八木重吉遺稿詩集『貧しき信徒』昭和3年(10)・詩誌掲載型(発表年代順) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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八木重吉・明治31年(1898年)2月9日生~
昭和2年(1927年)10月26日没(享年29歳)
長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳
 第一詩集『秋の瞳』編纂完了後に始まる晩年2年間の八木重吉の手稿は小詩集(病床ノオトを含んで)32冊分になり、これに1~32と番号を振ると、小詩集25、26は未整理分で、32は生前発表された詩篇中小詩集に出典がないもので、総数では確認されただけでも1,215篇(小詩集17は全篇重複により除外)に上ります。そのうち生前発表詩にも『貧しき信徒』にも採られていない小詩集(病床ノオト)が7部あり(小詩集2、6、7、26、28、29、30)、7部で157篇ですが、これを分けて小詩集32冊=1,213篇とし、選出対象小詩集25冊=1,056篇・未選出7冊=157篇としても、『秋の瞳』の時期の小詩集40冊=1,455篇、うち選出対象小詩集26冊=814篇・未選出14冊=641篇とは取捨選択の比率が大きく異なります。八木重吉は大正15年(1926年)3月に結核を発症し、同年5月に入院、7月の退院後は中学校教師を休職して茅ヶ崎の自宅で療養生活に入るも10月には重篤に陥り、翌昭和2年(1927年)10月に逝去したので、逝去までの1年半は享年満29歳半の生涯の最晩年でした。全三巻の筑摩書房版『八木重吉全集』(昭和57年=1982年)での調査では、詩集『貧しき信徒』の収録詩篇全103篇の制作時期はほとんどが大正14年4月~病状悪化の大正15年3月までの正味1年間に集中しており、

・大正14年(1925年)4月~12月=62篇
・大正15年(1926年)1月~3月=28篇
・大正15年3月~昭和2年(1927年)の病床ノオトより=11篇(3月分6篇・12月分5篇)
・年代不詳=2篇

 ――となり、全103篇中90篇が生前に各種の詩誌・新聞雑誌に発表されていたのが判明しました。『貧しき信徒』未収録の生前発表詩も29篇ありますから(うち24篇は小詩集から、残り5篇は直接雑誌発表)、第一詩集『秋の瞳』以降に八木自身により発表の意図があった詩篇は生前発表詩139篇+『貧しき信徒』初発表詩篇13篇=152篇になります。八木重吉は大正10年春~大正14年3月に確認されただけで1,455篇(習作~詩集『秋の瞳』期。筑摩書房『八木重吉全集』と全集を底本としたちくま文庫の全2巻の『八木重吉全詩集』(昭和63年=1988年)では小詩集1~19までを初期習作(文庫版全詩集では割愛)、小詩集20~40を詩集『秋の瞳』制作期としています)、大正14年4月~大正15年(昭和元年)12月に確認されただけで1,215篇があるので、再度両詩集に即して一覧表を再掲載します。

