高柳昌行・阿部薫~ニュー・ディレクション - 解体的交感 (サウンドクリエーターズ, 1970)
高柳昌行・阿部薫~ニュー・ディレクション - 解体的交感 (サウンドクリエーターズ, 1970)
Originally Released by サウンドクリエーターズ INC. SCI-10101, 1970
録音エンジニア - 剣持幸三
ディレクター - 高柳昌行
(Side A)
A1. (Untitled) - 30:53
(Side B)
B1. (Untitled) - 26:50
[ New Directions ]
高柳昌行 - electric guitar
阿部薫 - alto saxophone, bass clarinet, harmonica
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(Original Sound Creators "解体的交感" LP Liner Cover & Side A Label)
高柳昌行(1932-1991)は渡辺貞夫(1933-)らと並んで'50年代から戦後の日本のジャズを牽引するトップ・ミュージシャンでしたが、ジャズ誌で国内ジャズ・ギタリストNo.1のカリスマ的支持を受ける一方、'60年代は麻薬問題で断続的な活動を余儀なくされていました。高柳はレニー・トリスターノ(1919-1978)とトリスターノ門下のギタリスト、ビリー・バウワー(1925-2005)やアルトサックス奏者のリー・コニッツ(1927-)に傾倒する理論的白人系クール・ジャズ派ギタリストとして知られていましたが、1969年から「ニュー・ディレクション」という新コンセプトによってソロ・ギターから数人の編成までさまざまな形態で実験的活動を行うようになり、没年までに10枚ほど、没後発表にさらに20枚ほどの完成済みアルバムを残しました。ニュー・ディレクションとしては2作目のアルバムになったのが19歳の新人アルトサックス奏者・阿部薫(1949-1978)とのデュオによるライヴ・アルバムの本作で、阿部にとってはレコード・デビュー作になり、生前発表の数少ないアルバム(他には'75年10月録音の無伴奏ソロ・アルバム『なしくずしの死』1976、ミルフォード・グレイヴスの『Meditation Among Us』1977、デレク・ベイリーの『Duo & Trio Improvisation』1978)であり、阿部の没後発表アルバム(完成済み、発掘ライヴ)30作あまりを合わせても代表作と言える作品です。高柳昌行も阿部薫も数多いアルバムの大半が年代を錯綜して発表されているため、初めて聴くリスナーは何から聴けばいいかわからない伝説的ジャズマンですが、本作は高柳昌行の音楽コンセプトが以後の阿部が追求することになる音楽コンセプトときっちりかみ合っており、アルバムAB面全1曲58分に十分な展開と濃縮感があります。高柳自身の自主レーベルから1,000枚限定プレスでLP発売された後1999年の初CD化まで長く幻のアルバムだったため国際中古市場では6,000ドル以上のプレミア盤になり、聴いた人が少なく入手困難なので紹介されることも少ないアルバムですが、1970年には前衛的すぎて理解者もわずかだった高柳昌行独自の日本産フリー・ジャズが、現在のリスナーにはどう聴こえるかという点でも興味深い内容です。
もっとも阿部薫は必ずしも意識的に高柳のコンセプトに寄っていたのではなく、通常の標準的小編成コンボ(クインテットやカルテット)による演奏自体をほとんど残していないソロイストで、どうも自分の即興演奏に、常に自動的にオーケストレーションが伴って聴こえていたタイプのジャズマンだったようです。阿部薫をリーダーにしたビッグバンド・コンサートを行う企画があった時、自分のソロに合わせてバンド全員が即興アンサンブルで自動生成的にオーケストレーションできるのが当然と思っていた阿部は、基本的なスコアの用意はもちろんリハーサルの必要すらまったく理解できなかったので、直前にメンバー全員に楽譜やアレンジ、具体的演奏の提示と指示を詰問されて困惑し、結局ライヴ自体が立ち消えになったという逸話があります。一方、高柳は徹底した理論派で、自他の演奏に厳格な方法的規律を求めるタイプのギタリストでした。そんな両者によく完全なデュオの即興演奏が成立したものですが、この時ばかりは高柳・阿部それぞれのヴィジョンに沿ってやってのけた演奏が納得のいく落とし処を見つけたので、そういう種類の音楽がかろうじて生まれたのが高柳のニュー・ディレクションというフリーフォーム・ジャズのコンセプトであり、本作だったということでしょう。
