八木没後の遺族、昭和2年(1927年)
登美子夫人(22歳、1905-1999、享年94歳)、
長女桃子(4歳半、1923-1937、享年14歳)、
長男陽二(2歳半、1925-1940、享年15歳)、
登美子の母イト、
登美子夫人(22歳、1905-1999、享年94歳)、
長女桃子(4歳半、1923-1937、享年14歳)、
長男陽二(2歳半、1925-1940、享年15歳)、
登美子の母イト、
昭和2年(1927年)10月26日没(享年29歳)
大正10年(1921年)、23歳
八木23歳、登美子夫人16歳、
後列左から島田慶治(登美子兄)、
媒酌人・内藤卯三郎、八木藤三郎(重吉父)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210719/11/fifth-of-july/33/b3/j/o0847108014974283336.jpg?caw=800)
今回も前数回の続きで、八木重吉(1898-1927)の手稿詩集「信仰詩篇」(八木自身の記載では大正15年2月27日編)の収録詩篇を、題材・内容から四つの分類に分けて読み返していくことにします。「信仰詩篇」前半58篇は、筆者の読むところ、
●a)闘病下の信仰告白詩……8篇
●b)日常・自然嘱目の心境詩……18篇
●c)家庭生活・妻子への愛の詩……12篇
●d)闘病生活の心境詩……20篇
――に分かれました。題材・内容にも重複があり、aからdまでの複数にまたがる詩篇もありますが、詩篇ごとの力点から分けたものです。同じ基準で「信仰詩篇」後半の57篇を分類すると、筆者の私見では、
●a)闘病下の信仰告白詩……10篇
●b)日常・自然嘱目の心境詩……19篇
●c)家庭生活・妻子への愛の詩……16篇
●d)闘病生活の心境詩……12篇
――となります。これを前半58篇と足すと、
●a)闘病下の信仰告白詩……18篇
●b)日常・自然嘱目の心境詩……37篇
●c)家庭生活・妻子への愛の詩……28篇
●d)闘病生活の心境詩……32篇
――となり、比率からも特に「信仰詩」に重きを置かれた詩集とは言えないのです。これは八木にとっては明確にキリスト教への信仰告白を詠んだ18篇のみならず、この時期のすべての詩作を八木なりの「信仰詩篇」と見なしていたということでしょう。八木にとっては家族への愛も、自然への愛も、また闘病生活下の心境も信仰だったということです。また、うち生前詩誌発表詩、詩集『貧しき信徒』収録詩篇はaからは1篇もなく、主にb, c群から採られているのは注目すべきでしょう。a, bが外的なテーマに基づいた詩群とすれば、c, dは内的なテーマを詠った詩群と見なせ、a, bの合計が55篇、c, dの合計が60篇とほぼ均等なのは、一見素朴で日記的な手稿詩集でさえも、八木自身には意識的な詩篇の書き分けがあったのをうかがわせます。八木のような特異な短詩型詩人の場合、手稿詩集収録詩篇さえも(むしろ手稿詩集だからこそ)詩篇単位でなく詩集単位での精読によって初めて見えてくるものがあるのです。
そこで、今回は、この分類に基づいた外的テーマの詩群、
●a)闘病下の信仰告白詩……18篇
●b)日常・自然嘱目の心境詩……37篇
