八木重吉の晩年詩稿(5)・「病床ノオトA」前編 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

八木没後の遺族、昭和2年(1927年)
登美子夫人(22歳、1905-1999、享年94歳)、
長女桃子(4歳半、1923-1937、享年14歳)、
長男陽二(2歳半、1925-1940、享年15歳)、
登美子の母イト、
八木重吉・明治31年(1898年)2月9日生~
昭和2年(1927年)10月26日没(享年29歳)
婚約申し込みの時の見合い写真、
大正10年(1921年)、23歳
婚約式、大正11年(1922年1月)、
八木23歳、登美子夫人16歳、
後列左から島田慶治(登美子兄)、
媒酌人・内藤卯三郎、八木藤三郎(重吉父)
 八木重吉(1898-1927)の没後55年の昭和57年(1982年)にようやく刊行された『八木重吉全集』全三巻(筑摩書房刊)で明らかにされ、その全編が収められた通り、八木重吉(1898-1927)の第二詩集 『貧しき信徒』は以下の手稿小詩集・手稿ノートから公刊詩集として編まれたものです。

[ 詩集『貧しき信徒』収録詩篇初出小詩集一覧 ]
◎は『貧しき信徒』収録詩篇初稿収録
●は『貧しき信徒』収録詩篇未収録
1◎詩稿 桐の疏林 (大正14年4月19日編) 詩48篇、生前発表詩4篇、『貧しき信徒』初稿1篇初出
2◎詩稿 赤つちの土手 (大正14年4月21日編) 詩39篇、『貧しき信徒』初稿なし
3◎春のみづ (大正14年4月29日編) 詩8篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿なし
4◎詩稿 赤いしどめ (大正14年5月7日編) 詩32篇、生前発表詩1篇、『貧しき信徒』初稿2篇初出
5◎詩稿 ことば (大正14年6月7日) 詩67篇、生前発表詩9篇、『貧しき信徒』初稿7篇初出
6◎詩稿 松かぜ (大正14年6月9日) 詩18篇、『貧しき信徒』初稿なし
7◎詩稿 論理は熔ける (大正14年6月12日) 詩37篇、『貧しき信徒』初稿なし
8◎詩稿 美しき世界 (大正14年8月24日編、「此の集には愛着の詩篇多し、重吉」と記載) 詩43篇、生前発表詩10篇、『貧しき信徒』初稿11篇初出
9◎詩・うたを歌わう (大正14年8月26日) 詩27篇、生前発表詩1篇、『貧しき信徒』初稿7篇初出
10◎詩・ひびいてゆこう (大正14年9月3日編) 詩21篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
11◎詩・花をかついで歌をうたわう (大正14年9月12日編、「愛着の詩篇よ」と記載) 詩34篇、生前発表詩6篇、『貧しき信徒』初稿8篇初出
12◎詩・母の瞳 (大正14年9月17日編) 詩24篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿5篇初出
13◎詩・木と ものの音 (大正14年9月21日編) 詩24篇、生前発表詩1篇、『貧しき信徒』初稿1篇初出
14◎詩・よい日 (大正14年9月26日編) 詩41篇、生前発表詩2篇、『貧しき信徒』初稿なし
15◎詩・しづかな朝 (大正14年10月8日編) 詩40篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿2篇初出
16◎詩・日をゆびさしたい (大正14年10月18日編) 詩34篇、生前発表詩7篇、『貧しき信徒』初稿6篇初出
17◎雨の日 (大正14年10月編、自薦詩集、推定約20篇・現存10篇、既出小詩集と重複)
18◎詩・赤い寝衣 (大正14年11月3日) 詩43篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿6篇初出
19◎晩秋 (大正14年11月22日編) 詩67篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
20◎野火 (大正15年1月4日編) 詩102篇、生前発表詩7篇、『貧しき信徒』初稿7篇初出
21◎麗日 (大正15年1月12日編) 詩32篇、生前発表詩6篇、『貧しき信徒』初稿4篇初出
22◎鬼 (大正15年1月22日編) 詩40篇、生前発表詩2篇、『貧しき信徒』初稿2篇初出
23◎赤い花 (大正15年2月7日編) 詩54篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
24◎信仰詩篇 (大正15年2月27日編) 詩115篇、生前発表詩9篇、『貧しき信徒』初稿9篇初出
25◎[ 欠題詩群 ] (大正15年2月以後作) 詩29篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
26●[ 断片詩稿 ] (推定大正14年作) 詩15篇、『貧しき信徒』初稿なし
27◎ノオトA (大正15年3月11日) 詩117篇、生前発表詩6編、『貧しき信徒』初稿6篇初出
28●ノオトB (大正15年5月4日) 詩19篇、『貧しき信徒』初稿なし
29●ノオトC (大正15年5月) 詩5篇、『貧しき信徒』初稿なし
30●ノオトD (大正15年6月) 詩24篇、『貧しき信徒』初稿なし
31◎ノオトE (昭和元年12月) 詩29篇、生前発表詩2篇、『貧しき信徒』初稿5篇初出
32●『貧しき信徒』未収録生前詩誌発表詩篇29篇
33●没後発表詩篇 (原稿散佚分) 詩38篇、『貧しき信徒』初稿なし
◎貧しき信徒 (昭和3年=1928年2月20日野菊社刊) 詩集初出詩篇2篇

