八木重吉遺稿詩集『貧しき信徒』昭和3年(5)・第一詩集『秋の瞳』との対照 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

八木重吉詩集『秋の瞳』
大正14年(1925年)8月1日・新潮社刊
八木重吉詩集『貧しき信徒』
昭和3年(1928年)2月20日・野菊社刊
八木重吉・明治31年(1898年)2月9日生~
昭和2年(1927年)10月26日没(享年29歳)

 この八木重吉の第2詩集『貧しき信徒』の前に、第1詩集『秋の瞳』をご紹介して読んでいった際に、同詩集の内容を三種に分けてみて、収録詩編全117篇は、

●(a)生活詩・心境詩(詩的表現が断片的に過ぎ、生活報告や心境告白に留まる断篇)……40篇
●(b)箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩ら詩としては断章的で、警句や意見表明の次元で成立する断篇)……41篇
●(c)純粋詩(一編の詩として自律性の高い、独立した短詩と見なせる断篇)……36篇
 
 ――とほぼ当分な配置が見られることに注目してきました。『秋の瞳』で見られる八木重吉の詩は明治20年代以降に試行されてきた現代詩の一般的な形式よりも極端に短く、詩の書き出しのような数行、もっと長い詩からの抜粋のような数行を一篇のの詩として提示していることに特異性がありました。後に習作時代の草稿が発表後され、八木は必ずしも最初から短詩のみを指向していたのではなく、数行数連から成るごく一般的な抒情詩形式や、数十行~百行以上に及ぶ長詩も作詩を始めた初期習作には少なくないことが判明しました。しかし八木が後に公刊する第一詩集『秋の瞳』に収録される詩へのを小詩集の形でまとめ始めた大正13年には、大正10年から始まる詩作のうちそれら一般的な抒情詩、長詩形式の詩は採られず、手製小詩集ごとに小詩集の表題をタイトルにした無題の断章形式で詩作するようになったので、一見思いつきのように詩集収録に当たって断章ごとにタイトルがつけられた断片的短詩が並ぶ詩集『秋の瞳』は、大正14年春までの完成までに5年あまりの熟成期間があったのです。また八木は詩集『秋の瞳』刊行以後はやや年長や同年輩の中堅・新鋭詩人たちに注目されて同人詩誌の同人・寄稿者になりましたが、それまでは同人誌参加・投稿はおろか詩作の友人も持たずに一人で詩作を進めていました。中学校の英語教師だったため英文学は高等師範学校で学びましたが、キリスト教徒としては内村鑑三の著作の感化から直接聖書を自己流で学ぶ無教会派クリスチャンだったため、礼拝に通って伝道師から聖書を学ぶこともありませんでした。詩集『秋の瞳』は独学者による完全な未発表詩集として刊行されたのです。そこに『秋の瞳』完成後に創作され詩誌・雑誌発表された129篇の中から90篇を選び、未発表の13篇を加えて編集された第二詩集『貧しき信徒』との成立上の違いがあります。また八木の詩篇には長女・桃子と長男・陽二の二児、ことに第一詩集『秋の瞳』創作時には1歳、第二詩集『貧しき信徒』創作時には3歳の桃子が天使のように描かれていますが、桃子(1923-1937)は八木没後11年目に女学校中学二年生の14歳で、陽二(1925-1940)は八木没後14年目に旧制中学4年生の15歳でともに結核で瞳しており、未亡人のとみ子(登美子)は夫人に先立たれて四児の寡夫だった歌人の吉野秀雄(1902-1967)と八木没後21年目に再婚し、以降とみ子夫人と八木を尊敬する吉野は子息子女とともに、八木の遺稿の整理を吉野家の家業とすることになります。