--を読み直してみます。なお詩篇ごとに元の「信仰詩篇」での収録順番号を振り、また詩篇末に「※窓さきへ来て→窓さきのヒバの枝をつかんで」などと注記のあるものは、八木の遺稿に二案が記されていたためどちらが定稿か決定しがたい箇所です。「信仰詩篇」をひもとくならば、より一般的な読者に理解しやすいのはキリスト教信徒としての「a)闘病下の信仰告白詩……18篇」よりも「b)日常・自然嘱目の心境詩……37篇」なのですが、八木自身が手稿詩集「信仰詩篇」を「a)闘病下の信仰告白詩」から始めているからには、八木の意図をくんで信仰告白詩から検討していきたいと思います。信仰告白詩18篇にも題材・傾向の違いがあり、これを収録順ではなくグループ別に組み替えてみましょう。
●a)闘病下の信仰告白詩……18篇
◎闘病心境中の信仰確認詩……10篇
このグループに入る詩篇は、信仰詩と言っても八木の普段の心境詩の文体で書かれています。キリスト、信仰への言及がなければ「d)闘病生活の心境詩」に移してもいいものですが、これらからも八木は生前に詩誌への発表はせず、詩集『貧しき信徒』にも採録していないのは注意されていいでしょう。つまり八木はあくまで自分の信仰を個人的なものと客観視していて、闘病にかこつけて布教をアピールするような詩人ではなかったということです。またこれらの詩篇でも、
64. 信 仰
からだが少しでもいいと
基督を忘れてしまふ
今だたった今だ
からだが悪いときに信じ切れぬなら
いつになって信じきれるものか
--のような不安を率直に述べた詩篇があるのは、裏表のない八木の性格を誠実に反映しています。これらの詩は信仰詩という前提があっても、十分に公刊詩集への収録のレベルに達していると思えます。
1. (無 題)
病気すると
何も欲しくない
この気持にひとつのものも混じへず
基督を信仰して暮らそう
2. 信 仰
今日も
こうして勤めに出るのだ
いつになっても変りも無い
私は信仰によって強く生きよう
11. 十 字 架
十字架を説明しようとしまい
十字架のなかへとびこもう
十字架の窓から世界を見よう
20. 遊 び
基督のものになってしまへば
私の目的ってなくなる
ただきれいな気持で
遊ぶようなきもちでゐればいいのだ
39. 信 仰
基督を信じて
救われるのだとおもひ
ほかのことは
何もかも忘れてしまわう
63. 朝
芽がさやさやと鳴り
朝の日がかがやいてゐる
空は晴れ
からだが悪るくとも
神を信ずるやすらかさ
85. 死
死ぬのかなとまともにおもって
そのときに残ったかんがへだけが 私にはたよりだ
キリストにしたがっていつまでも生きたいことだけだ
92. 基 督
病気してゐると
基督の言ったことに
ひとつも嘘がないとおもへてくる
にこにこしながら
すぐにものを切り下ろせると思へてくる
115. 基 督
からだが悪いままに春になってしまった
だが基督についての疑はまったく消え
何か寄りつくと
すぐ手のうちの火をなげつけるような
するどい気持がある
◎直截な信仰信条詩……4篇
このグループはほぼ宣教的な性格の詩篇であり、純粋詩として書かれたというよりも八木自身の信仰の自己確認にとどまる詩群です。6.「基督」、7.「信仰」が生硬な文語体で書かれていることでも、これらは詩というよりも信仰信条の書きつけに近いものですが、それだけに八木の内的な切迫を反映しており、手稿詩集という私的な性格の詩集でこそ書き得たものでしょう。
6. 基 督
基督をしんずることすべてのはじめなり
基督は人を救わうとした
いかにせば人は救われるか
彼の右の手と左の手をみよ
左の手に神の真理を持ち
右の手に彼の恵みを持ちたまふ
左手にて照らし
右手にて救ひたまふ
左手に照らされて人は己れの罪をしり
泣きて右手の恵みにいだかれる
神の愛する者をば
左手にてかぎりなく打ちたまふ
右の手の恵み見ゆるまで打ちたまふ
われら聖書をよまん
されど神の霊によりてよむ者こそ福なれ
四つの福音書の
言葉言葉に執せず
かの尊き書をしるべとし
