早わかりビリー・ホリデイ(1915-1959) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Billie Holiday - Complete Masters 1933-59 (Universal Import, 15CD, 2014)
Billie Holiday - PERFECT COMPLETE COLLECTION BOX (Sound Hills, 12CD, 1993/2016)
 20世紀のジャズ・ヴォーカルで最高の歌手を上げれば男性歌手ではフランク・シナトラ(1915-1998)、そして女性歌手ではビリー・ホリデイ(1915-1959)になります。この同年生まれの二人は1920年代までのジャズを総合し、'30年代~'50年代のポピュラー歌曲を次々とジャズ・ヴォーカル化し、シナトラとビリーのレパートリーはそのまま'40年代以降のモダン・ジャズ=ビ・バップ、ハード・バップ、さらに現在にいたるまでの恒久的なジャズ・スタンダード曲になりました。デビューは女性歌手だけあってビリーの方が早く、18歳の1933年にレコード・デビューしていますが、5年遅れてデビューしたイタリア系白人歌手のシナトラが30代には国民的歌手となったのに較べ、黒人女性歌手のビリーは生涯コアなジャズ・リスナー向けの歌手にとどまりました。この二人はおたがいに賞讃しあっていたにもかかわらず一般的人気には雲泥の差があり、それは録音曲数にも表れていて、ビリーが44歳で逝去した時に生涯の録音曲はCD全集15枚分323曲だったのに対し、シナトラはすでにその時点でビリーの三倍以上のCD全集46枚分ものシングル、アルバムを発表していました。またビリーは後輩で同じレコード会社(デッカ社、ヴァーヴ社)がビリーの大衆版としてプッシュしたエラ・フィッツジェラルド(1917-1996)よりもエンタテインメント性がなかったので、ビリーより2年遅れでデビューしてデッカ、ヴァーヴ(クレフ)・レコーズがビリーの対抗馬として全力で売り出したエラは、ビリーの没年までにシナトラをも上回るCD全集48枚分もの録音の機会に恵まれています。またサラ・ヴォーン、カーメン・マクレイ、シーラ・ジョーダンらはディジー・ガレスピーがビリーの後継者として育てた歌手で、ビリーのステージに欠かせない髪飾りの椿の花を、楽屋でビリーにヘアメイクするのを名誉としていた、ビリー直系の若手女性ジャズ・ヴォーカリストたちでした。またアニタ・オデイ、ヘレン・メリルを始めとするモダン・ジャズ以降の白人女性ジャズ・ヴォーカル歌手たちにも、ビリーの影響は絶大なものでした。ビリーとシナトラという世紀に数人という大歌手が同年生まれ、しかも混血黒人女性歌手・イタリア系白人男性歌手と一対のように現れたのは、アメリカのポピュラー音楽史上でも特筆すべきことで、歴史とはまるで神の手で書かれたかのようだ、という古い諺を思い起こさせます。

 ビリーはすでに'30年代~'40年代に、まだバックバンドが'20年代~'30年代ジャズの2ビートや4ビートで演奏していても、いち早く8ビートや16ビート感覚のリズム・アクセント、時には32ビート、64ビート、128ビートまで細分化されたビート感覚で自在に歌える(シナトラにも新しいビート感覚がありましたが、シナトラの場合はビリーのようなビートの細分化よりもビハインド・ビートと、マイクロフォン開発にともなうクルーナー=ウィスパー唱法の先駆者でした)、ジャズ史上でも器楽的唱法を完全に消化したとんでもない革新的なヴォーカリストでした。ヴォーカリストにしてジャズ全般を革新したイノヴェイターと呼べる存在はビリーしかいません。これはビリーが尊敬していたルイ・アームストロングやベッシー・スミスからの発展でしたが、歌詞を大切にするビリーはルイ・アームストロングや後輩エラと違って、決してスキャット唱法をしませんでした。そしてそのヴォーカル表現には完全な燃焼感がこめられていました。'40年代以降のモダン・ジャズのチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、バド・パウエル、レニー・トリスターノ、マイルス・デイヴィスら管楽器・ピアニストからベーシスト、ドラマーまでがビリーのリズム感覚、楽曲解釈、情感のすべてを投げこんだ表現に学び、モダン・ジャズ=ビ・バップの方向性を決定づけたことが、シナトラの優雅で洗練された、ポピュラー・ヒットからのスタンダード・ジャズ化による影響を上回るのはその点においてです。バックバンドが'20年代~'30年代の古いビート感覚で演奏していても、ビリーのヴォーカルが古びないのは、洗練されて悠然とした(それはそれで古びない)シナトラのスタイルと好対照をなしていました。またいつもダンディーだったシナトラに対して、残されたビリーの写真は目の醒めるような美女の時もあれば疲れた近所のおばさん然な時まで、とても同一人物とは思えないほど写真写りに幅のある女性でした。それもまた、ビリーの歌唱の豊かな表現の幅を示しているように思えます。