 八木重吉の2冊の公刊詩集の成立過程の違いは詩質の上にも及んでいると言ってよく、本質的にモノローグの詩集と見なすことができる『秋の瞳』と異なり、『貧しき信徒』の詩はまず読者の目に触れることを意識して膨大な手稿の中から選ばれたものと言えるでしょう。詩集全体では『貧しき信徒』収録詩は『秋の瞳』よりもさらに短詩傾向が進みましたが、『秋の瞳』で1行~4行で謎のように放り出されていた短詩が、『貧しき信徒』では読者の解釈を待ち受けて完結するような対話的性格を備えるようになっている、と言うことです。そして個々の詩篇でも詩集全体でも『貧しき信徒』の対話的性格は一貫しており、成功しているので、『秋の瞳』ではおよそ独立した詩篇としては成り立たないような生活詩・心境詩、箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩)と見かけの上では似ていても、『貧しき信徒』の収録詩篇は一篇一篇が明確な詩想を伝えるものになっています。八木の詩は八木重吉が大正詩人のなかでもっとも関心を抱いていたと推定される山村暮鳥(1884-1924)の遺作詩集『雲』(大正14年)との類似が指摘されますが、病床にある詩人本人が語り手として一貫している『貧しき信徒』は確かに『雲』に近く、第一詩集『秋の瞳』はむしろ暮鳥のもっとも難解な奇想詩集『聖三稜玻璃』(大正4年)に近いのです。
 
 詩集『秋の瞳』の衝撃性は、先に述べたような、山村暮鳥詩集『聖三稜玻璃』に比肩するような、一篇ごとの詩としては不備でわけのわからない断章的性格にありました。しかし詩集『秋の瞳』は純粋詩とほほ同等に篇数を占める生活心境詩・箴言詩が詩集中に混在しているので、一見するとこうした詩集中での住み分けがまったく方法意識を感じさせず行われているために、『全詩集大成・現代日本詩人全集』第12巻(昭和29年、創元社刊)の伊藤信吉(1906-2002)による解説では八木の詩の精神的な美しさを認めた上で、

「重吉の作品には、近代的な意味での詩的意識や詩的方法というべきものがない。どの作品の構成も単純で、現代詩の複雑な意識からはとおく距たっている。したがってこのような詩には、興味をもたない人も少くないだろう。私もこの詩人は現代詩の古典的面に属するとおもうが、だからといって私には、これを全面的に否定することはできない」
 (伊藤信吉「解説」)
 
 ――と結んでいますが、こうした伊藤信吉の見方を生むのもそうした八木の詩集の見かけに原因があると思われます。『秋の瞳』の箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩)に分類されるものから今一度抜粋してみましょう。

えんぜるになりたい
花になりたい
 (「花になりたい」全行)

無造作な くも、
あのくものあたりへ 死にたい
 (「無造作な 雲」全行)

このかなしみを
ひとつに 統(す)ぶる 力(ちから)はないか
 (「かなしみ」全行)

死 と 珠 と
また おもふべき 今日が きた
 (「死と珠(たま)」全行)

わたしは
玉に ならうかしら

わたしには
(なん)にも 玉にすることはできまいゆえ
 (「玉(たま)」全行)

ぐさり! と
やつて みたし

人を ころさば
こころよからん
 (「人を 殺さば」全行)

この しのだけ
ほそく のびた

なぜ ほそい
ほそいから わたしのむねが 痛い
 (「しのだけ」全行)

すずめが とぶ
いちじるしい あやうさ

はれわたりたる
この あさの あやうさ
 (「朝の あやうさ」全行)

あき空を はとが とぶ、
それでよい
それで いいのだ
 (「鳩が飛ぶ」全行)

わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
 (「草に すわる」全行)

くらげ くらげ
くものかかつた 思ひきつた よるの月
 (「夜の 空の くらげ」全行)

巨人が 生まれたならば
人間を みいんな 植物にしてしまうにちがいない
 (「人間」全行)

花が 咲いた
秋の日の
こころのなかに 花がさいた
 (「秋の日の こころ」全行)

赤い 松の幹は 感傷
 (「感傷」全行)

かへるべきである ともおもわれる
 (「おもひ」全行)

このひごろ
あまりには
ひとを 憎まず
すきとほりゆく
郷愁
ひえびえと ながる
 (「郷愁」全行)

宇宙の良心―耶蘇
 (「宇宙の 良心」全行)

(きざ)まれたる
空よ
光よ
 (「空 と 光」)

 ――また、『秋の瞳』収録詩篇のうち生活詩・心境詩に分類できる詩篇も『貧しき信徒』の大半を占める生活詩・心境詩とは異なる、モノローグ的性格が強いものです。それは直接かつて持ったことのない未知の読者に向けられた「序」についても言えることでしょう。