[ 詩集『秋の瞳』収録詩篇初出小詩集一覧 ]
1○木蓮(大正12年1月編)詩46篇、『秋の瞳』初稿1篇初出、創作時期大正11年6月、7月
2○あしたの嘆き(大正12年1月編)詩28篇、『秋の瞳』初稿1篇初出、創作時期大正11年6月、7月
3○感触は水に似る(大正12年編)詩25篇、『秋の瞳』初稿2篇初出、創作時期大正10年
4○夾竹桃(大正12年編)詩17篇、『秋の瞳』初稿なし、創作時期大正11年
5○龍舌蘭(大正12年編)詩10篇、『秋の瞳』初稿2篇初出、創作時期大正11年秋
6○白い哄笑(大正12年編)詩18篇、『秋の瞳』初稿2篇初出、創作時期大正11年秋
7○虔しい放縦(大正12年編)詩39篇、『秋の瞳』初稿3篇初出、創作時期大正11年秋
8○矜持ある風景(大正12年編)詩22篇、『秋の瞳』初稿2編初出、創作時期大正11年秋~冬
9○不安な外景(大正12年編)詩12篇、『秋の瞳』初稿1篇初出、創作時期大正11年暮~大正12年初頭
10○庭上寂(大正12年編)詩12篇、『秋の瞳』初稿4篇初出、創作時期大正11年秋~大正12年初頭
11○巨いなる鐘(大正12年)詩12篇、『秋の瞳』初稿なし
12○静かなる風景(大正12年)詩11篇、『秋の瞳』初稿5篇初出
13○石塊と語る(1大正12年)詩21篇、『秋の瞳』初稿3篇初出
14○私は聴く(大正12年)詩17篇、『秋の瞳』初稿3篇初出
15○暗光(大正12年)詩11篇、『秋の瞳』初稿1篇初出
16○壺(大正12年)詩8篇、『秋の瞳』初稿3篇初出
17○草は静けさ(大正12年)詩20篇、『秋の瞳』初稿なし
18○土をたたく(大正12年4月)詩18篇、『秋の瞳』初稿1篇初出
19○痴寂なる手(大正12年5月20日)詩40篇、『秋の瞳』初稿6篇初出
20○焼夷(大正12年6月)詩37篇、『秋の瞳』初稿2篇初出
21○丘をよぢる白い路(大正12年8月24日)序文+詩31篇、『秋の瞳』初稿12篇初出
22○鳩がとぶ(大正12年9月28日)詩37篇、『秋の瞳』初稿13篇初出
23○花が咲いた(大正12年10月18日)序文+詩27篇、『秋の瞳』初稿7篇初出
24○大和行(大正12年11月6日)序文+詩20篇、『秋の瞳』初稿6篇初出
25○我子病む(大正12年12月9日)詩27篇+散文1篇、『秋の瞳』初稿8篇初出
26○不死鳥(大正13年1月1日)詩25篇、『秋の瞳』初稿なし
27○どるふいんの うた(大正13年1月20日)詩11篇、『秋の瞳』初稿なし
28○幼き怒り(大正13年4月7日)詩51篇、『秋の瞳』初稿なし
29○柳もかるく(大正13年4月15日)詩48篇、『秋の瞳』初稿4篇初出
30○逝春賦(大正13年5月23日)詩51篇、『秋の瞳』初稿3篇初出
31○鞠とぶりきの独楽(大正13年6月18日)序文+詩57篇、『秋の瞳』初稿なし
32○(欠題詩群)一(大正13年10月)詩96篇、『秋の瞳』初稿1篇初出
33○(欠題詩群)二(大正13年10月)詩109篇、『秋の瞳』初稿1篇初出
34○神をおもふ秋(大正13年10月26日)詩76篇、『秋の瞳』初稿なし
35○純情を慕ひて(大正13年11月4日)詩73篇、『秋の瞳』初稿なし
36○幼き歩み(大正13年11月14日)詩53篇、『秋の瞳』初稿なし
37○寂寥三昧(大正13年11月15日~23日)詩44篇、『秋の瞳』初稿なし
38○貧しきものの歌(大正13年12月9日)詩57篇、『秋の瞳』初稿なし
39○ものおちついた冬のまち(大正14年1月14日)詩82篇、『秋の瞳』初稿なし
40○み名を呼ぶ(大正14年3月)詩63篇、『秋の瞳』初稿なし
●秋の瞳(大正14年=1925年8月1日新潮社刊)詩集初出詩篇20篇

[ 詩集『貧しき信徒』収録詩篇初出小詩集一覧 ]
1○詩稿 桐の疏林(大正14年4月19日編)詩48篇、生前発表詩4篇、『貧しき信徒』初稿1篇初出
2○詩稿 赤つちの土手(大正14年4月21日編)詩39篇、『貧しき信徒』初稿なし
3○春のみづ(大正14年4月29日編)詩8篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿なし
4○詩稿 赤いしどめ(大正14年5月7日編)詩32篇、生前発表詩1篇、『貧しき信徒』初稿2篇初出
5○詩稿 ことば(大正14年6月7日)詩67篇、生前発表詩9篇、『貧しき信徒』初稿7篇初出
6○詩稿 松かぜ(大正14年6月9日)詩18篇、『貧しき信徒』初稿なし
7○詩稿 論理は熔ける(大正14年6月12日)詩37篇、『貧しき信徒』初稿なし
8○詩稿 美しき世界(大正14年8月24日篇、「此の集には愛着の詩篇多し、重吉」と記載)詩43篇、生前発表詩10篇、『貧しき信徒』初稿11篇初出
9○詩・うたを歌わう(大正14年8月26日)詩27篇、生前発表詩1篇、『貧しき信徒』初稿7篇初出
10○詩・ひびいてゆこう(大正14年9月3日編)詩21篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
11○詩・花をかついで歌をうたわう(大正14年9月12日編、「愛着の詩篇よ」と記載)詩34篇、生前発表詩6篇、『貧しき信徒』初稿8篇初出
12○詩・母の瞳(大正14年9月17日編)詩24篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿5篇初出
13○詩・木と ものの音(大正14年9月21日編)詩24篇、生前発表詩1篇、『貧しき信徒』初稿1篇初出
14○詩・よい日(大正14年月日)詩41篇、生前発表詩2篇、『貧しき信徒』初稿なし
15○詩・しづかな朝(大正14年10月8日編)詩40篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿2篇初出
16○詩・日をゆびさしたい(大正14年10月18日編)詩34篇、生前発表詩7篇、『貧しき信徒』初稿6篇初出
17○雨の日(大正14年10月編、自薦詩集、推定約20篇・現存10篇、既出小詩集と重複)
18○詩・赤い寝衣(大正14年11月3日)詩43篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿6篇初出
19○晩秋(大正14年11月22日編)詩67篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
20○野火(大正15年1月4日編)詩102篇、生前発表詩7篇、『貧しき信徒』初稿7篇初出
21○麗日(大正15年1月12日編)詩32篇、生前発表詩6篇、『貧しき信徒』初稿4篇初出
22○鬼(大正15年1月22日編)詩40編、生前発表詩2篇、『貧しき信徒』初稿2篇初出
23○赤い花(大正15年2月7日編)詩54篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
24○信仰詩篇(大正15年2月27日編)詩115篇、生前発表詩9篇、『貧しき信徒』初稿9篇初出
25○[欠題詩群](大正15年2月以後作)詩29篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
26○[断片詩稿](推定大正14年作)詩15篇、『貧しき信徒』初稿なし
27○ノオトA(大正15年3月11日)詩117篇、生前発表詩6篇、『貧しき信徒』初稿6篇初出
28○ノオトB(大正15年5月4日)詩19篇、『貧しき信徒』初稿なし
29○ノオトC(大正15年5月)詩5篇、『貧しき信徒』初稿なし
30○ノオトD(大正15年6月)詩24篇、『貧しき信徒』初稿なし
31○ノオトE(昭和元年12月)詩29篇、生前発表詩2篇、『貧しき信徒』初稿5篇初出
32○歿後発表詩篇(原稿散佚分)詩38篇、『貧しき信徒』初稿なし
●貧しき信徒(昭和3年=1928年2月20日野菊社刊)詩集初出詩篇2篇

