アントナン・アルトー『神経の秤 (Le Pèse-nerfs)』1925年 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

アントナン・アルトー(Antonin Artaud、1896-1948)

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 じっさいぼくは、きみがぼくのまわりの雰囲気を打ち破り、空虚をつくりだしてくれている、と感じた。それはぼくに前進を許してくれるためだった。ぼくの内部でまだ可能性としかないもの、潜在的な芽生えに、ひとつの不可能な空間としての場所を渡してやるためだったのだ。そのとき、その芽生えは、提出される場所に吸いあげられ、姿を現わすはずである。
 この不可能な不条理の状態にわれとわが身を置いては、自分の内部にいくばくかの思想を芽生えさせようと試みたことがよくあった。そのころ、ぼくたち数人は、事物に危害を加え、生にいたるさまざまの空間、存在せず、本来の空間のなかにやがて席を見出すとはとても思えぬ空間を、自分の内部に創造しようとのぞんだ。
(散文詩集『神経の秤 (Le Pèse-nerfs)』1925、第一章第1、2節・清水徹訳)

 もとよりフランス語など読めない筆者はそれでも長らくアントナン・アルトー(1896-1948)の著作に、日本語訳で親しんできました。19世紀にジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1055)がそうだったように、アルトーは生涯重篤な慢性統合失調症に苦しみ、エッセイとも小説とも詩ともつかない謎めいた著作を残した人です。アルトーの著作では散文詩集『神経の秤』は比較的わかりがいいもので、筆者は平凡社の『世界名詩集大成5・フランス篇IV』(昭和34年/1959年刊)で全訳された清水徹氏の訳で愛読してきました。しかし詩とは翻訳の違いによってまったく別物になってしまうので、清水徹氏訳からほぼ25年後、筆者が大学生の頃に別の訳者によって新訳刊行された版では、先に引いた『神経の秤』第一章第1、2節は次のような訳文になっています。

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 たしかに私は感じたのだ、あなたが、私のまわりの雰囲気を打ちこわして空虚を作り出し、私の前進を可能にしようとするのを。私のなかでまだ可能態として存在するにすぎないものに、潜在的な芽生えの総体に、不可能な空間という位置を与えようとするのを。この芽生えは、このようにして示される位置によって吸い出させて、生まれるはずであった。
 しばしば私は、こうした不可能な不条理の状態に身をおいて、おのれのうちに、いくばくかの思考を生まれさせようと試みた。そのころ、われわれ何人かの者は、現実に存在せず現実の空間のうちにその位置を見出しうべきもないようなさまざまな空間を作り出そうとのぞんだのである。
(昭和61年/1986年、筑摩選書版訳文)

 意味の上では同じかもしれませんが、清水徹氏の訳文と別の訳者によるほぼ四半世紀後の新訳は、語感や訴求力においてまるで別物です。『神経の秤』第一章は6節から成り立っていますが、第5、6節も引いてみましょう。

 現実の容認できる唯一の状態としてぼくは心に想い描く、こうした出会いに悩まされ、いわば燐光を発している魂を。
 なにかしらぼくの知らぬ、名前もつけられぬ明瞭さが、その魂の語調と叫びをぼくにあたえ、それがある種の不溶性の総体をなしているとぼくは感じる。その総体性の感情を腐蝕させる疑惑などどこにも存在しない、とぼくは言いたい。ところがぼくは、それらの活動的な出逢いにひきくらべ、ピクリともしない状態にいる。停止された虚無、どこかにもぐりこみ、潜勢となった精神の塊を想像していただきたい。
(『神経の秤』第一章第5、6節・清水徹訳)