神のみたまに導かるゝ者は福也、
ただ一つをさとる者はめぐみ深し、
ひとつを悟りて心平らかなる者、
かくて自らのすべてをささげて悔いなき者こそ福なり、
自らによきこと無しと知りて信は起る、
まづ信ずれば自らによること無きを知る、
二つの道一つなるをさとらん、
影と光りと和して永遠の光となるをさとらん、
7. 信 仰
基督 基督にあらざりせば
ポウロも天よりの力を得ること能はじ
使徒等も聖霊をうくる能はじ
基督 基督たらざりしならば
彼れは一人をも救ふこと能はざりし者なり
基督を基督と信じ
ポウロ使徒聖徒
または信者等の救はれざりしを信ずるは不可能也
もししからざりせば
基督の救ひにあづかりし人無かるべし、
さらば基督は力無き人なり、
然ることいかであるべき、
而してすべての基督の僕は
信ずることの外に完全なることを為さざりき、
54. キ リ ス ト
キリストが十字架にかかって死んで
甦って天に昇ったので
私も救われるのだと聖書に書いてある
キリストが代って苦るしんだので
私は信じさへすればいいと書いてある
私はキリストがすきだ
いちばん好きだ
キリストの云った事は本当だとおもふ
キリストには何もかも分ってゐたとおもふ
キリストは神の子だったにちがいない
キリストは天に昇ってからも
絶えず此の世に働きかけてゐるとおもふ
ポーロの言葉 使徒の言葉
すぐれたる使徒の言葉
それ等は
キリストが云わせたのだと信ずる
そう云ふことの出来ぬほど
キリストが無能な者だとはおもわれぬ
再びキリストが来る
キリスト自身がそう云ってゐる
キリストが嘘を云ふ筈がない
そのとき
私自らは完全に悪るい人間だけれど
ただキリストを信じてゐる故にのみ
天国に入れてもらへると信ずる
65. 基 督
基督を信じて
使徒を信ぜぬことが出来ようか
そんなに基督が昇ってのち
天に於て無能だとおもへようか
基督を信じて
のちのすぐれたる信徒の信仰を疑へようか
それほど基督は
天に於て人類に対し無能だと信じられようか
◎「太陽」詩篇……4篇
これらは数は少ないながら、八木重吉の詩篇にあっても異色の想像力が見られる詩群です。八木が尊敬した山村暮鳥(1884-1924)の大正6年(1917年)の詩集『風は草木にささやいた』を思わせる熱っぽい人道主義的象徴詩ですが、この作風は暮鳥にあっても八木にあっても例外的で、「太陽」に永遠と神の力を重ねる発想はおそらく暮鳥も八木も読んでいなかった(当時まだ翻訳のなかった)アルチュール・ランボーを思わせます。「太陽」の発見はランボーにとっては詩的想像力の限界と無力の自覚・詩への決別へとつながり、20世紀のシュルレアリスム詩人にとっては詩への出発点になりました。72.「万象」も太陽詩篇の延長であり、これらは八木の資質には合わないためにいっそう当時の八木の切迫感を伝える詩篇となっています。
61. 太 陽
お前は永久なものをおしへる
お前自身亡ぶる日があるだらうが
その光と力に人間はうたれる
知らぬ間におまへによって育ってゐる
太陽によって私は神のひとつの能(ちから)をさとる
62. 太 陽
昔の人間が
太陽を神とあがめたとつたへられてゐる
よしそれに道理の間違があっても
お前の力にひきつけられた
お前の光のふしぎないざなひにおののいた
ふかい魂のゆらぎはむしろ尊くはないか
71. 太 陽
あなたは総べてのものへいりこむ
炭にはいってゐて赤くあつくなる
草にはいってゐて白い花になる
恋人にはいってゐて瞳のひかりとなる
あなたが神の重い使であることは疑へない
あなたは人間の血のようなものである
地の中の水に似てゐる
不思議といへば不思議である
