八木重吉の晩年詩稿(6)・「病床ノオトA」後編 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

八木没後の遺族、昭和11年(1936年)
登美子夫人(31歳・1905-1999、享年94歳)、
長女桃子(女学校1年生・1923-1937)、
長男陽二(小学6年生・1925-1940)
八木重吉・明治31年(1898年)2月9日生~
昭和2年(1927年)10月26日没(享年29歳)
幼児の頃の桃子・陽二姉弟
女学校進級時の桃子(翌年結核にて逝去、享年14歳)
中学生の頃の陽二(4年生時結核にて逝去、享年15歳)
「ノオトE」(大正15年/昭和元年)12月より、

或る夜の夢
 モーーモーーコーー
 桃子
 桃子ーー、
 モモ子ーー、
 モモコーー、
 モーモーコーッ
 あー、
 桃子ー、
 モーモーコーッ

 今回も八木重吉(1898-1927)の晩年の結核闘病中の病床ノート「ノオトA」の続きで、全117篇中後半の58篇をご紹介します。八木重吉晩年の闘病歴は、

・大正14年(1925年)11月~12月、晩秋から冬にかけて体調の不調を自覚する。
・大正15年(1926年)1月~2月、風邪でしばしば勤務(千葉県柏市公立旧制中学校英語教師、現在では高等学校に相当)を休んで寝こみがちになり、受診。
・大正15年3月、結核第三期発症の診断。発熱と体調不良が続き、病床に就く。
・大正15年5月~7月、正式な有給休職を許され神奈川県茅ヶ崎市の総合病院に入院。
・大正15年7月退院ののちは茅ヶ崎市の自宅で療養に専念。
・大正15年10月、発熱による重篤状態に陥り以後絶対安静。以降ほとんど執筆不可能に陥る。大正15年12月、昭和元年に改元。
・昭和2年(1927年)春~初夏、病床で夫人登美子の協力により第二詩集『貧しき信徒』編纂。
・昭和2年10月26日逝去、享年29歳(満29歳8か月)。
・昭和3年(1928年)2月、又従兄弟・加藤武雄により遺稿詩集『貧しき信徒』刊行。

 と、結核発症判明から亡くなるまで1年半、悪化の一途をたどったので、現在でも日本の風土病は喘息・気管支炎ですが、抗生剤発明以前の戦前では結核に罹患すると転地療法、食餌療法、安静療法以外の治療法はありませんでした。八木重吉は大学生時代に喀血経験がありましたが、判明時に結核第三期とは、確実な治療法のない当時、ステージ4の癌告知に匹敵する病状だったのです。「ノオトA」では家庭人で愛妻家の八木とは思えないほど登美子夫人への不満をぶつけた詩が出てきますが、登美子夫人の回想録『琴はしずかに』(彌生書房、昭和52年)によると結核発症判明以降八木は、八木以上に敬虔なキリスト教徒の夫人に発作的に激昂し、「お前なんか死んでしまえ!」と茶碗を投げつけたりすることもあったそうで、おそらく夫人の励ましが、結核発症も神の試練であり祝福と無理矢理自己を鼓舞していた八木にとってはかえって痛いところを突かれたものと思われます。そうした、無理な信仰帰依も含めて、発表の意図はなかったとはいえ自選によって構成された「信仰詩篇」までの手稿詩集とは違う、生の日記帳である病床詩稿ノートでは八木自身の死への不安、家庭への愛着、自家撞着すら見られる過度の信仰への傾斜がいっそう生々しく記されており、独立した詩篇として鑑賞できる詩篇は一握りしかないながら6篇は「詩之家」に発表され『貧しき信徒』にも収録されているという具合に、八木の家集としてはもっとも振幅の大きい異色の未発表ノートとなっています。大正15年3月~5月の2か月で117篇もの詩篇が書かれたこの「ノオトA」のあと、病状の悪化した八木は最後の力を振りしぼって書かれた同年12月の最後の病床ノート「ノオトE」までめぼしい詩作はほとんどなくなるので、これら最晩年の病床ノートを作品としての詩として読むのは八木に対しても不当でしょう。しかし「A」から「E」までの5冊の病床ノートは、それでも病状の限界まで詩人であろうとした八木重吉の畢生の遺作であって、こうした遺作を作品的価値で測るのはほとんど無意味であり、ここには八木重吉という人の生きた証のすべてが凝縮されています。前回・今回と併せて「ノオトA」全編をご紹介するゆえんです。なお「ノオトA」の収録詩篇の大半は「〇」の無題詩なので、前回同様通し番号を振りました。