 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。
 (「序」全行)

はつあきの よるを つらぬく
かなしみの 火矢こそするどく
わづかに 銀色にひらめいてつんざいてゆく
それにいくらのせようと あせつたとて
この わたしのおもたいこころだもの
ああ どうして
そんな うれしいことが できるだらうか
 (「哀しみの 火矢(ひや)」全行)

あかるい 日だ 
窓のそとをみよ たかいところで
植木屋が ひねもすはたらく

あつい 日だ
用もないのに
わたしのこころで
朝から 刈りつづけてゐるのは いつたいたれだ
 (「植木屋」全行)

ふるさとの山のなかに うづくまつたとき
さやかにも 私の悔いは もえました
あまりにうつくしい それの ほのほに
しばし わたしは
こしかたの あやまちを 讃むるようなきもちになつた
 (「ふるさとの 山」全行)

いち群のぶよが 舞ふ 秋の落日
(ああ わたしも いけないんだ
他人も いけないんだ)
まやまやまやと ぶよが くるめく
(吐息ばかりして くらすわたしなら
死んぢまつたほうが いいのかしら)
 (「一群の ぶよ」全行)

すとうぶを みつめてあれば
すとうぶをたたき切つてみたくなる

ぐわらぐわらとたぎる
この すとうぶの 怪! 寂!
 (「悩ましき 外景」全行)

ふるへるのか
そんなに 白つぽく、さ

これは
「つばね」の ほうけた 穂

ほうけた 穂なのかい
わたしぢや なかつたのか、え
 (「「つばね」の 穂」全行)

ふがいなさに ふがいなさに
大木をたたくのだ、
なんにも わかりやしない ああ
このわたしの いやに安物のぎやまんみたいな
『真理よ 出てこいよ
出てきてくれよ』
わたしは 木を たたくのだ
わたしは さびしいなあ
 (「大木(たいぼく) を たたく」全行)

くらい よる、
ひとりで 稲妻をみた
そして いそいで ペンをとつた
わたしのうちにも
いなづまに似た ひらめきがあるとおもつたので、
しかし だめでした
わたしは たまらなく
歯をくひしばつて つつぷしてしまつた
 (「稲妻」全行)

山のうへには
はたけが あつたつけ

はたけのすみに うづくまつてみた
あの 空の 近かつたこと
おそろしかつたこと
 (「追憶」全行)

(み)
ひとつぶの あさがほの 実
さぶしいだらうな、実よ

あ おまへは わたしぢやなかつたのかえ
 (「草の 実」全行)

止まつた 懐中時計(ウオツチ)
ほそい 三つの 針、
白い 夜だのに
丸いかほの おまへの うつろ、
うごけ うごけ
うごかぬ おまへがこわい
 (「止まつた ウオツチ」全行)

この虹をみる わたしと ちさい妻、
やすやすと この虹を讃めうる
わたしら二人 けふのさひわひのおほいさ
 (「虹」全行)

れいめいは さんざめいて ながれてゆく
やなぎのえだが さらりさらりと なびくとき
あれほどおもたい わたしの こころでさへ
なんとはなしに さらさらとながされてゆく
 (「黎明」全行)

白い 路
まつすぐな 杉
わたしが のぼる、
いつまでも のぼりたいなあ
 (「白い 路」全行)

せつに せつに
ねがへども けふ水を みえねば
なぐさまぬ こころおどりて
はるのそらに
しづかなる ながれを かんずる
 (「しづかなる ながれ」全行)

これは ちいさい ふくろ
ねんねこ おんぶのとき
せなかに たらす 赤いふくろ
まつしろな 絹のひもがついてゐます
けさは
しなやかな 秋
ごらんなさい
机のうへに 金糸のぬいとりもはいつた 赤いふくろがおいてある
 (「ちいさい ふくろ」全行)

かの日の 怒り
ひとりの いきもののごとくあゆみきたる
ひかりある
くろき 珠のごとく うしろよりせまつてくる
 (「怒り」全行)