 ビリーは18歳でデビューしてから44歳で亡くなるまで、生涯主に4つのレコード会社からレコードを出しました。コロンビア(その傘下の黒人音楽専門レーベル、ブランズウィックやオーケー)、コモドア、デッカ、ヴァーヴ(クレフ)の4社(ほか単発契約でアラディン・レコーズに4曲、キャピトルに1曲)ですが、レコード会社の垣根を越えて、全録音323曲(スタジオ録音の再アレンジ曲含む)はセッション順・録音順に15枚組CDボックス『Complete Masters 1933-59』(Universal Import, 2014)にまとめられています。うちコモドアはコロンビア後期と同時期にコロンビアが拒否したビリーの楽曲「Strange Fruit」をリリースするために独立プロデューサーのミルト・ゲイブラーが創設したインディー・レーベルで、ゲイブラーがメジャーのデッカのプロデューサーに就任したことからビリーもデッカに移籍することになります。

 ビリーは基本的には同時代のポップス楽曲のジャズ・カヴァーをブルース・フィーリングでレパートリーとしたバラード歌手であり、ビリーのカヴァーした曲はほぼ半数以上がビ・バップ以降のジャズ・スタンダード曲となりました。ジャズをよく知らないリスナーにはビリーはブルース歌手とされがちですが、ビリーが歌った純粋なブルース曲は全レパートリーのうち10曲程度しかありません。ビリー自身が作詞・作曲に関わったオリジナル曲は約10曲、ビリーのために書き下ろされたソングライターからのオリジナル提供曲がさらに約10曲といったところですが、それらもすべて名曲で、後世のジャズ・スタンダード曲になっているのはさすがです。15枚組CDボックス『Complete Masters 1933-59』はコロンビア、コモドア、デッカ、ヴァーヴ(クレフ)、そしてアラディンとキャピトルの全時期にまたがっていますが、いきなり320曲あまりもの録音順(曲順も実際のセッション順)全集から入るのは敷居が高い上に把握が困難ですから、各レコード社別のベスト盤から入るのが手頃でしょう。このうちインディー・レーベルのコモドア盤は日本では代表曲「Strange Fruit」のタイトルを採って『奇妙な果実 』と邦題がついており、曲数も少ないので、アルバム1枚でコモドア社への録音の全曲集になっています。この「Strange Fruit」はもともとビリーが友人と共作したオリジナル曲のライヴ・レパートリーでしたが、白人による黒人リンチを糾弾した歌詞の内容からコロンビア社への録音が断られ、インディーのコモドア社に録音されたいわく付きの曲です。コモドア社への録音はコロンビア時代末期と重なっており、コモドア社主宰のミルト・ゲイブラーはビリーに録音の全権を与えましたが、商業的側面を配慮したコロンビア社への録音と、商業的配慮抜きにビリーに全権が任されたコモドア社への録音のどちらを良しとするかは今なお賛否が分かれており、ビリーをデビューさせたコロンビア社の大プロデューサー、ジョン・ハモンドは「あの曲(「Strange Fruit」)がビリーを駄目にした」と断言しています。確かに「Strange Fruit」は歌唱もアレンジも、晩年のオーケストラ伴奏によるバラード・アルバム『Lady in Satin』(Columbia, 1958)がそうなったように、もっともビリーらしくない異色の曲でした。しかし日本ではコモドア盤アルバム『奇妙な果実』、また最晩年の『レディ・イン・サテン』が代表作とされることが多く、ビリーの全アルバムを聴けばその2作はむしろ例外的な力作なのがわかるので、そのあたりにもビリーに対する聴かず嫌いや偏見・誤解が生じています。それはビリーを伝記的に悲劇的なジャズ、ブルースの歌姫という安易で通俗化されたイメージとも混じりあっていて、『奇妙な果実』と『レディ・イン・サテン』がそのイメージともっとも近いアルバムなのもリスナーの誤解に輪をかけています。
