『ハラキリ』(監=フリッツ・ラング、ドイツ, 1919)
のちの巨匠フリッツ・ラング(1890-1976)監督作品第4作の本作は、日本が舞台の、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』1904(これは新派歌舞伎で名を上げた川上音二郎・貞奴夫妻の川上座がドーデ原作の『サッフォー』の新派歌舞伎化の1901~1902年にドイツを含む欧州公演に着想されたと言われます)の翻案とも、1915年の『蝶々夫人』映画化のリメイクと言えるもので、日本と中国とインドと帝政ロシアを混同した上に歴史考証も勘違いだらけの美術や衣装、描写でも珍作として名高く、ドイツ本国公開当時に日本公開のための資料取り寄せ(売り込み)もあったようですが当時の公開は見送られました。やはりアメリカ上映版(国際版)が日本には送られてきたらしく、当時の文献での原題は『Madame Butterfly / Harakiri』となっています。ラングのエキゾチック趣味がサスペンス風味の悲劇メロドラマで披露された作品として、これも試行錯誤期のドイツ映画の傾向を示す興味深い怪作と言え、大正時代の日本の配給元はあきれて試写会すらせずに送り返したようで、当時のキネマ旬報近着外国映画紹介にはデータしか残っていませんが、平成26年(2014年)にもなってラング初期作品の特集上映が行われた際に一応日本初公開作とされごく短くキネマ旬報映画データベースに記録されました。以下のようなものです。毎度ながらネタバレがお嫌いの方は先にリンクから本編の鑑賞をお勧めしますが、こうした古典的作品にご興味をお持ちの方は映画表現の次元で作品をご覧になるでしょうし、ネタバレ云々は気にされないのではないかと思います。

[ 解説 ] サイレントからトーキー初期に至るドイツ映画を代表する監督フリッツ・ラングの初期作品。オペラ『蝶々夫人』を翻案し、長崎を舞台に当時の東洋観を読み取れる作品。日本劇場未公開だったが、2014年8月2日、シネマヴェーラ渋谷にて上映された。監督; フリッツ・ラング、脚本; デイヴィッド・ベラスコ、原作; マックス・ユング、製作; エリッヒ・ポマー、撮影; マックス・ファッスベンデル/カール・ホフマン、出演; パウル・ビーンスフェルト/リル・ダゴファー/ゲオルク・ヨーン/マインハルト・マウル/ルドルフ・レッティンゲル
[ あらすじ ] 長崎を舞台に、美しい大名の娘・おたけさんの波乱万丈の人生を描く。
――本作も'80年代にオランダでアルメニア上映版プリント(!)が発見されるまで散佚作品とされていました。現行ヴァージョンは1987年の修復版です。キネマ旬報の紹介では「あらすじ」にもなっていませんから細かくあらすじを追うと(滅茶苦茶な人名はローマ字表記の通りです)、西洋視察から帰国した父のダイミョー・トクヤワ(パウル・ビーンスフェルト)が、令嬢オタケサン(リル・ダゴファー)にヨーロッパみやげを贈るシーンから映画は始まります。テディベアとか反物とか他愛のないものですが、それをプリースト(ゲオルク・ヨーン)が西洋文物密輸の罪状でエンペラー(!)に密告し、トクヤワはエンペラーの勅令でハラキリをして自害します。オタケサンは茶屋経営者のアラキ(エルナー・ヒプシュ)にプリースト(本作のプリーストは日本の仏僧というより帝政ロシア時代のギリシャ正教僧侶のようなイメージです)の手下カラン(ルドルフ・レッティンゲル)の斡旋で、侍女ハナケ(ケーテ・キュスター)ともどもゲイシャ(茶店にゲイシャとはいったいどういう誤解でしょうか)として売られますが、日本駐在中のヨーロッパ某国の海軍青年将校オラフ(ネルス・プレン)と恋に落ち、水揚げ金で999日間だけゲイシャの身を解かれます。しかし青年将校は999日の期日も待たずに祖国に呼び戻されてしまい、元々の婚約者(ヘルタ・ヘデーン)と結婚します。オタケサンはオラフとの間に生まれた息子(ローネ・ニスト)を育てながらオラフの帰国を待ち、オタケサンを恋するワカトノ・マタハリ(マインハルト・マウル)が再婚を申し込んでも応じません。999日の期限もあとわずかの頃に、将校から外交官に出世したオラフは新妻と再び日本に赴任して来ます。それを知ったワカトノ・マタハリは再びオタケサンに再婚を申し込みますが、オタケサンはオラフの結婚を信じません。ワカトノに事情を打ち明けられた新妻はオタケサンを訪ねて真実を告げ、もうじきゲイシャに戻らねばならないオタケサンは絶望します。新妻はオラフと相談し、オラフとオタケサンの間に生まれた赤ちゃんを引き取りましょうと戻りますが、訪ねてきた夫妻に子供を託した隙にオタケサンは自室の和室で父の遺品の短刀でハラキリをして果てます。