 八木重吉の全詩業として現在確認できるものは上記の2,670篇に大正10年の初期習作期の詩稿ノート5冊・41篇、大正13年~大正14年初頭作と推定される断片詩篇4篇があり、それを詩集『秋の瞳』期に組みこむと1,455篇+45篇=1,500篇となり、また詩集『貧しき信徒』未収録の生前発表詩編29編中にも小詩集に初出がないものが5篇あるので詩集『貧しき信徒』期は1,215篇+5篇=1,220篇になります。八木重吉の歿後に大東亜戦争・太平洋戦争を挟んで未亡人が55年間保管してきた遺稿が、ようやく昭和57年に『八木重吉全集』の刊行に至るまでも数次に渡る八木重吉詩集刊行のたびに生原稿の紛失や錯簡が起こり、また八木の逝去時に未亡人の手元にすべての創作詩原稿が残されていたとは考えられない(八木自身が紛失または破棄したか、生前よそへ託してあった詩稿も相当数あったと推定されます)ので、全集に集成された2,720篇(うち習作期や断片詩篇からは選択収録)はあくまで現在確認できる創作数にすぎません。おそらく生前には3,000篇ほどの詩稿(草稿)が書かれたと推定しても不自然ではないでしょう。

 第一詩集『秋の瞳』と第二詩集かつ遺稿詩集となった『貧しき信徒』の違いは、まったく作品発表のない無名の新人の詩集として刊行された『秋の瞳』が特定の語り手を想定しない書かれ方をされているのに対して、『貧しき信徒』では大半の詩篇が八木重吉という病床にある詩人の視点から書かれていることで、その点で『秋の瞳』は山村暮鳥(1884-1924)の『聖三稜玻璃』(大正4年=1915年)や高橋新吉(1901-1987)の『ダダイスト新吉の詩』(大正12年=1923年)に近く、『貧しき信徒』はその私的性格から暮鳥でも晩年の『雲』(大正13年書き下ろし、大正14年=1925年刊)や高橋新吉でも20代後半の3年間の闘病を含む5年間のブランクののちに刊行された『戯言集』(昭和9年=1934年刊)に近いのです。また八木重吉のかな遣いは明治以降に整備された歴史的かな遣いに表音かな遣いを取り入れたものですが、歴史的かな遣いに比較的沿っていた『秋の瞳』に対して、『貧しき信徒』では表音かな遣いが飛躍的に増加していることにも顕著で、これも文体上の意識の変化として重要であり、『貧しき信徒』の私的性格を強調しています。

