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私が船乗りをしていた頃は「大航海時代」と呼ばれたものだ、とムーミンパパはパイプに刻みを詰めながら、遠い海洋に思いを馳せる臭い芝居に入り込みました。ですがすぐに気が変わったか、私が登山家だった頃は「山男にゃ惚れるなよ」と言われるくらいに誰も彼もが山登りに血道を上げていたものだ、いやあ若気の至りだね、ときたので、次にスキーの話題になった時は良心のかけらもない偽ムーミンですらこの軽薄で哀れな男と、自分が今なりすましているその息子の存在に無意味であることの憐れみを痛感したほどです。その痛みは鋭利なものではなく、鈍い痛覚がじわじわ後を引くようなものでした。偽ムーミンであることがこれだけ無責任でいられることならば、将来実のムーミンが背負いこまなければならないだろうムーミン谷の「虚」とはどれだけのものなのか、偽ムーミンには直視しがたいものがありました。
それに君は、前回は君にしてはなかなかの分析力だったとほめてあげてもいいが、もっとぼくたちを能力において隔てる大きな要素を素通りしている。君だって本質はただのうすのろやぼんくらではなく、おそらく人類史的にはローカルなイノセンティの象徴とも言えて、おそらく侵略と略奪、殺戮の建国史を持つ国家だからこそ君のような間抜けがフィクションの人気者になるんだろう。つまりさ、とスヌーピーは言いました、ぼくは口先三寸で君を丸めこめるが君にはそれができない。ぼくらが握手すると君は友だちになれたなと思うがぼくはこれでうまく騙せたなと思う。君はそういう少年さ。
あのーハイグレおねいさん、と野原しんのすけは言いました、これでオラのお手伝いをしてくれないかなあ。ハイグレじゃないわよハイレグ、とおねいさんはしんのすけの差し出したものを見ると、ねえ坊や、これってなんの冗談?
冗談じゃあないぞ、きびダンゴだゾ。きびダンゴって普通串には差してなくなあい?みっつしか買えなかったから。だんご三兄弟、なんちて。だからハイグレおねいさんは一番目のお手伝いさんだゾ。ね、オラ何でもするから、お願い。
ハイグレおねいさんはしんのすけの泣き落としをこばめず一人めのけらいになりました。もちろんしんのすけにはシロがいますが、シロはペットではなく親友なので、
・犬は勘定に入れません。
しばらく進むとバスに置いてきぼりにされたバスガイドに出会い、けらいは二人になりました。三人めにけらいになったのはヒッチハイク中のエレベーターガールでした。
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キミが口先三寸のビーグル犬だってことは誰もが知ってる、とチャーリー・ブラウンは苦々しい口調で言いました。そしてぼくは飼い犬にも劣る知性の少年の役割、コメディ・リリーフってやつだね、そういう役割なのも承知してる。ぼくらはピーナッツ世界の住人だからね。
だけど今、こんな状況じゃぼくたちはデフォルトの設定が通用しない事態に陥ったと考えるしかない。つまり……もう何度もつまりと言ってきたような気がするが、ぼくたちは絶体絶命の境地にいる。キミだってそのくらいは承知のはずだ。
普段チャーリーがこれほどの長広舌を繰り広げることはめったにありません。しかしスヌーピーの態度はのれんに腕押し、柳に風といった様子なのが偽ムーミンにも妙に不吉な予感を抱かせました。もしあちらのピーナッツ世界が崩壊するならば、このムーミン谷もピーナッツ・タウンの平行世界ですから、ドミノ倒し式にムーミン谷の成立基盤も崩壊しないとはかぎらない。その時には、偽ムーミンは今ある偽ムーミンとの同一性を保てなくなってしまうかもしれません。それは偽ムーミンにとって、もっとも望ましくない変化でした。しかし……。
チャーリーの預かり知らぬところで、偽ムーミンが唯一希望を託せるとしたら、それは野原しんのすけの存在でした。しんちゃんにとってスヌーピーたちが従来通りであり、ムーミン谷が同じムーミン谷として識別されているならば、しんちゃんの認識の中にはピーナッツ世界もムーミン谷もそのままのかたちで存在しているのです。しんちゃんにとって虚構と現実が同一線上に混在している事態とは、
・アクション仮面
・カンタムロボ
・ぶりぶりざえもん
……の具現化からも明らかです。しかし偽ムーミンたちの世界から見れば、しんのすけの住む世界で実在しているのはただ一人しんのすけだけで、チャーリーとスヌーピーにとってパインクレスト町がそうであるように、春日部市自体がしんのすけの存在によって出現した仮構の空間にすぎないのでした。野原ひろし、みさえ、ひまわり、幼稚園のみんな、もちろんかすかべ防衛隊もすべてはしんちゃんの悪夢の生んだキャラクターにすぎなかったのです……偽ムーミンの立場から見れば。では、と偽ムーミンは考えました。おれも誰かに見られている、その夢の中の存在にすぎないのだろうか?