有難いといへばじつに有難い
あなたより力づよいものがあらうか
あなたが亡ぶる日があらうか
そして別のあたらしい太陽がかゞやく日があらうか
あると基督はおしへられた
ゆえにその日はあると信ぜられる
しかしその日まであなたは此の世の光りである、
みゆる光はみえぬ光へ息吹を通わせてゐる、
あなたの高い気持にうたれた日は福な日である、
72. 万 象
人は人であり
草は草であり
松は松であり
椎は椎であり
おのおの栄えあるすがたをみせる
進歩といふような言葉にだまされない
懸命に、無意識になるほど懸命に、
各々自らを生きてゐる
木と草と人と栄えを異にする、
木と草はうごかず 人間はうごく、
しかし うごかぬところへ行くためにうごくのだ、
木と草には天国のおもかげがある
もううごかなくてもいいといふ
その事だけでも天国のおもかげをあらわしてゐるといへる、
しかし八木の本領は、ごく日常的な物象に感動を見いだす自然詩人であり、八木にとってもっとも無理のなく、また優れた詩は、「b)日常・自然嘱目の心境詩」と「c)家庭生活・妻子への愛の詩」、また「d)闘病生活の心境詩」にあったと思えます。続けて「b)日常・自然嘱目の心境詩」を見てみますが、これはグループ分けするまでもなく八木の繊細で優しく、落ちついた感受性が最良に発揮されているのが、もっとも顕著に感じられる詩群です。
●b)日常・自然嘱目の心境詩……37篇
◎生前発表詩・『貧しき信徒』採録詩篇……4篇
73. 梅
眼がさめたように
梅にも梅自身の気持がわかってきて
そう思っているうちにも 花が咲いたのだろう
そして
寒い朝霜がでるように
梅自らの気持がそのまま香ひにもなるのだらう
(昭和2年5月「生誕」)
(『貧しき信徒』「梅」初稿)
87. 梅
梅を見にきたらば
まだ少ししか咲いてゐず
こまかい枝がうすうすと光ってゐた
(大正15年4月「詩之家」)
※うすうすと光って→うすく光って
90. 春
雀をみてゐると
私は雀になりたくなった
(大正15年4月「詩之家」)
(『貧しき信徒』「春」初稿)
113. 陽 遊
さすがにもう春だ
気持も
とりとめの無いくらいゆるんできた
でも彼処にふるへながらたちのぼる
陽遊のような我慢しきれぬおもひもある
(大正15年4月「詩之家」)
(『貧しき信徒』「陽遊」初稿)
--以上が生前詩誌発表詩・『貧しき信徒』採録詩篇ですが、手稿詩集「信仰詩篇」に収められるにとどまった残る33篇も優劣がつけられない佳作がそろっています。
84. 春
ひとりでに春になってゆく気持
94. 春
赤い
まるいような花をいくつかかんがへて
まちこがれてゐる
97. 顔
そこいらが
みんな顔になって
わたしを見てゐる
--など、作風はむしろ公刊第一詩集『秋の瞳』(大正14年8月刊)に近いのですが、十分公刊詩集への収録に耐える絶品です。もし八木晩年の急激な病状悪化がなかったら、『秋の瞳』と遺稿詩集『貧しき信徒』(編纂=昭和2年春~初夏、昭和2年10月の八木逝去後の昭和3年2月刊行)の間に、これらの詩篇(またc群の、家庭生活・妻子への愛の詩)を中心にもう1冊、充実した詩集が組めたのではないかと思われます。それを確かめていただくためにも「b)日常・自然嘱目の心境詩」の残りの詩篇を再びまとめておきましょう。
3. 空
もう日が暮れそうだ
前の原のうへに
雲切れがして穏な空がみえてゐる
あしたは天気だらう
4. 灰
炭は
赤くおこって
やがて消えて もとのとこに落ちてゐる
5. 朝 日
森のむこうから
ちやかちやか日がひかり初めた
またかと云って笑ふ気になれない