 インディーのコモドア社主宰のゲイブラーはそのままビリーが移籍した大手デッカ社のプロデューサーになり、シナトラやエラ・フィッツジェラルドに追い上げられていたことから、より商業的成功を目指すようになっていたビリーをサポートするようになったのを考えると、同じゲイブラーのプロデュース作品でもコモドア社への録音とデッカ社の録音は好対照をなしています。おそらくビリーがもっとも充実していたのは、20代前半から30代前半の10年間に当たる、コロンビア社との契約期間の後期からデッカ社との契約期間の前期でしょう。またデッカ社との契約期間後期の1946年後半~1947年前半には、ビリーはルイ・アームストロングとハリウッド映画『ニューオリンズ』(アーサー・ルービン監督、ユナイテッド・アーティスツ, 1947)に主演した直後に、麻薬所持・使用(再犯)によって1年間を実刑判決で入獄するキャリアのブランクが生じてしまいます。その後ビリーはデッカ社との契約消化をこなし、デッカ社での後輩でビリーより高い人気を獲得したエラとともにメジャーのMGMレコード傘下のヴァーヴ(クレフ)・レコーズに移籍するので、入獄と釈放のブランクを置いた30代半ば以降のヴァーヴ(クレフ)でのビリーは、執行猶予期間につきクラブへの出演を禁止され(酒類許可証を必要としないコンサート、ラジオ出演のみがライヴ活動の場となりました)、後輩デビューのシナトラ、エラの国民的人気に遅れを取りながら、本格的カムバックへの意欲とキャリアの凋落に対決していくことになります。以下、コロンビア(1933-1942)、コモドア(1939-1944)、デッカ(1944-1950)、ヴァーヴ(クレフ)(1952-1959)とレコード会社の在籍年代を追って、ビリーのキャリアをたどれるベスト盤を上げましょう。年代順に上げましたが、初めて聴く方にはヴァーヴ、デッカ、コモドア、コロンビアと逆年順に聴いた方がバックバンドの演奏がモダン・ジャズ寄りなので、聴きやすいと思います。またビリーの録音は前期のコロンビア時代と後期のクレフ=ヴァーヴ時代が大半を占めるために前期・後期からはベスト盤が編みづらいので、中期のデッカ時代のシングルから約半数を収めたベスト盤シングル集『Billie Holiday's Greatest Hits』はビリー自作の新曲、ビリーのために書き下ろされた新曲、バラード曲と快適なスウィング曲中心の新レパートリー、コロンビア時代の(またのちのクレフ=ヴァーヴ時代でも再演される)代表曲をモダン・ジャズ・アレンジで再演したキャリア絶頂期のビリーが聴け、収録曲も「Easy Living」「What Is This Thing Called Love?」「Solitude」「You're My Thrill」「Them There Eyes」「No More」「God Bless The Child」「My Man (Mon Homme)」「Don't Explain」「There Is No Greater Love」「T'aint Nobody's Bizness If I Do」「You Better Go Now」「Big Stuff」「Good Morning, Heartache」「I Loves You Porgy (From Porgy & Bess)」「Guilty」「Lover Man (Oh, Where Can You Be?)」「Crazy He Calls Me」「That Ole Devil Called Love」と1曲たりとも捨て曲のない、CD時代になって編まれた決定的な中期ビリーのベスト盤として、ファースト・チョイスに上げられる名盤です。
Billie Holiday - レディ・デイ Lady Day : The Best of Billie Holiday (Columbia/Sonny, 2004) :  