 ノオト A
 主の年 一九二六年三月十一日
 (春)
 (全117篇中後半58篇)

 60. 〇

私はくるしい
私は怖ろしい
私は自分がたより無い
私は基督に救ってもらいたい
それが最后のねがひだ

 61. 〇

みんな寝てゐる
妻も 桃子も 陽二も
みんな ぐったり疲れて 寝てゐる
私はそれを見て勇気が出た

 62. 春

ちさい堀を
八つ目鰻がながれてゆく

 63. 春

ひとつの田から
もひとつの田へとながれてゆく水
わづかの勾配をおちてゆく水

 64. 春

このこころ
このこころ
明日になれば私も知らないこころ
ほかの人が知ってくれないにきまってゐるこころ

 65. 〇

神とひとつに生き
そしてどこに怒りがあるか

 66. 〇

許しうるものを許す
それだけならばどこに神の力が要るか
人間に許しがたきを許す
そこから先きは神のためだと知らぬか

 67. 〇

後悔に腹ばひ
自らを殺すことをそっと考へてゐた

 68. 〇

これ以上の怖れがあらうか
死ぬるまでに
死をよろこび迎へるだけの信仰が出来ぬこと
これにました怖れがあらうか

 69. 〇

この心をたれも知ってくれぬのか
この すべてを投げだしたくるしみ
神さまのまへに自分をほうり出したくるしみ
私が苦るしんでゐるとだけでも知ってくれぬのか

 70. 〇

それよりも怖ろしいものがある
死にきれぬ不信だ

 71. 〇

自分をむちうち
自分を殺すようにむちうち
ほっと息をついたとき
たれも私をかへりみてくれないなら
私の根と精はつきるだらう

 72. 〇

死んでもいいのだ
安らかに死んでゆけるものなら
いつ死んでもいいのだ

 73. 〇

私は何のために生きてゐる?
私はなにをもがいてゐる?
私はなにをもとめてゐる?
私のもとめてゐるものが空虚であったら!
私のもとめる力が要するに足りなかったら!

 74. 〇

この翼
妻を掩わうとするこの翼
子を掩わうとするこの翼
おまへたちはこの翼が何んであるのか知らないのか

 75. 〇

信ずる者が
自分の信を信ぜぬ時
私はもはや生を信じ得ない

 76. 〇

死のうかと
平らかに思ふのだ
のぞみを失った人にもっと生きてゐろとは云へないのだ

 77. 〇

私が
すべてを見せれば見せるほど
私をわかってくれぬなら
私は怒らぬときは私はだまってゐるのだ

 78. 〇

痩せた手をながめ
あぢ気ない命だとおもってゐた

 79. 〇

私がくるしんで北野は何の為めだ
一人の妻
その妻が自分を信ぜぬなら
私の半生の純潔へのあくがれと努力はむなしかったのだ
自分のこの努力
これを信じてくれぬなら私はだまる外は無い
私には結婚といふものがわからなくなる

 80. 〇

私は
自分の貞潔にたいして
処女のごとくきびしくまたはげしく努力してゐる
私は真に全力をつくしてゐる
私はその努力といふ点について
神の前であきらかに云へる
私の努力を万一神さまが認めて下さらぬときでも
私は自分の最全をつくした安心をもって神のさばきの前に立てる

 81. 〇

妻が私を信ぜぬとき
妻が私を慰めてくれぬとき
私のとるべき道は二つある
死か
悪魔になるか--その二つである

 82. 〇

私の世界はせまい
私の多くの友の世界はひろい
私には妻が生活のすべてに近い
妻が私を信ぜぬとき
世界のすべてが私を信ぜぬようにおもわれる 

 83. 石

ながい間からだが悪く
うつむいて歩るいてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがってゐた
 (「詩之家」大正15年5月)
 (『貧しき信徒』「石」初稿)

 84. 十 字 架

葦の折ったのを持って遊びほうけてゐた桃子が
ふとそれを二つに折って妻に紐でしばらせてゐる
おや十字架をつくった
私が床の間へ
自分でつくった白木の十字架をつるしておいたのをいつの間にか覚えたのか
桃子はそれを庭の土を掘ってうんうんうなり乍らたててゐる