 一方八木の晩年の病状の推移は以下の経過をたどります。

・大正14年(1925年)11月~12月、晩秋から冬にかけて体調の不調を自覚する。
・大正15年(1926年)1月~2月、風邪でしばしば勤務(千葉県柏市公立旧制中学校英語教師、現在では高等学校に相当)を休んで寝こみがちになり、受診。
・大正15年3月、結核第三期発症の診断。発熱と体調不良が続き、病床に就く。
・大正15年5月~7月、正式な有給休職を許され神奈川県茅ヶ崎市の総合病院に入院。
・大正15年7月退院ののちは茅ヶ崎市の自宅で療養に専念。
・大正15年10月、発熱による重篤状態に陥り以後絶対安静。以降ほとんど執筆不可能に陥る。大正15年12月、昭和元年に改元。
・昭和2年(1927年)春~初夏、病床で夫人登美子の協力により第二詩集『貧しき信徒』編纂。
・昭和2年10月26日逝去、享年29歳(満29歳8か月)。
・昭和3年(1928年)2月、又従兄弟・加藤武雄により遺稿詩集『貧しき信徒』刊行。

 これまでも、結核罹患直前の手稿詩集「晩秋」から、八木自身の記載では大正15年2月とされるも、収録詩篇内容から同年5月~7月の入退院を経て加筆編纂されたのがほぼ確実な「赤い花」「信仰詩篇」までをご紹介し、さらに同時期の創作ながら手稿詩集にまとめられなかった「[ 欠題詩群 ]」と「[ 断片詩稿 ]」をご紹介してきました。

 今回からご紹介する、病床で書かれた「ノオト」のA~Eはこれまでの八木自身の編纂を経た手稿詩集とは異なり、市販のノートブックに病臥しながら書き継がれたものです。詩稿ノートの形をとっていますが実質的には詩形式の日記帳として書かれたものであり、後からの挿入の可能性もなしとは断定できませんが、ノートの記載順がそのまま創作順と見ていいでしょう。見やすさのために詩篇ごとに通し番号を振りましたが、無題(「〇」)が大半を占め、もとより発表の意図はなかった八木の手稿詩集は日記的性格が強いものでしたが、「ノオト」A~Eはほぼ完全に詩の形式で書かれた日記と言っていいものです。大正15年3月11日付けの「ノオトA」が117篇、大正15年5月4日付けの「ノオトB」(つまり「ノオトA」は3月から5月まで書かれ、「ノオトB」に移ったということです)が19篇、同じ大正15年5月付けの「ノオトC」が5篇、大正15年6月付けの「ノオトD」が24篇、大正15年=昭和元年12月付けの「ノオトE」が29篇で、大正15年10月の重篤・絶対安静状態で八木が残した最後の「ノオトE」に詩集『貧しき信徒』に6篇が採択されたのは、もはや自力では寝返りも打てなくなっていた八木の最後の尽力をうかがわせます。まずご紹介する「ノオトA」は大正15年3月の発症判明から5月の入院までの2か月間のノートのため、分量では全103篇収録の第二詩集『貧しき信徒』を上回る117篇もの詩篇が書きとめられています。今回に前半59篇、次回で後半58篇をご紹介しますが(詩篇番号は便宜のため振ったものです)、八木最晩年の病床ノートは詩と日記のはざまにある、特異な性格であることを念頭に置いて読んでいただけたら幸いです。