Billie Holiday - 奇妙な果実 In Commodore (Commodore, 1959) :  


Billie Holiday's Greatest Hits (Decca, 1995) :

 また、コロンビア時代のベスト盤『Lady Day : The Best of Billie Holiday』はコロンビア社がCBS~Sonn Musicに吸収された後の2004年の最新リマスター全集からのコンピレーション盤ですが、それに先立って1994年に世界的なビリー・ホリデイ研究の第一人者・大和明(1936-2008)氏編・監修の日本独自編集のコロンビア時代のCD8枚組ビリー・ホリデイ全集がリリースされており、そこからCD2枚に凝縮した大和明氏編・監修のコロンビア時代の日本独自のベスト盤『レディ・デイの肖像』がリリースされています。詳細な録音データ調査、研究、伝記、原詞と訳詞によるほとんど文庫版1冊相当の解説ブックレットがついており、2004年リマスターと較べるとアナログ・レコードに近い音質ですが、選曲・編集ともにアメリカ版リマスター版ベスト『Lady Day : The Best of Billie Holiday』より優れるコロンビア時代のビリーの決定版ベスト・アルバムになっており、現在は廃盤ですが好セールスを記録したロングセラー盤になり中古盤の入手は容易ですので、コロンビア時代のビリーは楽曲解説、原詞・訳詞とも充実した、大和明氏渾身のベスト盤のこちらも併せてお薦めします。
ビリー・ホリデイ - レディ・デイの肖像 (大和明監修・ソニーミュージック, 1994) :  

 さらに2000年にアメリカの音楽ジャーナリスト、ケン・バーンズがジャズ100年史を記念して連続ドキュメンタリー番組を制作した際に、ジャズ史上の大物ミュージシャンたちのベスト盤を連続リリースしましたが、ケン・バーンズ編のビリー・ホリデイのベスト盤は初期から晩年までのビリーの名曲・名演19曲をレコード会社の垣根を越えて集めたもので、このケン・バーンズ編ベスト盤でコロンビア、コモドア、デッカ、アラディン、ヴァーヴ(クレフ)の全曲集『Complete Masters 1933-1959』が凝縮されていると言っても過言ではない、ベスト盤1枚でビリーのキャリアのすべてをたどれる驚異的なコンピレーション盤です。ビリーを知れば知るほどこのケン・バーンズ編ベストのすごみがわかってくるほどの密度を誇る、全集を聴いたリスナーでも必聴の究極のベスト盤です。
 コロンビア、コモドア、デッカ、ヴァーヴ(クレフ)では個別にビリー・ホリデイ全集があり、そこでは『Complete Masters 1933-59』には収められなかった別テイクや没テイクも収められています。別テイクや没テイクを加えると全録音曲はほぼ500曲になります。ビリーの録音は初期(コロンビア・コモドア)・中期(コモドア、デッカ)・後期(ヴァーヴ)によってそれぞれヴォーカル・スタイルやバックバンドのアレンジの変化があり、瑞々しく勢いのある初期、円熟した中期、情念の増した後期の全部の時期がいいですが、バックバンドがモダン・ジャズ時代になってからの親しみやすい選曲とアレンジでお薦めできるアルバムとしては、ヴァーヴ(クレフ)移籍から1952年の最初の10インチLP『Billie Holiday Sings』と1954年の10インチLP『Billie Holiday』をカップリングした『Solitude』(Verve, 1956)、40代になって同名の自伝の刊行( 翻訳『奇妙な果実~ビリー・ホリデイ自伝 (Lady Sings the Blues)』、晶文社)ビリー自選の代表曲をトニー・スコット楽団による新アレンジで再録音したベスト盤的選曲の『Lady Sings the Blues』(Verve, 1956)、逝去前年の最晩年にコロンビアに一時戻ってシナトラ曲集に挑戦した問題作『Lady in Satin』(Columbia, 1958)あたりでしょうか。特に『Lady Sings the Blues』は新アレンジによる再録音ベスト盤的趣向なので、円熟したビリーの歌唱と相まって入門編に向いているアルバム、『Lady in Satin』は常に弦楽入りオーケストラをバックにしていたゴージャスなシナトラに対抗して、アルバム全曲を初めて弦楽入りオーケストラで制作し、シナトラの得意レパートリーをあえて選曲した壮絶なバラード・アルバムであり、ビリー最大の野心作です。