 85. 春

原へねころがり
何にもない空を見てゐた
 (「詩之家」大正15年5月)
 (『貧しき信徒』「春」初稿)

 86. 〇

救われてゐるのだから
ただ有難いとおもへばいいのだ
御恩返へしのつもりで
他の人人をすこしも憎まなければいいのだ

 87. 〇

このさびしさを誰れに告ぐべきか
神に告ぐべし

 88. 〇

しどめの花を家へもって行くと
火事になると子供の時分聞いてゐたが
いかにも本当らしく
いい花だったけれど取ってこなかった

 89. 春

こんな 桜や 草花を毎年見て
いつまでも生きていたいものだ

 90. 雲 雀

雲雀のこえには
つい聴き惚れてしまふ

 91. 鶯

朝はやく鶯の声を聞くと
障子の向ふがあかるくなったように思われる

 92. 雀

雀が
枝をつかんで桜にとまってゐる
もうぢき芽ぐみそうな枝だ

 93. 春 (天国)

天国には
もっといい桜があるだらう
もっといい雲雀があるだらう
もっといい朝があるだらう

 94. 麦

麦の青んだのを見て
めいった気持が幾度らくになったか知れない

 95. 夢

夢をひとつも見ず
昼間はありがたい気持ですこしも隙がなく
だんだんはっきり基督のことを考へたい

 96. 春 の 朝 (私) (朝)

朝眼を醒まして
自分のからだの弱いこと
妻のこと子供達の行末のことをかんがへ
ぼろぼろ涙が出てとまらなかった
 (「詩之家」大正15年5月)
 (『貧しき信徒』「春」初稿)

 97. 私

どうせ短い命であらうとも
出来るかぎりうつくしい気持で生きとほしたい

 98. 春

夕方の赤るんだ空
私の心がやすらかになる空

 99. 春

黒い犬が
のっそり縁側のとこへ来て私を見てゐる
 (「詩之家」大正15年5月)
 (『貧しき信徒』「春」初稿)

 100. 夢

夢はみんな詩だ

 101. 〇

秋の気持ちがわかると
ぢき秋はなくなってしまふ
冬のきもちもそうだった
まだ春のきもちがはっきり分らない

 102. 〇

ゆるされ難い私がゆるされてゐる
私はこれも無条件でゆるさねばならぬ

 103. 〇

人生はいつ たのしいか
気持がひとつになり切った時だ

 104. 花

花はなぜうつくしいか
ひとすぢの気持で咲いてゐるからだ

 105. 子供 (一生懸命)

子供になぜ惹かれるか
子供は
善いことをするにも
悪るいことをするにも一生懸命だ

 106. 〇

本当にうつくしい姿
それはひとすぢに流れたものだ
川のようなものだ

 107. 〇

深い人生よりももっといい人生
それは個に徹した人生だ
浅くもなく深くもなく
浅ければ浅いまゝに
深ければ深いまゝに
力をつくして残無い人生だ

 108. 〇

基督になぜぐんぐん惹かれるか
基督自身の気持が貫けてゐるからだ

 109. 〇

ただ好きになれといふ
よい言葉だ

 110. 桜

綺麗な桜の花をみてゐると
そのひとすぢの気持にうたれる
 (「詩之家」大正15年5月)
 (『貧しき信徒』「桜」初稿)

 111. 〇

尊いもの
それは真直ぐにみつめた姿だ

 112. 〇

人を打つもの
それは巧な智慧ではない
素直な信ばかりだ

 113. 春 の 夜

桃子はお湯に入れて
おもちやの金魚の眼が
巨きくて怖いって泣いてゐる

 114. 春 の 夜

陽二は
お湯から上って
腹をたたきながら
にっこらにっこら歩るきまわってゐる

 115. 〇

一念に主を
呼ぶべし

 116. 春

縁側へしやがんで
夕陽が庭へ落ちたのを見てゐた

 117. 春

しどめの花のそばへ
によろによろっと
青大将を考へてみな
 (「詩之家」大正15年5月)
 (『貧しき信徒』「無題(赤いシドメのそばへ)」第二稿)

(以上「ノオト A」全117篇中後半58篇)

(書誌・引用詩本文は筑摩書房『八木重吉全集』により、かな遣いは原文のまま、用字は現行の略字体に改めました。)
(以下次回)