そのようにすごい話なのが『ハラキリ』で、サイレント時代の映画で日本人を描いた作品では、サディストの日本人美青年商社マン(早川雪洲)が放蕩家の有閑マダム(ファニー・ウォード)に夫に秘密で大金を貸した代価に焼き印を捺し脅迫するセシル・デミルの『チート』1915(アメリカ国立フィルム登録簿永久保存作品)がサイレント時代の代表的国辱ハリウッド映画として名高い作品ですが、同じ荒唐無稽な話でもデミルの描いたロサンゼルスの日本人は、金と焼き印(!)でアメリカ人マダムへの優越感を愉しむ成り上がりモンゴル系人種のサディズムというとんでもないドラマではあっても、あくまでそれは同作の主人公特有のキャラクターであり、人種混交社会の実態を理解した上での描写というリアリティに歴史的名作とされるだけの価値がありました。『ハラキリ』の日本はセットはなかなか立派ですが、日本に見えるかというと唐代の中国とインドと帝政ロシアが混ざったような異様な景観で、人名や身分制度の理解は滅茶苦茶、美術考証も女性の着物が左前なのを筆頭に甘く、キャストも全員ドイツ映画俳優が演じていることもあり、オタケサン役のリル・ダゴファーは'20年代前半のデクラ社のトップ・スター女優(前回ご紹介した『蜘蛛 第1部:黄金の湖』や、『カリガリ博士』のヒロイン)ですがどう見ても日本人女性には見えません。映画的虚構だからと寛容に見ても(そもそも女性まで切腹する設定も変ですが)、いったいこれはいつの時代のどんな日本でしょうか。怪僧(プリースト)などまるでラスプーチンのようなイメージですし、エンペラー(!)の勅命で即自害とは徳川時代をイメージしたものだとしたら、とっくに西洋と交易のある日本ということになっているのが変ですし、そもそもゲイシャの概念すら怪しく、エンペラー(天皇?)の勅令で自害とはいつの時代の日本でもありません。
要するに本作の日本は漠然と20世紀初頭のヨーロッパ人の思い浮かべた日本のイメージから作り上げた架空の異国なので、ダイミョーとかワカトノとはヨーロッパ人の考える貴族の概念を日本語に当てはめただけでしょう。その割にはダイミョー令嬢オタケサンが怪僧の一存で茶屋にゲイシャに出される、なんだかよくわからない身分構造になっているのですが、森鴎外のドイツ留学(1884年)から35年あまり経った1919年でもドイツでは大衆向けの日本のイメージはこんなものだった、と納得して見れば面白い作品です。散佚して観ることのできないフリッツ・ラングの初期2作『混血児』『愛のあるじ』の悲劇メロドラマ作風の想像もつきます。前作のアドベンチャー・スペクタクル映画『蜘蛛 第1部:黄金の湖』になくて『ハラキリ』にあるのは屋内セットの左右対称の構図で、日本間だから左右対称が決まりやすいというのもありますが、ラングの作風が確立した1921年の第8作『死滅の谷』以降の作品には左右対称の構図が緊張感を高める局面で符丁のように出てきます。本作は珍品の怪作には違いありませんが映像美や演出だけは優れており、実物を観て初めてホッとするスリリングな1作でしょう。また左右対称の構図とともに、本作にも「陰謀」と「タイムリミット」(999日間!)というフリッツ・ラングの二大テーマが出てくるのはこんな映画でもラングだなあ、と思わされ、またラングはキャラクターの掘り下げが実にいいかげんな、フィクションのキャラクターなどドラマの駒として済ませる癖があり、本作で言えば男性主人公の青年将校(外交官)オラフなど実にひどい奴ですが、そういう役割の人物として描かれているだけのようなぞんざいさが映画に人間性など不要、センセーショナルなドラマさえあればよい(それでも傑作の場合は爆発的にエモーショナルな映画を作ってしまう巨匠)という、老獪冷血映画魔人のラングらしいハードボイルドさでもあります。
本作もメロドラマとはいえラング作品ならではのヒロインの悲劇を描いたサスペンス映画演出であり、ハリウッド作品19作目の田舎町の漁村を舞台にした正真正銘不倫メロドラマの『熱い夜の疼き (Clash by Night)』1952も演出は得意のサスペンスですが、人間性の洞察の深さによってメロドラマの傑作になり、ブレイク前のマリリン・モンロー(ヒロインの義妹役)の健康的な魅力とあいまって知られざる名作になっているのとはさすが30年あまりの年季の差を感じさせます。ちなみにダイミョー・トクヤワのセップクは字幕タイトルだけで済まされ、オタケサンのハラキリも短刀をかざしたオタケサンのカットの次に外交官夫妻が駆けつけると倒れている、という具合に直接は描かれません。ラングにはサイレント後期の大作『スピオーネ (Spione)』1928(もう昭和3年の映画です)にも日本人外交官がハラキリして果てる場面(こちらはかなり具体的な切腹場面が長々と描かれます)が出てくるので、観較べる面白さもあります。
◎Spione - highlights (Germany, 1928) :