あの一本気と気高さにはつひに頭が下る
※気高さ→崇高さ
8. 二 月
空が曇ると
たより無い気がしてくる
はやく晴れてくれ
はやく晴れてくれとおもふ
12. 冬
こすって痕をつけたように
うすく雲が夕方の空に二つ並んでゐる
だまって 人のいないとこで
張りつめた気持を自分でみてゐるような雲だ
13. 冬
日が落ちて
西の空がすこしこげてゐる
ちよいと雲がこすって痕をつけたように
ふたきればかり見える
気持としては非常にはりつめてゐる
14. 門
二月十四日
家主が来て
門を茶色に塗っていった
15. 早 春
むっくり空にひろがる
朝方の汽車の煙はきもちいい
16. 早 春
ソッと指で押っぺすと
ぴよろっと凹っこみそうだ
19. 梅
この梅はいい梅だ
わたしが見てゐるので嬉しいだらう
21. 早 春
森のそばへきたら
ときたま鳥の声が聞える
なんと云ふ鳥かしら
33. 天 気
朝起きて
椽側の戸をあけてみたら
よく晴れてゐてほんとにうれしかった
35. 冬
よく晴れてゐて
そのうへ雀がチユッチユッとないてゐると
もうなんとも云へずうれしい
37. 早 春
冬が
すこし気持をゆるくした
でもなんといふ気高い季節のうつりかわりようだらう
38. 季 節
冬から春へ
うつってゆく季節の気持
悲しいといふこころにさへこだわらず
ただ壁のところにゐるようなおもひでゐると
季節のなかのほうのうつくしい力をかすかにおぼえる
42. 冬
今日はなんといふよい日だらう
こんなおだやかな
暖かい日は冬のうちほとんど無い
ありがたい気持でいっぱいになって
さっきも山の方をずうっと歩るいて来た
49. 桜
まだ麦が出ない
早くこの芽がふくらんで
桜の花がたくさん咲くといい
55. 天 気
もうぢき晴れそうにみえる
すっかり天気になったら
どんなにうれしいだらう
66. 野 火
野火がもえた跡へくると
何か持って行ってしまわれたような気がする
69. 早 春
梅がすこし咲いた
なんだか
天までとどく様な赤い柱にでもだきついてゐたい
99. 朝 焼
雲が
うすく赤くそまってゐる
空もかすかに色づいてゐる
もう春になりそうな時分だし
なんとなく浅い気持をあらわしてゐる
けれどこんな朝の景色はうれしい
100. 雨
雨がふってゐる
自分がありふれた人間であり
またそれでいいとおもわれる
103. 雀
すぐ窓さきへ来て
雀が雨のなかでないてゐる
寒さがゆるんできたんだ
※窓さきへ来て→窓さきのヒバの枝をつかんで
104. 空
雲が晴れて
西に
なんとも云へずいい空がみえてゐる
あしたは天気だらう
105. 春
冬にじっとものを見つめてゐた心は
春ときいてすこし眠たげにだれてきた
それが時とすると
冬よりも冴えてたかぶってくる
106. 朝
夜が明けると
森の上にうすい色がついて
そっちの方から低い風の音がきこえてくる
109. 太 陽
お前はしづんでゆく
何んにも心残りもみえぬ
何んの誇るところもみえぬ
ただ空をうつくしくみせてゐる
110. 春
おい
鯖なんか買うんぢやないよ
食べたらからだがなまぐさくなっちもうぜ
112. 陽 遊 (かげろう)
暖くなって
陽遊がたってゐる
とりとめも無いほどゆるんだ気持になったが
あんな陽遊のふるへのぼるようなたまらないおもひもある
114. ね が ひ
きれいな気持ちでゐよう
花のような気持ちでゐよう
報いをもとめない
いちばんうつくしくなってゐよう
(以上、手稿小詩集「信仰詩篇」全115篇よりテーマ別55篇)
(書誌・引用詩本文は筑摩書房『八木重吉全集』により、かな遣いは原文のまま、用字は現行の略字体に改めました。)
(以下次回)