八木重吉詩集『秋の瞳』大正14年(1925年)その14・『秋の瞳』収録詩篇の分類(1) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

八木重吉・明治31年(1898年)2月9日生~
昭和2年(1927年)10月26日没(享年29歳)
長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳
高橋新吉・明治34年(1901年)1月28日生~
昭和62年(1987年)6月5日没(享年86歳)
昭和29年(1954年)、53歳
 前回では八木の同世代・同時代の詩人、高橋新吉(1901-1987、大正12年=1923年刊行の第一詩集『ダダイスト新吉の詩』でデビュー)が3年間の入院(脳医学的薬物療法のなかった当時では完全に無刺激状態に置くため、病室や寺を利用した隔離監禁療法が行われました。高橋の場合は神道系の禅寺です)を含み6年間の沈黙からカムバックした第四詩集『戯言集』(昭和9年=1934年)の大半を占める表題作の、全67篇の短詩からなる連作長編詩「戯言集」を構成する断片的断章を、
 
●(a)生活報告や心境告白に留まる断篇
●(b)警句や意見表明の次元で成立している断篇
●(c)自律性の高い、独立した短詩と見なせる断篇
 
 の3種に分類してみました。読者によって分類には異論もあるとは思いますが、筆者の読解力の基準で上記3種に分類すると、
 
●(a)生活報告や心境告白に留まる断篇……22篇
●(b)警句や意見表明の次元で成立している断篇……23篇
●(c)自律性の高い、独立した短詩と見なせる断篇……22篇
 
 と意外な均衡が見られたのは大変意外な結果でした。高橋は連作長編詩「戯言集」の構成配列を初版以来再録のたびに入れ替えていますが、全67篇の断章内容は同一なので、この内容分布は意図的な書き分けではないとしても、選択と配列については十分に構成意識が働いていると思われます。初版詩集『戯言集』は連作長編詩「戯言集」67篇の他に後の全詩集では割愛される単独詩篇12篇を含んでおり、また第四詩集『戯言集』刊行と同年同月の昭和9年3月内に高橋は『戯言集』と並行して執筆編集されたと考えられる第五詩集『日食』を発表しています。3年間の入院を終えて再び上京して2年、6年ぶりの詩集刊行ですから詩集に収めきれないほどの詩篇があり、草稿となるときりがなかったでしょうが、『日食』には44篇の新作詩篇が収録され、また第六詩集『新吉詩抄』(昭和11年=1936年刊)には70篇、第七詩集『雨雲』(昭和13年=1938年刊)には83篇の新作が収められており、第八詩集『霧島』(昭和17年=1942年刊)、第九詩集『父母』(昭和18年=1943年刊)は年代も離れているので、『戯言集』収録詩篇と時期が重なる可能性があるのは『日食』『新吉詩抄』『雨雲』と全詩集『高橋新吉詩集(創元選書版)』(昭和27年=1952年刊)、立風書房『定本高橋新吉全詩集』(昭和47年=1972年刊)、青土社『高橋新吉全集第一巻・全詩集』(昭和57年=1982年刊)に収められた同時期の遺漏詩篇まででしょう。
 
 それだけ相当数の同時期の詩作の中からの選抜し、または「戯言集」のための書き下ろしから構成したのが連作長編詩「戯言集」ですから、これは八木重吉の大正14年(1925年)8月刊行の第1詩集『秋の瞳』序+全117篇が、大正10年(1921年)春に書かれた作品から、大正13年(1924年)秋に編纂に着手し編纂を終えた大正14年(1925年)春までに手製小詩集にまとめていた40冊・1,455篇のうち33冊から97篇を選び、書き下ろし詩篇20篇を加えて、通例のように章立てはせず、詩篇配列も年代順によらず、詩集全体で一冊の作品としての効果を狙った、成立過程と意図の共通点が指摘できると思われます。高橋の「戯言集」の断篇の分類とその結果は前回の通りですが、八木重吉の場合は連作詩としての提示ではなく一篇ごとに表題がつけられた詩であるために、判別は高橋新吉「戯言集」よりもいっそう難しくなるものの、
 