 ――さらに、『秋の瞳』中で詩として自律性を備えた、純粋詩に数えられる詩篇にも同質の不可解さがあります。しかもこれらは不可解でありながらも見事な詩的達成を示しており、成功した詩篇における八木重吉の語感の柔軟さ・精妙さは、とてもほとんど100年近く昔の、1921年~25年に書かれた作品とは思えない新鮮な感覚を伝えてあまりあります。

息を ころせ
いきを ころせ
あかんぼが 空を みる
ああ 空を みる
 (「息を 殺せ」全行)

白い 枝
ほそく 痛い 枝
わたしのこころに
白い えだ
 (「白い枝」全行)

(なまり)のなかを
ちようちよが とんでゆく
 (「鉛と ちようちよ」全行)

ことさら
かつぜんとして 秋がゆふぐれをひろげるころ
たましいは 街を ひたはしりにはしりぬいて
西へ 西へと うちひびいてゆく
 (「ひびく たましい」全行)

そらを 指す
木は かなし
そが ほそき
こずゑの 傷いたさ
 (「空を 指(さ)す 梢(こずゑ)」全行)

赤んぼが わらふ
あかんぼが わらふ
わたしだつて わらふ
あかんぼが わらふ
 (「赤ん坊が わらふ」全行)

こころよ
では いつておいで

しかし
また もどつておいでね

やつぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行つておいで
 (「心 よ」全行)

はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかつたのです

ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたへました
にんげんのこころも
ひかりのなかに うまれました
いつまでも いつまでも
かなしかれと 祝福(いわわ)れながら
 (「貫ぬく 光」全行)

ほそい
がらすが
ぴいん と
われました
 (「ほそい がらす」全行)

くものある日
くもは かなしい
くもの ない日
そらは さびしい
 (「雲」全行)

ある日の こころ
山となり

ある日の こころ
空となり

ある日の こころ
わたしと なりて さぶし
 (「在る日の こころ」全行)

おさない日は
水が もの云ふ日

木が そだてば
そだつひびきが きこゆる日
 (「幼い日」全行)

霧が ふる
きりが ふる
あさが しづもる
きりがふる
 (「霧が ふる」全行)

空が 凝視(み)てゐる
ああ おほぞらが わたしを みつめてゐる
おそろしく むねおどるかなしい 瞳
ひとみ! ひとみ!
ひろやかな ひとみ、ふかぶかと
かぎりない ひとみのうなばら
ああ、その つよさ
まさびしさ さやけさ
 (「空が 凝視(み)てゐる」全行)

ああ
はるか
よるの
薔薇
 (「夜の薔薇(そうび)」全行)

(ひと)つの 木に
(ひと)つの 影
木 は
しづかな ほのほ
 (「静かな 焔」全行)

しろい きのこ
きいろい きのこ
あめの日
しづかな日
 (「あめの 日」全行)

ちさい 童女が
ぬかるみばたで くびをまわす
灰色の
午后の 暗光
 (「暗光」全行)

秋が くると いふのか
なにものとも しれぬけれど
すこしづつ そして わづかにいろづいてゆく、
わたしのこころが
それよりも もつとひろいもののなかへくづれて ゆくのか
 (「秋」全行)

おもたい
沼ですよ
しづかな
かぜ ですよ
 (「沼と風」全行)

まひる
けむし を 土にうづめる
 (「毛蟲を うづめる」全行)

春は かるく たたずむ
さくらの みだれさく しづけさの あたりに
十四の少女の
ちさい おくれ毛の あたりに
秋よりは ひくい はなやかな そら
ああ けふにして 春のかなしさを あざやかにみる
 (「春」全行)

やなぎも かるく
春も かるく
赤い 山車(だし)には 赤い児がついて
青い 山車には 青い児がついて
柳もかるく
はるもかるく
けふの まつりは 花のようだ
 (「柳も かるく」全行)
 