 またこれまでも強調してきたことですが、八木重吉の2冊の自選公刊詩集の最大の違いは、完全に全収録詩篇117篇が詩誌未発表のまま刊行された『秋の瞳』に対して、『貧しき信徒』は全編103篇のうち90篇が詩誌・新聞雑誌生前発表詩篇を集めた詩集であることです。つまり八木重吉は大正14年(1925年)8月1日新潮社刊の第一詩集『秋の瞳』(また新潮社の斡旋で『秋の瞳』刊行と同時に詩誌「日本詩人」に発表された「新唱」9篇)に注目して八木を同人詩誌の世界に誘った「詩之家」主宰の佐藤惣之助、「銅鑼」の草野心平、それらの詩誌によって八木の詩と親しんだ新しい詩人の友人たちに自信作を発表する意志があって詩集『貧しき信徒』収録詩篇は書かれ、また同時代の詩友や読者にとっては詩集『貧しき信徒』収録詩篇はまず雑誌発表時に詩篇単位で読まれたということで、詩集では制作・発表年代順によらずに配列し直されている『貧しき信徒』収録詩篇を雑誌発表時の単位で編年順に読み、詩集刊行前にこれらがどんな詩誌・雑誌に発表され、読まれていたかは、詩集『貧しき信徒』成立後に読む今日の読者の印象とは相当異なっていたと想像されます。

 一言で言って詩集『貧しき信徒』収録の詩篇は、創作・発表順によらず配列された詩集で読むよりも、以下に引いた通り雑誌掲載の編年順単位で読む方が読みやすく、わかりますいのです。第一詩集『秋の瞳』では既発表詩篇が一切ないためにこうした読み方の比較はできず、初出となった手製小詩集に還元して比較するにも手稿詩集があまりに膨大、かつそのままでは発表の意向がない状態でまとめられているため、詩篇単位での比較はあまり意味をなさないものでした。また八木重吉の詩集は『秋の瞳』『貧しき信徒』ともセクション(章分け)なしに断章的詩篇が並ぶため、詩集一冊がまるごと連作詩とも読める配列になっています。しかし、全103篇を収録した詩集『貧しき信徒』のうち詩誌・雑誌掲載された90篇は、雑誌掲載単位・発表順に読むことで数篇ごとのセクションが成立しているので、掲載誌単位・発表順で八木の詩想が詩集『貧しき信徒』よりも格段に追いやすく平易で、理解しやすくなっています。大正12年(1923年)5月に生まれた長女・桃子(1937年病没、享年満14歳)がまだ乳児だった『秋の瞳』から賢くあどけない3歳の幼女に育っているのもわかれば、大正14年(1925年)1月生まれの長男・陽二(1940年病没、享年満15歳)は離乳食期の「赤ん坊」として登場します。数篇単位の詩誌発表型でセクション単位の発表がなされているために、八木自身の体調不良~結核発症と療養・闘病の経過も掲載誌単位で暫進的に進んでいき、それが直接に詩篇の背景として書かれていることも伝わってきます。おそらく八木の詩は、手製小詩集の手稿単位で年代順に読むことでより明確な詩想の推移を追うことができるでしょうが、未定稿が大半を占める膨大な手稿詩集の検証は詩の鑑賞とはやや異なる伝記的研究に向かいがちなので、第二詩集『貧しき信徒』収録詩篇を一次発表型と見なせる掲載誌・発表順に追うのは些末な研究に陥らず、八木の詩を新たな視点で読み直す指標になると思えます。第一詩集『秋の瞳』収録詩篇も八木自身によって年代順に数篇ずつのセクション分けがなされていたら、神秘性は失う代わりに明確な詩想の推移をたどりやすかったでしょう。また手稿小詩集単位や成立年代順に依らず第一詩集『秋の瞳』が編まれたように、掲載誌発表単位・発表順に依らず第二詩集『貧しき信徒』を編纂した八木自身も、『貧しき信徒』の場合は病床での編纂という制約もあって、掲載誌・発表順単位で自作の一次発表型を把握した上で再編集したと思われます。

 以下に掲げる掲載誌・発表順単位の『貧しき信徒』発表型が、詩集『貧しき信徒』より格段に明確かつ平易に八木の詩想を伝えるものなのは、詩集という大きな単位でなく各種の月刊詩誌に数篇単位で発表されたことによって、同時発表詩篇との具体的関連とともに独立性の高い詩篇として読むことができるためです。詩人全集や文庫版詩集でも八木重吉詩集は『秋の瞳』『貧しき信徒』の全編または抄出に推定年代順の詩集未収録詩篇を加えた形式が取られますが、草稿段階の手稿小詩集から編まれた『秋の瞳』では年代順の再編集が困難(また詩集の完成度が高いため全編そのままの収録が望ましい)にせよ、没後刊行詩集『貧しき信徒』の場合は詩誌掲載単位・発表順に復原された方が発表時の八木の意図を汲みやすい利点があります。『貧しき信徒』の編纂は八木が逝去する半年前に行われ、以降八木は結核の重篤化から『貧しき信徒』を十分に推敲することができなかったので、出版ののち散佚した原稿は掲載誌の切り抜きへの修正や掲載前の手稿、清書原稿が混在していたとされ、やはり清書原稿が散佚している『秋の瞳』が完成稿の段階まで入念に仕上げられて刊行されたのとは事情が異なります。没後刊行の『貧しき信徒』の本文は雑誌掲載稿とはかなり異動があることが確認されていますが、上記の経由から『貧しき信徒』は雑誌掲載の一次発表稿から推敲途中のまま未完成の段階でまとめられた詩集であり、詩人が発表作を推敲した挙げ句初稿に戻すのはよくあることなので、もし推敲が進められていれば誤植や助詞の欠字を改めた程度で雑誌掲載稿に戻された可能性も高く、確実に八木の意向が働いているのは生前雑誌掲載の一次発表稿の方にあるとも考えられるのです。