 前述の通りビリーは1947年の丸1年の服役から低迷期を過ごし、30代後半からはシナトラやエラに追い上げられ、カムバックの意欲、ムラが生じるようになったヴォーカルの衰えと戦いながらキャリアを過ごすことになるので、ヴォーカル面では初期~中期に当たる20代~30代前半が絶頂期なのですが(コロンビア、コモドア、デッカ)、当時はシングル(10インチ78回転SPシェラック樹脂レコード)単位の録音のため、1930年代~1940年代録音の曲はコロンビア、コモドア、デッカ時代のベスト盤か、各社からの全集、または完全版全集『Complete Masters 1933-59』の方が全録音曲をまとまって聴けます。それでも『Solitude』から始まるアルバムごとのセッションのヴァーヴ(クレフ)時代の30代後半からのアルバムはいずれも力作で、モダン・ジャズ時代に踏みこんだバックバンドの演奏ともどもようやく時代がビリーの先進性に追いつき、充実したアルバムを年1作ペースで制作し、特に一時コロンビア社と再契約してライヴァルのシナトラのレパートリーに的を絞り、シナトラの得意としていた弦楽入りオーケストラとの共演に挑戦したアルバム『Lady in Satin』はコモドア盤『奇妙な果実』と並ぶ、今なお賛否両論を招く、ビリー畢生の壮絶な作品になったのは前述の通りです。

 なお、1952年にMGMレコード傘下のヴァーヴ(クレフ)・レコーズに移籍してからのビリーのアルバムは、メジャー傘下ならではの名手揃いのメンバー5~6人の小編成によるスウィングとモダン・ジャズの折衷スタイルのバック(当時「中間派」と呼ばれたスタイル)でバラード色を強めており、声質・声量ともに全盛期には及ばなくなった(それでも見事な表現力は維持していた)ビリーのヴォーカルを補って非常に聴きやすく、またコロンビア、コモドア、デッカ時代の代表曲を'50年代ジャズのスタイルで再演するとともにポピュラーなスタンダード曲を多く採り上げていて、くつろいで楽しめる内容のものです。なおデッカ時代までのビリーの録音はすべてシングル曲単位なのでアルバムはのちのLP時代になってからのコンピレーションばかりですが、1952年以降のヴァーヴ(クレフ)時代以降のアルバムは最初からアルバム・リリースを前提に制作されたものなので、オリジナル・アルバムとしてリストにしておきます。
[ Billie Holiday Studio Album Discography 1952 - 1959 ]
1. Billie Holiday Sings (Clef/Verve, 1952) '10 inch
2. An Evening with Billie Holiday (Clef/Verve, 1952) '10 inch
3. Billie Holiday (Clef/Verve, 1954) '10 inch
4. Music for Torching (Clef/Verve,, 1955)
5. Velvet Mood (Clef/Verve, 1956)
6. Lady Sings the Blues (Clef/Verve, 1956)
*. A Recital by Billie Holiday (Clef/Verve, 1956) 12 inch Compilation from 2+3
*. Solitude (Clef/Verve, 1956) 12 inch Compilation from 1+3
*. Billie Holiday at Jazz at The Philharmonic (Clef/Verve) 10 inch, rec.1946, Live
7. Body and Soul (Verve, 1957)
8. Songs for Distingué Lovers (Verve, 1957)
9. Stay with Me (Verve, 1958)
10. All or Nothing at All (Verve, 1958)
11. Lady in Satin (Columbia, 1958)
12. Last Recording (MGM, 1959)

Billie Holiday - Solitude (Clef/Verve,, 1956) :   

Billie Holiday - Lady Sings the Blues (Clef/Verve, 1956) 


Billie Holiday - Lady in Satin (Columbia, 1958) 