 ノオト A
 主の年 一九二六年三月十一日
 (春)
 (全117篇中前半59篇)

 1. 〇

草はひとすぢの気持ちを外らさぬ
深く教へられる

 2. 今 日

瞳を輝かし
今日一日をありがたいとおもって暮そう

 3. 私

人が私を褒めてくれる
それが何だらう
泉のように湧いてくるたのしみのほうがよい

 4. 〇

今日一日をおしいただけ
明日が何のかかわりがあらう
昨日が何にならう

 5. 楓

楓の若芽は赤味があってやさしい

 6. 願

私は
基督の奇蹟をみんな詩にうたいたい
マグダラのマリアが
貴い油を彼の足にぬったことをうたいたい
出来ることなら
基督の一生を力一杯詩にうたいたい
そして
私の詩がいけないとこなされても
一人でも多く基督について考へる人が出来たら
私のよろこびはどんなだらう

 7. 声

お前が癒してもらへるとさへ思へば
すぐにお前をなほしてやる
こういふ声がかすかにきこえます

 8. 私

御飯をたべるまで
御飯をたべ切ってのち
いつも寂しいのは何故だらう

 9. 〇

何も云ひわけする必要もない
議論する必要もない
ただ信じ
ただ信仰を述べたらいい

 10. 自 分 へ

信仰を述べられなかったら
何故 愛をもって対しないのか

 11. 仕 事

信じること
キリストの名を呼ぶこと
人をゆるし 出来るかぎり愛すること
それを私の一番よい仕事としたい

 12. 〇

やさしさ
謙遜な心
すなほな信仰
それは浅くても尊い

 13. 〇

イエスの名を呼ぶこと
イエスの像を心に描くこと
イエスについて人に述べること
出来るかぎり人をゆるし人にやさしくし
素直ほな瞳をもちつづけること
そういふことを趣味にしたい
結局いつもそこへ考へが落ちてゆくようにしたい
ものの尺度がそこへ落ちてゆく様にしたい
イエスに近づく為めに最后の一銭を支払うことが出来るようになりたい

 14. 〇

詩をつくり詩を発表する
それもそれが主になったら浅間しいことだ
私はこれから詩のことは忘れたがいい
結局そこへ考へがゆくようでは駄目だ
イエスを信じ
ひとりでに
イエスの信仰をとほして出たことばを人に伝へたらいい
それが詩であらう
詩でなかったら人にみせない迄だ

 15. 〇

イエスを信ずること
それを一番の楽しみにしたい
ひとりでに力が出てくる位たのしみたい

 16. 此 の 室

たれか此の室へ入って来て
うれしい事を云ってくれるような気がする

 17. 桜

花はいいもんだいいもんだと聞いたことも無く
ひょっこり見たら桜はもっとしんみり美しいだらう

 18. 春

どんよりした空を
雲が早くとぶのはさみしい

 19. 〇

妻をいたわり
子供を大事にし
母に孝行をつくし
そして――そして何のむつかしいことも無い

 20. 〇

いたづらに死を怖れるのは
神に対する不信であって それは罪だ

 21. 油 絵

油絵を描く唯一の秘訣
それは充分絵具をパレットの上でまぜ合せ
堕落するほど濁らせないで
それを素直ほに大胆に無心に
カンヴァスの上に置いてゆけばよい
一旦筆をカンヴァスに落したら
感激のない小さなイヂクリは禁物、

 22. 火 (春)

手のうちに火をもってゐて
すぐ投げつけるような鋭い気持もある

 23. 芽

からだが悪いので
いらいらして 外へ出てみたら
いかにもよい日和で
小さな庭桃のような木が芽ぐむでゐてうれしかった

 24. 桃 子

今日は馬鹿にきりようのいい桃子
きれいな着物なんか着て
私は丈夫でゐてお前を一人前にそだてあげたいんだ

 25. 天 気

天気のいい昼間
日向へあるいて行って
じっとしてゐると
涙がにじんで来る

 26. 夜

夜中に起きて
子供をはばかりにてれてゆき
風が吹いてゐるのをきいておもった事
不図おもったのだけれど本当にありがたかった事

 27. 〇

うへのほうに
頼りになるものがある
軽いような光ったような
私はそのほうから巨きな手をかんずる
私の胸を抑へて
さあ強くなれとひっぱってくれる

 28. 夜

夜中に眼をさました
私が
花の中にあやされてゐる

 29. 感 謝

私は幸な人だ
信仰が弱ければ
神が私に病をくだすった
そしてまっすぐな見方をおしへて下さる
わたし今死んでも満足ですと云ふ妻がある
桃子と陽二がゐる
自分はいままでの生だけでも福な生をうけたのだ