八木重吉詩集『貧しき信徒』
昭和3年(1928年)2月20日・野菊社刊

●大正14年8月(総題「新唱」)「日本詩人」9篇、同月公刊第一詩集『秋の瞳』刊行

 こども

丘があって
はたけが あつて
ほそい木が
ひよろひよろつと まばらにはえてる
まるいような
春の ひるすぎ
きたないこどもが
くりくりと
めだまをむいて こっちをみてる
 (小詩集「赤いしどめ」初出)

 豚

この 豚だつて
かあいいよ
こんな 春だもの
いいけしきをすつて
むちゆうで あるいてきたんだもの
 (小詩集「桐の疏林」初出)

 犬

もぢやもぢやの 犬が
桃子の
うんこを くつてしまつた
 (小詩集「ことば」初出)

 柿の葉

柿の葉は うれしい
死んでもいいといつてるふうな
みずからを無(な)みする
その ようすがいい
 (小詩集「ことば」初出)

 涙

めを つぶれば
あつい
なみだがでる
 (小詩集「ことば」初出)

 雲

あの 雲は くも
あのまつばやしも くも

あすこいらの
ひとびとも
雲であればいいなあ
 (小詩集「ことば」初出)

 お銭(あし)

さびしいから
お銭を いぢくつてる
 (小詩集「ことば」初出)

 水や草は いい方方(かたがた)である

はつ夏の
さむいひかげに田圃(たんぼ)がある
そのまわりに
ちさい ながれがある
草が 水のそばにはえてる
みいんな いいかたがたばかりだ
わたしみたいなものは
顔がなくなるようなきがした
 (小詩集「ことば」初出)

 天

(てん)といふのは
あたまのうへの
みえる あれだ
神さまが
おいでなさるなら あすこだ
ほかにはゐない
 (小詩集「ことば」初出)

●大正14年9月「詩之家」7篇

 美しくすてる

菊の芽をとり
きくの芽をすてる
うつくしくすてる
 (小詩集「美しき世界」初出)

 美しくみる

わたしの
かたはらにたち
わたしをみる
美しくみる
 (初稿不詳)

 路(みち)

路をみれば
こころ おどる
 (初稿不詳)

 かなかな

かなかなが 鳴く
こころは
むらがりおこり
やがて すべられて
ひたすらに 幼(をさな)く 澄む
 (小詩集「美しき世界」初出)

 山吹

山吹を おもへば
水のごとし
 (小詩集「美しき世界」初出)

 ある日

こころ
うつくしき日は
やぶれたるを
やぶれたりとなせど かなしからず
妻を よび
(こ)をよびて
かたりたはむる
 (小詩集「美しき世界」初出)

 憎しみ

にくしみに
花さけば
こころ おどらむ
 (小詩集「美しき世界」初出)

●大正14年10月「詩之家」6篇

 花がふつてくると思ふ

花がふつてくるとおもふ
花が散つてくるとおもふ
この てのひらにうけとらうとおもふ
 (小詩集「ひびいてゆこう」初出)

 涙

つまらないから
あかるい陽(ひ)のなかにたつてなみだをながしてゐた
 (小詩集「花をかついで歌をうたわう」初出)

 母をおもふ

けしきが
あかるくなつてきた

母をつれて
てくてくあるきたくなつた

母はきつと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだらう
 (小詩集「花をかついで歌をうたわう」初出)

 風が鳴る

とうもろこしに風が鳴る
死ねよと 鳴る
死ねよとなる
死んでゆかうとおもふ
 (小詩集「花をかついで歌をうたわう」初出)

 こどもが病(や)

こどもが せきをする
このせきを癒(なお)さうとおもふだけになる
じぶんの顔が
(おお)きな顔になつたやうな気がして
こどものうへに掩(おお)ひかぶさらうとする
 (小詩集「花をかついで歌をうたわう」初出)