 これら詩集『秋の瞳』収録詩篇を含めて、「重吉の作品には、近代的な意味での詩的意識や詩的方法というべきものがない。どの作品の構成も単純で、現代詩の複雑な意識からはとおく距たっている」と評するのは、詩集『貧しき信徒』が与える一面の印象によるものと思われるのです。伊藤信吉が編・解説を担当した『現代詩人全集』第5巻(角川文庫・昭和35年10月刊)は「歴程」派詩人15人を収め、八木重吉は『秋の瞳』から9篇、『貧しき信徒』から17篇、遺稿から26篇が選ばれていますが、『秋の瞳』から選出された9篇、『貧しき信徒』から選出された17篇は以下の通りです。この選抄に働いているのが「重吉の作品には、近代的な意味での詩的意識や詩的方法というべきものがない」という伊藤信吉の八木重吉観です。この伊藤信吉選の『貧しき信徒』からの抄出詩篇を読む限り、詩集『秋の瞳』の謎めいた詩人の面影はほとんど感じられないではありませんか。

●角川文庫『現代詩人全集』第5巻より伊藤信吉編「八木重吉集」

 おほぞらの こころ

わたしよ わたしよ
白鳥となり
らんらんと 透きとほつて
おほぞらを かけり
おほぞらの うるわしいこころに ながれよう

 つかれたる 心

あかき 霜月の葉を
窓よりみる日 旅を おもふ
かくのごとくは じつにおごれるに似たれど
まことは
こころ あまりにも つかれたるゆえなり

 心 よ

ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて はてしなく
まぼろしを 追ふて かぎりなく
こころときめいて かけりゆくよ

 夜の薔薇(そうび)

ああ
はるか
よるの
薔薇

 

秋が くると いふのか
なにものとも しれぬけれど
すこしづつ そして わづかにいろづいてゆく、
わたしのこころが
それよりも もつとひろいもののなかへくづれて ゆくのか

 白い 雲

秋の いちじるしさは
空の 碧(みどり)を つんざいて 横にながれた白い雲だ
なにを かたつてゐるのか
それはわからないが、
りんりんと かなしい しづかな雲だ

 おもひ

かへるべきである ともおもわれる

 

春は かるく たたずむ
さくらの みだれさく しづけさの あたりに
十四の少女の
ちさい おくれ毛の あたりに
秋よりは ひくい はなやかな そら
ああ けふにして 春のかなしさを あざやかにみる

 柳も かるく

やなぎも かるく
春も かるく
赤い 山車(だし)には 赤い児がついて
青い 山車には 青い児がついて
柳もかるく
はるもかるく
けふの まつりは 花のようだ

(以上、角川文庫『現代詩人全集』第5巻より伊藤信吉編『秋の瞳』選抄)

 母の瞳

ゆふぐれ
瞳をひらけば
ふるさとの母うへもまた
とおくみひとみをひらきたまひて
かあゆきものよといひたまふここちするなり

 

つまらないから
あかるい陽(ひ)のなかにたつてなみだを
ながしてゐた

 

ひかりとあそびたい
わらつたり
(な)いたり
つきとばしあつたりしてあそびたい

 ひびいてゆかう

おおぞらを
びんびんと ひびいてゆかう

 悲しみ

かなしみと
わたしと
足をからませて たどたどとゆく

 草をむしる

草をむしれば
あたりが かるくなつてくる
わたしが
草をむしつてゐるだけになつてくる

 

虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる

 

梅を見にきたらば
まだ少ししか咲いてゐず
こまかい枝がうすうす光つてゐた

 

日がひかりはじめたとき
森のなかをみてゐたらば
森の中に祭のやうに人をすひよせるものをかんじた

 ひかる人

私をぬぐらせてしまひ
そこのとこへひかるやうな人をたたせたい

 素朴な琴

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだろう

 (ひびき)

秋はあかるくなりきつた
この明るさの奥に
しづかな響があるようにおもわれる

 故郷(ふるさと)

心のくらい日に
ふるさとは祭のようにあかるんでおもわれる

 ふるさとの川

ふるさとの川よ
ふるさとの川よ
よい音をたててながれてゐるだらう

 ふるさとの山

ふるさとの山をむねにうつし
ゆうぐれをたのしむ

 夕焼

いま日が落ちて
赤い雲がちらばつてゐる
桃子と往還(おうかん)のところでながいこと見てゐた

 冬の野

死ぬことばかり考えているせいだらうか
枯れた茅(かや)のかげに
赤いやうなものを見たとおもつた

(以上、角川文庫『現代詩人全集』第5巻より伊藤信吉編『貧しき信徒』選抄)

(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(以下次回)