翼ある蛇(xvii)~ヘンリー・ダーガー、魯迅、ロレンスへのオード | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Henry Darger's Drawing for "In the Realms of the Unreal".

ヘンリー・ダーガー(Henry Darger, 1892-1973)
魯迅(Lǔ Xùn or Lu Hsün, 1881-1936)
D・H・ロレンス(David Herbert Lawrence, 1885-1930)
Henry Darger's Room
Darger's grave at All Saints Cemetery
Darger's Novel, "In The Realms of the Unreal".

翼ある蛇 (xvii)
ヘンリー・ダーガー、魯迅、ロレンスに

街角を乞食が歩いて行く。いや、あれは乞食ではなく、
知恵遅れの教会雑役夫だ、毎朝決まった時間に古ぼけたアパートから
出てくると、片足をひきずりながら2ブロック先の
教会病院まで歩いて行く、かれは決してすれ違う人と
視線を合わせない、うつむいて、数メートル先の敷石を凝視
しながらのそのそと歩いて行く、かれの姿は
宵の口にも見かけられる、街角のゴミ箱にかがんで、ズタ袋に
ゴミ箱からあさったいろいろなガラクタを詰めこんで、持ち返って
いる、その姿は乞食そのものだから、誰も目を留めようとしない
あまりに詰めこんだズタ袋が裂け、憔悴したかれが
舗道に散らかったガラクタを狼狽して拾い集めても、誰も
手伝う人はいない、誰もがかれを見えないもののように振る舞う、
かれ自身が一人きりで生きることを選んだ者なのは、
一目でわかる。

かれがこの世に残していったものは、かれ自身が残す
つもりはなかったもの、かつて一度も
他人に見せなかったものだった。
かれは公共墓地に埋められ、その墓碑には「Artist」と刻まれた
が、またかれ自身がひそかにつけていた日記やメモに
おれはアーティストだ、と書いてはいたが、
それもすべてむなしい、かれの書いていた超大作の童話や
絵巻物、それらもすべてむなしい墓荒らし同然の
さらしものとなった遺品に向けられる好奇の眼
から逃れられなかったから

かれの死骸はいつまでも生ぬるい岸辺近くの
水辺に漂流し、死んでなおその腐臭ともども
解放されることを許されない、おそらく決して涙を
流さなかった鳥、獣、魚のような眼が見つめていた光景は、
防弾強化ガラスにはさまれ、表からも裏からも
透視される、決してかれが望まなかった、優雅な

人びとの注視の眼にさらされて、おそらくその粗末な薄紙の
皮膜には、誰にも見えないのけ者の叫びと、つねに臨終そのものを
生きた、または生死の継ぎ目がなく、誰にも観測不可能な
ままの、薄気味悪く不吉で、それでいてつねに抑圧に対して
抑圧で応えた、幸福でも不幸でもない、無感覚な
嫌悪、無関心、しかも厳格なかれ自身の基準によって
統一された、惰性的な妄執と勤勉さが
果てしない無意味となって

展示される、突き刺さる、さあこっちへおいで、
さもなければ近よるな、
おれは溺れた犬にして打ちのめす棒、
決してどんな女陰を飾ることもない挿し花だ、
おれはおまえらとは違う、
おれを理解するな。


(未定稿の旧作を整理してまとめました。半年前にも載せましたが、再掲載いたします。)