの流入の歴史はニューヨークやロサンゼルスよりも早く、またカナダにもっとも近い合衆国の都市でした。ニューヨークのジャズマンの巡業でもボストン→デトロイト→シカゴ→トロント、戻りはシカゴ→シアトル→サンフランシスコ→ロサンゼルス、とビジネス上重要な集客地であり、シカゴを根城に中編成コンボとはいえ最低人員10人もの準ビッグバンド、当然補欠メンバーもいれば専任スタッフも必要になりますし、当時の慣習ならビッグバンドのステージは男女ヴォーカリストもコーラス隊やダンサーも(コーラスとダンサーは兼任ですが)必須になります。それほどの規模で常にレギュラー・メンバーを確保していたサン・ラはシカゴ・ローカルとはいえロサンゼルスやニューヨークの一流バンドにも引けをとらない中小企業規模の収益を上げていた人気バンドだったはずです。しかし北米大陸は広大であり、アメリカの州はヨーロッパなら1国に相当します。ニューヨークやロサンゼルスはアメリカ全土への大衆文化の産出地だったのですが(音楽、演劇、映画)、シカゴの大衆文化は自給自足でした。特に黒人のための(白人も楽しめればなお良い)黒人による娯楽文化はそうでした。'50年代のうちに出たサン・ラの3枚のアルバムもシカゴのローカル・セールスにとどまります(ただし『Jazz in Silhouette』はローカル・チャートのヒット・アルバムになりました)。新興インディー社のトランジション以外にサン・ラとレコード契約する会社は現れませんでした。発売未定なのにアルバムをがんがん録音していたのは、原盤を制作しておき買い手となるレコード会社を探して、駄目ならサターンから自主発売するつもりだったのです(実際'80年代後半まで多くのアルバムがそうなりました)。そのせいか、初期のアルバム12枚は重複曲が目立ちます。別テイクならまだしも同一テイクが複数のアルバムに収録されている場合もあります。とはいえ完全に曲目・テイクが重複するアルバムもないので、いよいよどれをお薦めするのが順当か困ってしまいます。
曲目の重複はジャズマンには宿命みたいなもので、ジャズのアルバムは消耗品のように発売されるのでレーベルを移籍すれば代表曲を再録音し、多くは小部数の初回プレスきりで廃盤になるので、移籍しなくても節目節目で人気曲を再録音させられます。セロニアス・モンクやチャールズ・ミンガスでもそうでした。サン・ラの音楽はディジー・ガレスピー・ビッグバンドとセロニアス・モンクが共演したような趣きもあり、もっとも近いのはサン・ラと同時期に、やはり中規模コンボでビッグバンドとスモール・コンボの折衷を狙っていたチャールズ・ミンガスですが、ミンガスは商業的限界からレギュラー・バンドを維持できませんでした。ミンガスのアルバムはインテリ支持層による高い評価と安定したセールスを上げていましたが、人種隔離国家アメリカへの反体制音楽と見なされニューヨークやロサンゼルスのジャズ・クラブ出演の売り込みも叶わず、ライヴ活動の出演依頼もめったになかったのです。ニューヨークの人種隔離意識は強く、逆にロサンゼルスは人種混交意識が浸透していましたが、ミンガスはどちらでも浮いた存在でした。ただしミンガスはアルバム制作に優れ、『Jazz Composers Workshop』(Savoy, '54年4月発売)、『The Jazz Experiments of Charlie Mingus』(Bethlehem, '55年発売)、『Mingus at the Bohemia』(Debut, '56年発売)をサン・ラはともかく若いメンバーたちが注目していなかったわけはなく、ミンガスの『Pithecanthropus Erectus』(Atlantic, '56年1月録音・7月発売)はモンクの『Brilliant Corners』(Riverside, '56年10月録音・'57年初頭発売)、マイルス・デイヴィスの『'Round About Midnight』(Columbia, '56年6月録音・'57年初頭発売)とともにミンガスを最前線のジャズマンに押し上げたアルバムでした。とはいえミンガスのアルバムは制作ごとにミンガスの音楽に協力的なジャズマンが臨時召集されて録音されたものでした。
一方サン・ラ・アーケストラは完全に自主運営を軌道に乗せていたレギュラー・バンドでした。土星人を自称するリーダーが宇宙からのお告げで作・編曲した音楽を演奏する、という設定で純粋に地球外音楽を楽しむというコンセプトを掲げており、それはシカゴでは黒人聴衆に人種的偏見を超越した世界のヴィジョンを与え、白人聴衆には安全な立場で本来なら黒人のための黒人ジャズを楽しめる保証を与えたのです。サン・ラの音楽自体が保守的なビッグバンド時代のジャズと反逆的なビ・バップのどちらの要素も兼ねており、さらに宇宙音楽というアイディアで通常スウィング・ジャズ~ビ・バップの流れからはまったく逸脱した楽曲をアーケストラ全体の音楽性に巧妙に混在させていました。このアルバムならA1、A2、A3、A6、B2、B5はビッグバンドでもビ・バップでもありません。マーティン・デニーのエキゾチック・ムード音楽を参考にした可能性は高いのですが、A1やB2、B5は印象派音楽にエスニックなエキゾチック味を加えたような演奏ですし、A3などは電気ピアノでテクノをやっています。『Sound of Joy』で再演されるB4、『Jazz in Silhouette』で再演されるB3、『Angels and Demons at Play』で再演されるB6などは比較的ビ・バップに近い楽曲ですが、B4冒頭のアンサンブルはビッグバンド的でピアノ・ソロはモンクそこのけの変態プレイですし、B3は明確なテーマのないブルースで『Jazz in Silhouette』では12分近い長さで再演されます。B6などはよくある16小節(32小節)AA'BA'形式なのに半音階で下降していくコード進行で、調性音楽なのにセンター・トーナルが判然とせず、AA'BA'形式に聞こえない人も多いのではないでしょうか。'50年代のサン・ラ・アーケストラ作品でもオン・タイムで発売されただけの力作であり、発売前提だったトランジション原盤『Jazz by Sun Ra(Sun Song)』『Sound of Joy』と、サターン盤の『Super-Sonic Jazz』『Jazz in Silhouette』の4枚は完成度では代表作と言えるものでしょう。ですがアーケストラがニューヨーク進出以後に発展させていく音楽はむしろ1965年以降に発売される未発表アルバムの実験性に布石がありました。それにしてもシカゴのジャズ・シーンではサン・ラ・アーケストラが地元の誇る人気バンドだったことと、ニューヨークやロサンゼルスとの断絶を考えると、アメリカのジャズといっても一様な価値観が支配してはいなかったと痛感されます。だからこそ、必ずしもサン・ラが長年不当に過小評価されてきたとは言えないのです。
(旧記事を改訂・再掲載しました。)