 また、ビリーにはコンサートからのラジオ中継・テレビ出演の放送用録音を集めた発掘ライヴ・アルバムも多数あり、コンサートやアルバム単位でもリリースされていますが、こちらは12枚組CDボックス『PERFECT COMPLETE COLLECTION BOX』(Sound Hills, 1993/2016)にまとめられています(そののちにもCD数枚分のラジオ放送音源ライヴが発掘発売されています)。ボックスにも収録されていますが、1951年・1953年のラジオ中継用ライヴを収めた『At Storyville』(スタン・ゲッツ参加)と1954年のドイツ公演の『Ladylove』(ソニー・クラーク、トニー・ スコット参加。現在は『Billie's Blues』として、スタジオ録音のアラディン・レコーズからの4曲とキャピトル録音の1曲をカップリングしてCD化)、1958年の第1回ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルの出演を収録した『At Monterey』(ジェリー・マリガン、マル・ウォルドロン参加)はバックがすでにモダン・ジャズ世代の若手ジャズマンなのですっきり聴け、ビリー自身はコンディションにムラが目立ってきた時期のライヴなのですが、ライヴ録音で観客を前にしたビリーの歌唱が聴け、スタジオ盤以上に活き活きとしたビリーの姿を彷彿とさせる、人気の高いアルバムになっています。また『Billie Holiday At Newport』はビリー最晩年の、エラ・フィッツジェラルドとのスプリット・アルバムで、ビリー絶不調のパフォーマンスとして悪名高いライヴですが、それでも十分に感動的なので、同作も含む、2019年にリリースされたヴァーヴ(クレフ)時代の全スタジオ・アルバム(コロンビアからの『Lady in Satin』を含む)12枚(!)をカップリング収録したReel To Reelレコーズの6枚組廉価版CD『Twelve Classic Albums』(通販サイトで1,500円程度で入手できます)も晩年8年のビリーの録音集成としてお薦めできるコンピレーション盤です。全集『Complete Masters 1933-1959』はセッション順・録音曲順の編集なので、ヴァーヴ(クレフ)のオリジナル・スタジオ・アルバム通りの曲順で1~11の各アルバム全編を一気に聴けることでも『Twelve Classic Albums』の価値はあります(オリジナル・アルバムの表ジャケットのみを掲載した紙ケース、曲目表のみを掲載した紙ジャケットCD6枚組ながらも、各アルバムのデータは英語版ウィキペディアで参照できますし、リマスター音源を使用した音質も最上なので、単体CD1枚より安い廉価でビリー後期のオリジナル・アルバム12枚を聴けるだけでもこの『Twelve Classic Albums』はヴァーヴ=クレフ時代+『Lady in Satin』をオリジナルLP通りの曲目・曲順で網羅するスタジオ録音全集として重宝なセットになっています)。以下、ビリーの代表的なライヴ盤と、『Twelve Classic Albums』のデータを上げましょう。
Billie Holiday At Storyville (Black Lion, 1976)

※6CD Slipcase includes the 12 albums: "Billie Holiday Sings", "An Evening With Billie Holiday", "Billie Holiday", "Music For Torching", "Velvet Mood", "Lady Sings The Blues", "Body And Soul", "Stay With Me", "Songs For Distingue Lovers", "Lady In Satin", "All Or Nothing At All", And "Billie Holiday At Newport".

 ビリーは人生の辛酸・苦楽を知りつくした生涯を送った女性でした。娼婦の母の元に生まれ、感化院で育ち、少女時代から街娼の経験もあり、ハリウッド映画の主演もし、シナトラ始め同時代のミュージシャンたち、批評家、熱心なリスナーには最高のヴォーカリストと絶讃されカリスマ的存在となるも大衆的人気は得られず、名声の絶頂にも立てば買春から入獄まで経験し、最晩年(まだ44歳!)には肝硬変が悪化するも浪費癖とアルコール依存症、薬禍癖から病院にも行かず、ステージに立つこともやっとで、楽屋でメイクをする手も震えて口もとが締まらずよだれが止まらない姿も目撃(批評家レナード・フェザー証言)されています。またビリーの功罪のマイナス面は、ジャズ界は浪費癖と乱れた異性関係とアルコール依存症と薬禍癖まみれ、というイメージを結果的に広めてしまったことにもあり、それはビリーを敬愛するチャーリー・パーカーがいっそう体現してしまったために、黒人ジャズマンは皆ドラッグ常習者という偏見を生むことにもなりました。たとえばそのせいで、麻薬に決して手を出さなかったエリック・ドルフィーでさえも、単身巡業先のベルリンで糖尿病の急性悪化のために倒れた時、黒人ジャズマンだからどうせドラッグの禁断症状だろうと危篤状態になるまで放置されて亡くなる、という悲劇を招くことにもなりました。