 ひびいてゆかう

おおぞらを
びんびんと ひびいてゆかう
 (小詩集「ひびいてゆこう」初出)

●大正14年10月「詩神」8篇

 雨の日

雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたわう
 (小詩集「うたを歌わう」初出)

 蟻

蟻のごとく
ふはふはふは とゆくべきか
おほいなる蟻はかるくゆく
 (小詩集「美しき世界」初出)

 大山とんぼ

大山とんぼを 知つてるか
くろくて 巨(おお)きくて すごいようだ
けふ
昼 ひなか
くやしいことをきいたので
赤んぼ抱いてでたらば
大山とんぼが 路(みち)にうかんでた
みし みし とあつちへゆくので
わたしもぐんぐんくつついていつた
 (小詩集「ひびいてゆこう」初出)

 虫

虫がないてる
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる
 (小詩集「うたを歌わう」初出)

 あさがほ

あさがほを 見
死をおもひ
はかなきことをおもひ
 (小詩集「うたを歌わう」初出)

 萩(はぎ)

萩がすきか
わたしはすきだ
持つて 遊ばうか
 (小詩集「うたを歌わう」初出)

 水瓜(すいか)を喰わう

水瓜をくわう
水瓜のことをかんがへると
そこだけ明るく 光つたやうにおもわれる
はやく 喰わう
 (小詩集「うたを歌わう」初出)

 こうぢん虫

ふと
とつて 投げた
こうぢん虫をみてゐたらば
そのせなかは青く
はかないきもちになつてしまつた
 (小詩集「うたを歌わう」初出)

●大正14年11月「詩之家」5篇

 秋のひかり

ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう
 (小詩集「花をかついで歌をうたわう」初出)

 月

月にてらされると
ひとりでに遊びたくなつてくる
そつと涙をながしたり
にこにこしたりしておどりたくなる
 (小詩集「花をかついで歌をうたわう」初出)

 かなしみ

かなしみを乳房のようにまさぐり
かなしみにはなれたら死のうとしてゐる
 (小詩集「母の瞳」初出)

 ふるさとの川

ふるさとの川よ
ふるさとの川よ
よい音をたててながれてゐるだらう
 (小詩集「母の瞳」初出)

 ふるさとの山

ふるさとの山をむねにうつし
ゆうぐれをたのしむ
 (小詩集「母の瞳」初出)

●大正15年1月「詩之家」4篇、この頃より体調不良

 日をゆびさしたい

うすら陽の空をみれば
日のところがあかるんでゐる
その日をゆびさしたくなる
心はむなしく日をゆびさしたくなる
 (小詩集「日をゆびさしたい」初出)

 雨

窓をあけて雨をみてゐると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでゐたいとおもふ
 (小詩集「日をゆびさしたい」初出)

 くろずんだ木

くろずんだ木をみあげると
むこうではわたしをみおろしてゐる
おまへはまた懐手(ふところで)してゐるのかといつてみおろしてゐる
 (小詩集「日をゆびさしたい」初出)

 障子(しょうじ)

あかるい秋がやつてきた
しずかな障子のそばへすりよつて
おとなしい子供のように
じつとあたりのけはひをたのしんでゐたい
 (小詩集「日をゆびさしたい」初出)

●大正15年1月「詩神」2篇

 母の瞳

ゆふぐれ
瞳をひらけば
ふるさとの母うへもまた
とおくみひとみをひらきたまひて
かあゆきものよといひたまふここちするなり
 (小詩集「母の瞳」初出)

 お月見

月に照らされると
月のひかりに
こころがうたれて
芋の洗つたのや
すすきや豆腐をならべたくなる
お月見だお月見だとさわぎたくなる
 (小詩集「母の瞳」初出)

●大正15年1月「日本詩人」6篇

 不思議

こころが美しくなると
そこいらが
明るく かるげになつてくる
どんな不思議がうまれても
おどろかないとおもへてくる
はやく
不思議がうまれればいいなあとおもへてくる
 (小詩集「美しき世界」初出)

 人形

ねころんでいたらば
うまのりになつてゐた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていつてしまつた
うたをうたひながらあつちへいつてしまつた
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばひになつたまま
胸をふくらませてみたりつぼめたりしてゐた
 (小詩集「木と ものの音」初出)

 美しくあるく

こどもが
せつせつ せつせつ とあるく
すこしきたならしくあるく
そのくせ
ときどきちらつとうつくしくなる
 (小詩集「美しき世界」初出)

 悲しみ

かなしみと
わたしと
足をからませて たどたどとゆく
 (小詩集「美しき世界」初出)