●(a)詩的表現が断片的に過ぎ、生活報告や心境告白に留まる詩篇
●(b)詩としては断篇的で、警句や意見表明の次元で成立する詩篇
●(c)一篇の詩として自律性の高い、独立した短詩と見なせる詩篇
 
 という見方で腑分けしていくことになります。なお選抄では意味がないので「序」も一篇の序詩とし全118篇と数え、今回は前半59篇、次回は後半59篇を取り上げました。序には番号を振らず、表題つき作品のみに通し番号を振りました。つまり今回は「序」+1~58の59篇、次回は59~117の59篇を取り上げます。詩集全体の分布は次回の後半59篇も合わせないと判明しませんが、「序」+1~58の59篇については、(a)が「序」+19篇、(b)が21篇、(c)が18篇という分布になりました。(b)の中にも(c)に移せる断章はあるのですが、八木の短詩の場合「わたし」に対する八木特有の用語「こころ」「そら」「ひかり」「かなしみ(または「さびしさ」)」「玉(または「珠」)」の主題が一篇で完全な表現(完結性)を持たず、数篇の断篇で連作的な表現を取るために、(c)には移せず(b)または(a)に分類される断篇が多いのです。しかし詩集前半の序+58篇で、詩集『秋の瞳』は意図的に(a)~(c)の三種に大別できる性格の異なる仕上がりの短詩をほぼ当分に配置していると判断しても良いと思われます。

八木重吉詩集『秋の瞳』
大正14年(1925年)8月1日・新潮社刊

 秋 の 瞳

 八木重吉

●(a)詩的表現が断片的に過ぎ、生活報告や心境告白に留まる詩篇……「序」+19編

 序

 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。

 (3)哀しみの 火矢(ひや)

はつあきの よるを つらぬく
かなしみの 火矢こそするどく
わづかに 銀色にひらめいてつんざいてゆく
それにいくらのせようと あせつたとて
この わたしのおもたいこころだもの
ああ どうして
そんな うれしいことが できるだらうか

 (7)植木屋

あかるい 日だ 
窓のそとをみよ たかいところで
植木屋が ひねもすはたらく

あつい 日だ
用もないのに
わたしのこころで
朝から 刈りつづけてゐるのは いつたいたれだ

 (8)ふるさとの 山

ふるさとの山のなかに うづくまつたとき
さやかにも 私の悔いは もえました
あまりにうつくしい それの ほのほに
しばし わたしは
こしかたの あやまちを 讃むるようなきもちになつた

 (11)一群の ぶよ

いち群のぶよが 舞ふ 秋の落日
(ああ わたしも いけないんだ
他人も いけないんだ)
まやまやまやと ぶよが くるめく
(吐息ばかりして くらすわたしなら
死んぢまつたほうが いいのかしら)

 (15)大和行

大和の国の水は こころのようにながれ
はるばると 紀伊とのさかひの山山のつらなり、
ああ 黄金(きん)のほそいいとにひかつて
秋のこころが ふりそそぎます

さとうきびの一片をかじる
きたない子が 築地(ついぢ)からひよつくりとびだすのもうつくしい、
このちさく赤い花も うれしく
しんみりと むねへしみてゆきます

けふはからりと 天気もいいんだし
わけもなく わたしは童話の世界をゆく、
日は うららうららと わづかに白い雲が わき
みかん畑には 少年の日の夢が ねむる

皇陵や、また みささぎのうへの しづかな雲や
追憶は はてしなく うつくしくうまれ、
志幾(しき)の宮の 舞殿(まひでん)にゆかをならして そでをふる
白衣(びやくえ)の 神女(みこ)は くちびるが 紅あかい

 (16)咲く心

うれしきは
こころ 咲きいづる日なり
秋、山にむかひて うれひあれば
わがこころ 花と咲くなり

 (19)つかれたる 心

あかき 霜月の葉を
窓よりみる日 旅を おもふ
かくのごときは じつに心おごれるに似たれど
まことは
こころ あまりにも つかれたるゆえなり

 (28)甕(かめ)
 