 晩年すでにビリーは過去の人扱いされ、ライヴァルのエラ・フィッツジェラルドどころか、愛弟子のサラ・ヴォーンやカーメン・マクレイにも人気を追い落とされていました。元カウント・ベイシー楽団の盟友で最高のヴォーカル&サックス・パートナーと謳われたレスター・ヤング(テナーサックス、1909-1959)が1959年3月に逝去した時には体調悪化を押して参列するも、讃美歌の葬送歌を歌おうと申し出て白人のレスター未亡人に断られて泣きながら帰ってきたとミュージシャン仲間に証言されています。レスターの没後4か月の7月に亡くなった時には、資産も社会的地位も保証人もいない貧乏黒人患者として危篤寸前まで病院の廊下に放置され、心不全と肝硬変、肺炎の合併症で亡くなった時の資産は銀行預金残高70セント、検死された時にストッキングに現金750ドルが結わえつけてあったのが判明したという人です。黒人女性ジャズ歌手ということで誤解がありますが、シナトラと同じくビリーはブルース歌手ではなく先に述べたようにバラード歌手で、ブルースのレパートリーは全録音のうち自作の即興曲「Billie's Blues」「Fine And Mellow」など数曲(それらもスタンダード曲になりましたが)しかありません。またビリーの歌は孤独な女性像(「The Man I Love」「Lover Man」、そして「Good morning Heartache」など)を歌ったものが大半でしたが、最高のビリーは歌うことの喜びにあふれ、絶望のどん底からですら常に希望をたたえた、抱擁力に満ちた暖かみのある歌声を届けてくれるものでした。それが'70年代にはレッド・ツェッペリンの曲をライヴ・カヴァーするほどエンタテインナーに徹したエラや、最晩年までアメリカ芸能界の頂点に立ち続けたイタリア系移民シナトラの楽観性や野心とは違うものを求める、もっと孤独で抑圧されて悲しみを知る人々に届き、今なお届いているのです。また前述した通り、歌詞を大切にするビリーは、ルイ・アームストロングを尊敬し続け、後輩のエラや愛弟子のサラ・ヴォーンからの逆影響も受けましたが、決してスキャット唱法によるアドリブ・ヴォーカルを歌わなかったことで、かえって古びない表現力を生涯失いませんでした。ジャズ・ヴォーカルの悲劇のヒロイン、天賦の才に恵まれながらも破滅型女性アーティストの典型のような通俗な伝説的イメージを取り払って、純粋に最後まで歌う喜び、生きる喜びに満ちていたビリーの歌声をお聴きください。そしてビリーの後継者はジャズ・ヴォーカルの範囲を越えて、チャーリー・パーカー、バド・パウエル、マイルス・デイヴィス、エリック・ドルフィー、ビル・エヴァンス(人気の高い『ワルツ・フォー・デビー』は半分ビリー・ホリデイ曲集でもあります)ら真に革新的なジャズマンにのみ現れたのは偶然ではないでしょう。「ヴォーカリストならビリー・ホリデイ、聴けば聴くほど良くなります」(セシル・テイラー)。この記事で試聴リンクを引いたシングル曲集、ベスト盤、ライヴ盤、オリジナル・アルバムはすべて必聴といえるもので、一生聴いても飽きないジャズ・ヴォーカル、20世紀ポピュラー音楽の珠玉であり至宝です。

(半年前の旧記事を手直しし、再掲載しました)