 草をむしる

草をむしれば
あたりが かるくなつてくる
わたしが
草をむしつてゐるだけになつてくる
 (小詩集「美しき世界」初出)

 童(こども)

ちさい童が
むこうをむいてとんでゆく
たもとを両手でひろげて かけてゆく
みてゐたらば
わくわくと たまらなくなつてきた
 (小詩集「美しき世界」初出)

●大正15年2月「詩之家」7篇、同月風邪で受診

 神の道

自分が
この着物さへも脱いで
乞食のようになつて
神の道にしたがわなくてもよいのか
かんがへの末は必ずここへくる
 (小詩集「野火」初出)

 冬

悲しく投げやりな気持でゐると
ものに驚かない
冬をうつくしいとだけおもつてゐる
 (小詩集「野火」初出)

 冬日(ふゆび)

冬の日はうすいけれど
明るく
涙も出なくなつてしまった私をいたわつてくれる
 (小詩集「野火」初出)

 森

日がひかりはじめたとき
森の中をみてゐたらば
森のなかに祭のやうに人をすひよせるものをかんじた
 (小詩集「晩秋」初出)

 夕焼

あの夕焼けのしたに
妻や桃子たちも待つてゐるだらうと
明るんだ道をたのしく帰つてきた
 (小詩集「野火」初出)

 霜(しも)

地はうつくしい気持をはりきつて耐(こ)らへていた
そのきもちを草にも花にも吐けなかつた
とうとう肉をみせるようにはげしい霜をだした
 (小詩集「野火」初出)

 冬

葉は赤くなり
うつくしさに耐へず落ちてしまつた
地はつめたくなり
霜をだして死ぬまいとしてゐる
 (小詩集「野火」初出)

●大正15年2月(総題「短詩集」)「若草」4篇

 素朴な琴

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだろう
 (小詩集「晩秋」初出)

 響(ひびき)

秋はあかるくなりきつた
この明るさの奥に
しづかな響があるようにおもわれる
 (小詩集「晩秋」初出)

 霧

霧がみなぎつてゐる
あさ日はあがつたらしい
つつましく心はたかぶつてくる
 (小詩集「赤い寝衣」初出)

 故郷(ふるさと)

心のくらい日に
ふるさとは祭のようにあかるんでおもわれる
 (小詩集「赤い寝衣」初出)

●大正15年3月「詩之家」2篇、同月結核発症判明

 踊(おどり)

冬になつて
こんな静かな日はめつたに無い
桃子をつれて出たらば
櫟林(くぬぎばやし)のはづれで
子供はひとりでに踊りはじめた
両手をくくれた顎のあたりでまわしながら
毛糸の真紅(しんく)の頭布(ずきん)をかぶつて首をかしげ
しきりにひよこんひよこんやつてゐる
ふくらんで着こんだ着物に染めてある
鳳凰の赤い模様があかるい
きつく死をみつめた私のこころは
桃子がおどるのを見てうれしかつた
 (小詩集「麗日」初出)

 お化け

冬は
夜になると
うつすらした気持ちになる
お化けでも出そうな気がしてくる
 (小詩集「麗日」初出)

●大正15年3月「アルスグラフ」3篇

 麗日(れいじつ)

桃子
また外へ出て
赤い茨(いばら)の実をとつて来ようか
 (小詩集「麗日」初出)

 冬

ながいこと考えこんで
きれいに諦めてしまつて外へ出たら
夕方ちかい樺色(かばいろ)の空が
つめたくはりつめた
雲の間に見えてほんとにうれしかつた
 (小詩集「麗日」初出)

 冬の野

死ぬことばかり考えているせいだらうか
枯れた茅(かや)のかげに
赤いやうなものを見たとおもつた
 (小詩集「赤い花」初出)

●大正15年4月「詩之家」7篇

 春

桃子
お父ちやんはね
早く快(よ)くなってお前と遊びたいよ
 (小詩集「信仰詩篇」初出)

 春

雀をみてゐると
私は雀になりたくなつた
 (小詩集「信仰詩篇」初出)

 陽遊(かげろう)

さすがにもう春だ
気持も
とりとめの無いくらいゆるんできた
でも彼処(あそこ)にふるへながらたちのぼる
陽遊のやうな我慢しきれぬおもひもある
 (小詩集「信仰詩篇」初出)

 春

ほんによく晴れた朝だ
桃子は窓をあけて首をだし
桃ちゃん いい子 いい子うよ
桃ちゃん いい子 いい子うよつて歌つてゐる
 (小詩集「信仰詩篇」初出)

 梅

梅を見にきたらば
まだ少ししか咲いてゐず
こまかい枝がうすうす光つてゐた
 (小詩集「信仰詩篇」初出)