甕 を いくつしみたい
この日 ああ
甕よ、こころのしづけさにうかぶ その甕

なんにもない
おまへの うつろよ

甕よ、わたしの むねは
『甕よ!』と おまへを よびながら
あやしくも ふるへる

 (22)心 よ

ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて はてしなく
まぼろしを 追ふて かぎりなく
こころときめいて かけりゆけよ

 (31)こころの 海(うな)づら

照らされし こころの 海(うな)づら
しづみゆくは なにの 夕陽

しらみゆく ああ その 帆かげ
日は うすれゆけど
明けてゆく 白き ふなうた

 (35)石くれ

石くれを ひろつて
と視、こう視
(な)くばかり
ひとつの いしくれを みつめてありし

ややありて 
こころ 躍(おど)れり
されど
やがて こころ おどらずなれり

 (39)悩ましき 外景

すとうぶを みつめてあれば
すとうぶをたたき切つてみたくなる

ぐわらぐわらとたぎる
この すとうぶの 怪! 寂!

 (41)葉

葉よ、
しんしん と
冬日がむしばんでゆく、
おまへも
葉と 現ずるまでは
いらいらと さぶしかつたらうな
葉よ、
葉と 現じたる
この日 おまへの 崇厳

でも、葉よ
いままでは さぶしかつたらうな

 (43)しづけさ

ある日
もえさかる ほのほに みいでし
きわまりも あらぬ しづけさ

ある日
憎しみ もだえ
なげきと かなしみの おもわにみいでし
水の それのごとき 静けさ

 (44)夾竹桃

おほぞらのもとに 死ぬる
はつ夏の こころ ああ ただひとり
きようちくとうの くれなゐが
はつなつのこころに しみてゆく

 (50)痴寂な手

痴寂(ちせき)な手 その手だ、
こころを むしばみ 眸(め)を むしばみ
山を むしばみ 木と草を むしばむ

痴寂な手 石くれを むしばみ
飯を むしばみ かつをぶしを むしばみ
ああ、ねずみの 糞(ふん)さへ むしばんでゆく

わたしを、小(ち)さい 妻を
しづかなる空を 白い雲を
痴寂な手 おまへは むさぼり むしばむ
おお、おろかしい 寂寥の手
おまへは、まあ
じぶんの手をさへ 喰つて しまふのかえ

 (51)くちばしの黄な 黒い鳥

くちばしの 黄いろい
まつ黒い 鳥であつたつけ
ねちねち うすら白い どぶのうへに
(かご)のなかで ぎやうつ! とないてゐたつけ、

なにかしら ほそいほそいものが
ピンと すすり哭ないてゐるような
そんな 真昼で あつたつけ

 (53)白き響

さく、と 食へば
さく、と くわるる この 林檎の 白き肉
なにゆえの このあわただしさぞ
そそくさとくひければ
わが 鼻先きに ぬれし汁(つゆ)
 
ああ、りんごの 白きにくにただよふ
まさびしく 白きひびき

 (54)丘を よぢる

丘を よぢ 丘に たてば
こころ わづかに なぐさむに似る

さりながら
丘にたちて ただひとり
水をうらやみ 空をうらやみ
大木(たいぼく)を うらやみて おりてきたれる

●(b)詩としては断篇的で、警句や意見表明の次元で成立する詩篇……21篇

 (5)フヱアリの 国

夕ぐれ
夏のしげみを ゆくひとこそ
しづかなる しげみの
はるかなる奥に フヱアリの 国をかんずる

 (6)おほぞらの こころ

わたしよ わたしよ
白鳥となり
らんらんと 透きとほつて
おほぞらを かけり
おほぞらの うるわしいこころに ながれよう

 (9)しづかな 画家

だれでも みてゐるな、
わたしは ひとりぼつちで描くのだ、
これは ひろい空 しづかな空、
わたしのハイ・ロマンスを この空へ 描いてやらう

 (10)うつくしいもの

わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 「在る」といふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ

 (13)花になりたい

えんぜるになりたい
花になりたい

 (14)無造作な 雲

無造作な くも、
あのくものあたりへ 死にたい

 (17)劒(つるぎ)を持つ者

つるぎを もつものが ゐる、
とつぜん、わたしは わたしのまわりに
そのものを するどく 感ずる
つるぎは しづかであり
つるぎを もつ人は しづかである
すべて ほのほのごとく しづかである
やるか!?
なんどき 斬りこんでくるかわからぬのだ