このアルバムは現在ではジャズのリスナーよりも、むしろヘヴィ・ロックやクラウトロック、'70年代ノー・ウェイヴ、さらにノイズ、ポスト・パンク、グランジ、インダストリアル、ストーナー、シューゲイザーとさまざまなスタイルの変遷を聴いてきたリスナーに、50年も前に制作・発表されていた21世紀現在でも過激にロックの最前線を究めた頂点として聴けるので、トリスターノの理論的クール・スタイルから一気にアルバート・アイラー(1936-1970)のフリーフォーム・ジャズに飛躍した高柳昌行が、エリック・ドルフィー(1928-1964)に傾倒する若い阿部薫との共演によって明確な方向性をつかんだ成果です。トリスターノの理論的な抽象性から一気にアイラーの極端な肉体性を合致させる発想は、それまでトリスターノ・スタイルの発展をジム・ホール(1930-2013)の柔軟なギター・スタイルに見ていた高柳にジャズのリスナーが求めていた音楽性とは大きく異なるものだったでしょう。高柳は'60年代にはジム・ホールに倣ったボサ・ノヴァ・ジャズの業績があり、知的抑制の効いた理論派ギタリストとして評価が高かったのです。この『解体的交感』当時は高柳はギター、サクソフォン、ドラムスのトリオを標準的なレギュラー・バンドにして活動していましたが、もっと極端にアルトサックスとのデュオによって上げた本作の方向性は以降のトリオ編成のニュー・ディレクションにも反映されます。
本作録音の1970年6月にはアルバート・アイラーはまだ存命であり(同年10月急逝)、アイラーの最後の録音になった1970年7月のライヴではアイラー自身が音楽的方向性を転換しており、停滞を否めないのを照らし合わせても(このアイラーの最晩年の演奏は抒情的な円熟味から高い評価もあるのでまだ未知の可能性もあったのですが)高柳のギター演奏はアイラーが生前示唆した以上の表現領域に踏みこんでいます。高柳はジミ・ヘンドリックスにも興味を持ち楽理分析も行っていましたが、ジミのほとんど最後のステージは1970年8月のワイト島フェスティヴァルでアイラーの最後のライヴと似た疲労感を滲ませており、逝去は9月ですから本作はジミやアイラー存命中(ともに最晩年に近い)時期にすでにライヴ収録されています。これが当時理解を絶したものだったのは、翌1971年8月に三里塚の成田空港建設反対集会として行われたロックとフォークの野外フェスティヴァル「日本幻野祭」出演時の観客からの一斉ブーイングでも伺われ、その時行われたトリオ編成全1曲40分の名演「ラ・グリマ(涙)」は1971年のオムニバス・アルバム『幻野~幻の野は現出したか・'71日本幻野祭 三里塚で祭れ』に冒頭6分のみ抜粋収録されたまま、高柳自身が完成した42分の完全版マスターは2007年までアルバム化されませんでした。同作もむしろ現在では究極の過激なフリーフォーム・ロック作品の傑作として聴けるので、半世紀を経てようやくリスナーに届く音楽というものもある。その極端な実例と言えるアルバムです。前回ご紹介しましたが、再びご紹介いたします。
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高柳昌行ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アート - ラ・グリマ(涙) Complete "La Grima" (Doubtmusic, 2007) :
Recorded Live at 三里塚幻野祭, 8月14日, 1971
Released by Doubtmusic dmh-113, March 11, 2007
[ Takayanagi Masayuki New Direction For the Art ]
高柳昌行 - electric guitar
森剣治 - soprano & alto saxophones
山崎弘 - drums
(旧記事を手直しし、再掲載しました)