じゃがたらRevisited、または永劫回帰 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

JAGATARA - 裸の王様 (Doctor Records DC-1103, March 1987)
 Revisitedという、一見単純そうですがこなれた訳語にしづらい英単語があります。文字通りVisitにReがついて過去完了になっているだけですから再訪(再訪問)でいいのですが、実際には接頭語にReがつくだけで質的にもVisitの意味が変化してしまうため、一定の訳語に定着できない厄介な動名詞でもあります。

 フランシス・F・フィッツジェラルドの代表的短編小説「Babylon Revisited」1931は「バビロン再訪」の直訳と映画化邦題の『雨の朝巴里に死す』の二通りの邦題が通用しており、確かにこれはフィッツジェラルド版『ヴェニスに死す』ですから映画化に由来するこの改題も的外れではありません。フィッツジェラルドがトーマス・マンの中編小説「ヴェニスに死す」1912を読んでいなかったとは思えませんが、トーマス・マン作品と自伝的な要素の大きい自作の類似は思いもしなかったでしょう。映画『雨の朝巴里に死す』1954は絶頂期のエリザベス・テイラー主演作品として作られたため、映画としてはそつないものの、やや原作のテーマからは離れたものになりました。ルキノ・ヴィスコンティによる国際無国籍映画『ベニスに死す』1971が原作以上に老いと老年を鋭く追求したのとは比較になりません。

 イーヴリン・ウォーの大作『Brideshead Revisited』1945は『ブライヅヘッドふたたび』と『青春のブライズヘッド』の二種の邦題での翻訳がありますが、この回顧的小説のRevisitedも複雑で重い意味を担うもので、読者は『失われた時を求めて』を連想せずにはいられません。あの大作もまたRevisitedということの意味こそがテーマになっているような作品でした。

 要するにVisitとRevisitedは、Visitに接頭語がついて過去完了型になることで、まるで概念語としての属性が異なるのです。Visitが空間的移動ならRevisitedは空間的移動よりも時間的移動を指すものでしょう。現代日本語に適切な訳語がないのは1,000年以上もの文学的伝統を誇る国としては不思議な話で、国文学の総括的批評は藤原定家に始まり、近世には松尾芭蕉・本居宣長・上田秋成らが古代から中古(王朝時代)を通り江戸時代に至る国文学の総論にたどり着きましたが、宣長の「もののあはれ」説はおそらく宣長の眼中にはなかった芭蕉や、宣長の宿敵・秋成の業績と照らしても国文学史の目安としてはおおむね妥当になりました。もののあはれ、という言葉は、宣長の時代の文学概念としてはRevisitedに相当するものでしょう。

 晩年の『奥の細道』の旅は芭蕉にとって国文学史への史跡への実践的なRevisitedの旅でした。秋成の『雨月物語』『春雨物語』を成立させた怒りはエッセイ『肝大小心録』で爆発していますが、秋成の怒りは何に向けられているかを思えば国文学の正史体系という権威構造にあり、宣長をボスとした国文学史の研究成果自体は不承不承認めざるを得ない、では、正史の裏にはどんな歴史が隠蔽されているのか、という秋成なりの直観によるものでした。秋成が市井の民間伝承(フォークロア)から『雨月物語』『春雨物語』をまとめ上げた文人であることからも、国文学の正史を標榜する本居宣長の権威への反感は、秋成にとって本質的な文学観の相違だったのはほぼ間違いありません。

 俳諧は町民階級による俗文学でしたが、中古以来の文学伝統を基盤にしていました。正史における詩は漢詩と和歌です。漢詩はアカデミズムから逃れられず、和歌は和歌であるだけで文学の条件を満たしているとされましたからどんどん安易なものになっていきます。俳諧は鋭敏な方法的自覚なしでは成立しないものですから、芭蕉においては俳諧とは何かを追求しているうちに(当時の概念の範囲での)国文学の根源まで探究を深めることになりました。『奥の細道』は詩の極限を乞食と放浪に見つけてそれを実践する文学紀行です。歌枕をたどって放浪する芭蕉は過去をさすらう幽霊も同然であり、古人の詩魂にRevisitedすることに最後の尽力を絞りました。同書は商業出版を目的とせず松尾家の家書としてまとめられ、没後に弟子たちによって領布用印刷されて俳諧紀行文の古典になりましたが、20世紀になってからの弟子の随行記の発見と照合によって、実はフィクションだらけの日記体手記と判明したのも良く知られることです。

 では近代化以後の日本語には「もののあはれ」に相当する、またはRevisitedに対応する日常的な概念語は見つかるでしょうか。田山花袋の代表作に大正5年(1916年)の『時は過ぎ行く』がありますが、日本文学の長編小説に「Revisited」なニュアンスの時間感覚を感じさせるものは数多いとは言えません。『暗夜行路』大正10年~昭和12年(1921年~1937年)、志賀直哉門下の滝井孝作『無限抱擁』大正10年~昭和2年(1921年~1927年)など私小説作家による自伝的作品の方が元手がかかっているからか、作為的でなく豊かな時間を湛えている、ともいえるでしょう。ただし私小説作家でもそうした資質を持つのは志賀直哉系統の作家たちだけでもあり、破滅型と呼ばれる私小説作家たちにはほとんど見受けられません。