 同じ箇所が異なる訳者による筑摩選書の新訳版ではこうなります。

 私は、これらの出会いによって作りあげられた、言わば硫黄をぬられ燐を加えられたような魂を、現実のただひとつの受け入れうる状態として思い描くのだ。
 だがしかし、何かよくわからぬ、名付けようのない、未知の明晰さだ、私に、この魂の語調と叫びを示すのは。私自身にそれらを感じさせるのは、私はそれらを、或る溶けさることのない総体性において感ずるのであり、この総体性の感情は、いかなる疑惑によっても腐蝕されることはないと言いたいのである。これらの活動的な出会いのために、私は、ほとんど身動きもせぬ状態にある。停止した虚無、どこかへ埋められ潜勢的なものと化した精神のかたまりを、思い描いていただきたい。
(昭和61年/1986年、筑摩選書版訳文)

 どちらにも概念語としての用法で用いられる「芽生え」、また「語調と叫び」「総体性」「潜勢」など日本語としてこなれない語彙が出てきますが、新訳版の方が先行訳を参照しているのはことさらあげつらえないとしても、本来ならもっと日本語として練れているはずの新訳の方が逐語・直訳調で読みづらく、一読再読しても意味のくみとりづらい訳文になっています。逆に先行する清水徹氏の訳文の方は、平凡社版『世界名詩集大成5・フランス篇IV』から60年以上経っても古びておらず、生々しさと訴求力を失っていないので、筑摩書房の新訳版で初めて『神経の秤』を読んだ読者の方がかえってこのアルトーの散文詩集の魅力とすれ違ってしまう、ということもあり得ます。筆者ももし先に読んだのが新訳版の『神経の秤』だったら、この詩集ともアルトーの著作とも興味を抱けなかったと思えます。日本の詩人の書いた日本語詩では直接伝わってくるものが、外国語圏の詩では訳文に左右されるのは漢詩文の輸入時代から変わらないことでしょうが、現代詩の場合は日本語自体が過渡期~流動期にあるために、さらに微妙です。新訳版の訳者も優れたフランス文学研究者であり、アルトーの批評的エッセイも翻訳紹介していれば、他にいくつも立派な訳詩集を手がけている方ですが、たまたまアルトーの批評的エッセイはともかく、散文詩の訳には適任とは言えなかったということでしょう。こうした例は詩の翻訳にはよく見られることで、複数訳を読み較べてみてようやく真価の一端に触れるということもよくあるのです。もう一度清水徹氏の訳と新訳版を読み較べていただければ一目瞭然です。
 全九章からなる『神経の秤』の最終章は「ある地獄日記の断片」(清水徹訳)と題されていますが、筑摩書房版の新訳「或る地獄日記の断片」の末尾3行(つまりこの散文詩集の終わり3行)は、こう訳されています。

 私は、苦悩とやみの領域を選んだ。他の人びとが、物質の輝きと堆積の領域を選んだように。
 私は、何か或るひとつの領域で仕事をするのではない。
 私は、唯一の持続のなかで仕事をするのだ。
(昭和61年/1986年、筑摩選書版訳文)

 それに対して1959年の清水氏の訳では、同じ箇所は次のように訳され、散文詩集『神経の秤』を見事に締めくくっています。

 ぼくは苦悩と影の領域を選んだ、ほかのひとびとは物質の光耀と堆積の領域を選ぶが。
 どんな領域のなかでも仕事をする男--ぼくはそんな男ではない。
 ぼくは唯一の持続のなかで仕事をする。
(『神経の秤』第九章末尾3行・清水徹訳)

 筆者はずっとこの清水徹氏訳の『神経の秤』の末尾3行、とりわけ「ぼくは唯一の持続のなかで仕事をする。」という一句に支えられてきました。それは「私は、苦悩とやみの領域を選んだ。他の人びとが、物質の輝きと堆積の領域を選んだように。/私は、何か或るひとつの領域で仕事をするのではない。/私は、唯一の持続のなかで仕事をするのだ。」という新訳からはすっぽり抜けている強烈な対決と自己認識、決意と覚悟のニュアンスです。二たび清水徹氏訳の末尾3行をくり返しておきましょう。

 ぼくは苦悩と影の領域を選んだ、ほかのひとびとは物質の光耀と堆積の領域を選ぶが。
 どんな領域のなかでも仕事をする男--ぼくはそんな男ではない。
 ぼくは唯一の持続のなかで仕事をする。