 冬の夜

おおひどい風
もう子供等(ら)はねてゐる
私は吸入器を組み立ててくれる妻のほうをみながら
ほんとに早く快(よ)くなりたいとおもつた
 (小詩集「信仰詩篇」初出)

 病気

からだが悪いので
自分のまはりが
ぐるつと薄くなつたようでたよりなく
桃子をそばへ呼んで話をしてゐた
 (小詩集「信仰詩篇」初出)

●大正15年5月「詩之家」6篇、同月結核悪化により入院

 太陽

日をまともに見てゐるだけで
うれしいと思つてゐるときがある
 (小詩集「ノオトA」初出)

 石

ながい間からだが悪るく
うつむいて歩るいてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがつてゐた
 (小詩集「ノオトA」初出)

 春

原へねころがり
なんにもない空を見てゐた
 (小詩集「ノオトA」初出)

 春

朝眼(め)を醒さまして
自分のからだの弱いこと
妻のこと子供達の行末のことをかんがへ
ぼろぼろ涙が出てとまらなかつた
 (小詩集「ノオトA」初出)

 春

黒い犬が
のつそり縁側のとこへ来て私をみてゐる
 (小詩集「ノオトA」初出)

 桜

綺麗な桜の花をみてゐると
そのひとすぢの気持ちにうたれる
 (小詩集「ノオトA」初出)

●大正15年5月「日本詩人」4篇、7月より中学校英語教師休職・自宅療養

 奇蹟

癩病の男が
基督のところへ来て拝んでゐる
旦那
おめえ様が癒してやつてくれべいとせえ思やあ
わしの病気やすぐ癒りまさあ
旦那なおしておくんなせい
拝むから 旦那 癒してやつておくんなせい 旦那
基督は悲しいお顔をなさつた
そしてその男のからだへさはつて
よし さあ潔(きよ)くなれ
とお言ひになると
見てゐるまに癩病が癒つた
 (小詩集「(欠題詩篇)」初出)

 私

ながいこと病んでゐて
ふと非常に気持がよいので
人の見てないとこでふざけてみた
 (小詩集「(欠題詩篇)」初出)

 花

おとなしくして居ると
花花が咲くのねつて 桃子が云ふ
 (小詩集「信仰詩篇」初出)

 冬

木に眼(め)が生(な)つて人を見てゐる
 (小詩集「赤い花」初出)

●大正15年9月「詩之家」5篇、10月より翌年10月逝去まで結核重篤により絶対安静(12月昭和改元)

 夜

夜になると
からだも心もしづまつてくる
花のやうなものをみつめて無造作にすわつてゐる
 (小詩集「日をゆびさしたい」初出)

 日が沈む

日はあかるいなかへ沈んではゆくが
みてゐる私の胸をうつてしづんでゆく
 (小詩集「日をゆびさしたい」初出)

 果物(くだもの)

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまつて
うつとりと実つてゆくらしい
 (小詩集「赤い寝衣」初出)

 壁

秋だ
草はすっかり色づいた
壁のとこへいつて
じぶんのきもちにききいつてゐたい
 (小詩集「赤い寝衣」初出)

 赤い寝衣(ねまき)

湯あがりの桃子は赤いねまきを着て
おしやべりしながら
ふとんのあたりを跳ねまわつてゐた
まつ赤かなからだの上したへ手と足がとびだして
くるつときりようのいい顔をのせ
ひよこひよこおどつてゐたが
もうしづかな障子のそばへねむつてゐる
 (小詩集「赤い寝衣」初出)

●昭和2年5月「生誕」5篇

 梅

眼がさめたやうに
梅にも梅自身の気持がわかつて来て
そう思ってゐるうちにも花が咲いたのだらう
そして
寒い朝霜(しも)がでるように
梅自らの気持がそのまま香にもなるのだらう
 (小詩集「信仰詩篇」初出)

 雨

雨は土をうるほしてゆく
雨というもののそばにしやがんで
雨のすることをみてゐたい
 (小詩集「しづかな朝」初出)

 木枯(こがらし)

風はひゆうひゆう吹いて来て
どこかで静まつてしまふ
 (小詩集「野火」初出)

 無題

雪がふつてゐるとき
木の根元をみたら
面白い小人がふざけてゐるような気がする
 (小詩集「(欠題詩篇)」初出)

 無題

神様 あなたに会ひたくなつた
 (小詩集「ノオトE」初出)

(以上詩集『貧しき信徒』収録詩篇生前発表分90篇)

*詩篇ごとに初稿の初出となる小詩集を付記し、全集の注釈によって詩篇本文(表記・表現)に異同が指摘されている場合は、雑誌掲載時の本文に復原して再掲載しました。

(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(以下次回)