 30. く も

すこうし芽ぐんだ芝のうへを
くもが流れてゐる

 31. 春

青空で
松がなってゐる
そばへゆくと気持が楽になる

 32. 春

ひどい風が
朝から埃をもくもく吹いてゐた
それが長すぎ急に止んだので
庭に出てぼんやり考へてゐた

 33. 春

病気してゐて
すこし気分がいいので
外へ出てみたら
なんだか
こまかあい芽がたくさん枝についてゐてうれしかった

 34. 天 気

朝天気がいいと
自分のからだを外へほうり出して
思ひっきりたのしみたい

 35. 〇

からだが悪るいとき
きれいに手拭でふいて
桃子の顔が
くりくり可愛いのがどんなに切ないことか

 36. 雪

我慢してゐるだらうけれど
そうには違いないだらうけれど
すぐに消えかかる
春の雪は耐らないだらう

 37. 願

丈夫で
長生きをしたい
そして子供等を一人前に育てあげたい

 38. 〇

考へてゐると
どうしても欲しいといふものがなくなってしまふ

 39. 〇

消化れのよい
滋養分の多い食べものをたくさんたべ
陽あたりのいいとこで一日中遊んでゐたい

 40. 酒

耶蘇が
そっと手をふれたら
水が酒になった
そして婚礼の席がにぎやかになった

 41. 眼

盲の眼に手をつけ
基督が
開けと云ったら
すぐに眼が癒ってしまった

 42. 手

手がなえて動かせない人が
基督にさわってもらい
さあ癒ったと云ってもらったら
すぐに手がようく働いて来た

 43. 称 名

わからなくなった時は
耶蘇の名を呼びつづけます
私はいつもあなたの名を呼んでいたい

 44. 解 決

基督が解決しておいてくれたのです
ただ彼の中へはいればいい
彼につられてゆけばいい

 45. 〇

何の疑もなく
こんな者でも
たしかに救って下さると信ずれば
ただあり難く
生きる張合がしぜんとわいてくる

 46. 〇

むつかしい路もありませう
しかしここに確かな私にも出来る路がある
救ってくださると信じ
私をなげだします

 47. 春

天気のいい日は
別物のようにからだの工合がよい

 48. 〇

深刻な考へになるにしても
私は病むのはおそろしい
丈夫でゐたい
そして信じてゐたい

 49. 〇

からだが快くなってゆく
そのことだけをおもって
独りでゐる

 50. 〇

家中みんな寝てゐる
私は庭へ下りて考へてゐた

 51. 春

二つ合せた手がみえる

 52. 〇

基督が私を救って下さる
今死んでも天国にゆける
私は価無くて救われたのだ
私もすべての人を無条件でゆるそう

 53. 春

あの熱はどこへ行ったんだらう
私はたしかに丈夫になってゆく
そはそはと外を歩きたくなった

 54. 〇

病気すると
よくあんなに何も欲しくないんだらう
あれでもくらせるのだ
なぜふだんはいろいろ欲しいのだらう

 55. 〇

恩を返へす気持
ありがたい
一生懸命恩返しをしようといふ気持

 56. 顔

自分の顔を鏡にうつして
なぜ私はもっとよい人になれぬのかと思った

 57. 雲 雀

雲雀がないてる
私だって
気持にわだかまりの無いときはお前のようだ

 58. 手 紙

いつまでも
同じような気持の姉の言葉

 59. 太 陽 (日)

日をまともに見てゐるだけで
うれしいと思ってゐるときがある
 (「詩の家」大正15年5月)
 (『貧しき信徒』「太陽」初稿)

(以上「ノオト A」全117篇中前半59篇)

(書誌・引用詩本文は筑摩書房『八木重吉全集』により、かな遣いは原文のまま、用字は現行の略字体に改めました。)
(以下次回)