 第二次大戦後なら、北杜夫『楡家の人びと』昭和37年(1962年)が屈指の傑作で、三島由紀夫の輪廻転生物語四部作『豊穣の海』昭和40年~昭和45年(1965年~1970年)はロレンス・ダレルの四部作『アレクサンドリア・カルテット』1957~1960と『楡家の人びと』に挑んで健闘した力作でした。北杜夫は精神科医を本職とした人ですが躁鬱病者でもあり、その躁は爆発的な株式投資というギャンブル型の出現をしたので、ご家族がうまくコントロールして難を免れるの繰り返しだったそうです。それは余談として、精神医学用語でRevisitedの作用を伴うものに「振りかえり」という療法がありますが、それよりもRevisitedには「風化」という現象が進むのが重視され、「風化」を伴う追体験こそがRevisitedとも言えそうです。この「風化」も一般的な日常言語と異なるニュアンスを持った言葉でしょう。

 風化をより生々しく、そのプロセス自体を指して言うなら、坂口安吾のエッセイ「堕落論」は敗戦から間もない1946年の発表でした。堕落、という言葉は強いニュアンスを帯びていますが、安吾はこれに熱心な、通俗的ではない肯定の意味を込めています。これは不退転の下降志向によってニーチェの「永劫回帰」への否定にもなっています。

 1984年原著刊行の'80年代後半の世界的ベストセラー『存在の耐えられない軽さ』は小説のところどころにエッセイが挟まれる構成ですが、亡命チェコスロバキア作家の著者のオブセッションになっているのは少年時代、ドイツ占領下の思い出です。嫌な時代だった、だが懐かしさもそこに存在する。ノスタルジア(一過性のもの)が存在するなら永劫回帰はあり得ないだろう。だがノスタルジアを否定するには永劫回帰を認める立場に立つことになる。ノスタルジアは人を足止めさせもするが、過去を過去に押しやる契機にもなる。永劫回帰には前進も後退もなく、すなわちノスタルジアもない。だがあの嫌な時代を懐かしく思う気持をどうしたらいいのだろう。

 そこで著者のミラン・クンデラが発想したのが永劫回帰を生きる男女の軽薄なメロドラマで、永劫回帰の中ではどんな行為も無限に反復され得ますから存在は耐え難く軽いものでしかない。というのがタイトルの由来でした。40年あまり前に読んだ本の内容を思い出すのは苦労するものです。『堕落論』はニーチェにも永劫回帰にも言及していませんし、またそこから引き出したとしても安吾とクンデラでは永劫回帰とニーチェについては異なる見解を持つかもしれません。ニーチェはドイツ同盟国の軍国日本では国策思想家として人種差別主義の思想的根拠とされましたし、ドイツ占領下のチェコで行われた恐怖政治もまた優生思想として曲解されたニーチェ主義を標榜したものでした。

 庶民的な日本語でRevisitedに近いニュアンスを持つ慣用句もないことはありません。'80年代に暗黒大陸じゃがたら(のちにじゃがたら、JAGATARA)というファンク・バンドがいて、ライヴで聴いて記憶に残った曲でしたから1987年に同曲を収録したアルバムが発表されるまでタイトルも正確な歌詞もわかりませんでした。ファンク・バンドなのにこの曲はレゲエでした。

 その曲は、「ちょっとの恨みなら」というのがライヴで聴き取れる歌い出しの文句でした、「--水に流しちまえよ」(アルバム『裸の王様』収録曲「もうがまんできない」では、「ちょっとの裏切りならば/水に流してしまおう」と歌われています。またこの曲の歌詞は「ちよっとのひずみなら/がまん次第で何とかやれる」「ちょっとの甘い罠には/軽くはまってみせる」「人の愛には打算が/いつもついてまわるものさ」「ちょっとの搾取ならば/誰だってそりゃあがまん出来るさ」と各連で歌われ、それぞれ「気のもちようさ/気のもちようさ」と結ばれますが、曲のタイトルは「もうがまんできない」であり、曲の前後ではリーダーの江戸アケミは「心のもちようなんかじゃ解決できないぜ!」と叫ぶのが常でした)

 きっとRevisitedのもっとも慎ましく、かつ積極的なかたちは、通俗きわまりないこの「水に流してしまおう」という慣用表現どおりなのだと思います。JAGATARAは'80年代の日本の音楽シーンで批評家からRCサクセションと評価を二分し、リーダーでソングライター、ヴォーカリストの江戸アケミ(1953-1990)氏の事故死による急逝(入浴中の心臓発作)によって1990年1月、'90年代の到来とともに解散しましたが、江戸アケミ氏は'80年代半ばにも急性の統合失調症で音楽活動休止や失踪の前歴があった人でしたから急逝にも他の遠因があったかもしれません。'80年代初頭に観たじゃがたらのライヴでは割ったビール瓶の破片の上を裸で血まみれになって転げまわっていた江戸氏でしたが、病気復帰後は一転してメンバー揃いのスーツでステージに立つ姿が印象的でした。「もうがまんできない」は病気復帰以後の新曲でした。YouTubeに3種類のライヴ音源(1点は映像つき)が上がっていましたので、3点とも上げておきましょう。いずれも今となっては江戸アケミ氏晩年のライヴになった音源です。
◎JAGATARA - もうがまんできない (Music Video) :   

◎JAGATARA - もうがまんできない (Live, December 12, 1987) :   

◎JAGATARA - もうがまんできない (Live, MUSE HALL, 1989) :