 (18)壺のような日

壺のような日 こんな日
宇宙の こころは
彫みたい!といふ 衝動にもだへたであらう
こんな 日
「かすかに ほそい声」の主(ぬし)
光を 暗を そして また
きざみぬしみづからに似た こころを
しづかに つよく きざんだにちがひあるまい、
けふは また なんといふ
壺のような 日なんだらう

 (20)かなしみ

このかなしみを
ひとつに 統(す)ぶる 力ちからはないか

 (23)死と珠(たま)
 
死 と 珠 と
また おもふべき 今日が きた

 (27)花と咲け

鳴く 蟲よ、花 と 咲 け
地 に おつる
この 秋陽(あきび)、花 と 咲 け、
ああ さやかにも
この こころ、咲けよ 花と 咲けよ

 (30)玉(たま)

わたしは
玉に ならうかしら

わたしには
(なん)にも 玉にすることはできまいゆえ

 (34)泪(なみだ)

泪、泪
ちららしい
なみだの 出あひがしらに

もの 寂びた
(わらひ) が
ふつと なみだを さらつていつたぞ

 (36)竜舌蘭

りゆうぜつらん の
あをじろき はだえに 湧く
きわまりも あらぬ
みづ色の 寂びの ひびき

かなしみの ほのほのごとく
さぶしさのほのほの ごとく
りゆうぜつらんの しづけさは
豁然(かつぜん)たる 大空を 仰あふぎたちたり

 (37)矜持ある 風景

矜持ある 風景
いつしらず
わが こころに 住む
(らう)、浪、浪 として しづかなり

 (38)静寂は怒る

静 寂 は 怒 る、
みよ、蒼穹の 怒(いきどほり)

 (45)おもひで

おもひでは 琥珀(オパール)
ましづかに きれいなゆめ
さんらんとふる 嗟嘆(さたん)でさへ
金色(きん)の 葉の おごそかに
ああ、こころ うれしい 煉獄の かげ

人の子は たゆたひながら
うらぶれながら
もだゆる日 もだゆるについで
きわまりしらぬ ケーオスのしじまへ
廓寥と 彫られて 燃え
焔々と たちのぼる したしい風景

 (46)哀しみの海

哀しみの
うなばら かけり

わが玉 われは
うみに なげたり

浪よ
わが玉 かへさじとや

 (52)何故に 色があるのか

なぜに 色があるのだらうか
むかし、混沌は さぶし かつた
虚無は 飢えてきたのだ

ある日、虚無の胸のかげの 一抹(いちまつ)が
すうつと 蠱惑(アムブロウジアル)の 翡翠に ながれた
やがて、ねぐるしい ある夜の 盗汗(ねあせ)
四月の雨にあらわれて 青(ブルウ)に ながれた

 (55)おもたい かなしみ

おもたい かなしみが さえわたるとき
さやかにも かなしみは ちから

みよ、かなしみの つらぬくちから
かなしみは よろこびを
怒り、なげきをも つらぬいて もえさかる

かなしみこそ
すみわたりたる 「すだま」とも 生くるか

 (56)胡蝶

へんぽんと ひるがへり かけり
胡蝶は そらに まひのぼる
ゆくてさだめし ゆえならず
ゆくて かがやく ゆえならず
ただひたすらに かけりゆく
ああ ましろき 胡蝶
みずや みずや ああ かけりゆく
ゆくてもしらず とももあらず
ひとすぢに ひとすぢに
あくがれの ほそくふるふ 銀糸をあへぐ

●(c)一篇の詩として自律性の高い、独立した短詩と見なせるもの……18編

 (1)息を 殺せ

息を ころせ
いきを ころせ
あかんぼが 空を みる
ああ 空を みる

 (2)白い枝

白い 枝
ほそく 痛い 枝
わたしのこころに
白い えだ

 (4)朗(ほが)らかな 日

いづくにか
ものの
落つる ごとし
音も なく
しきりにも おつらし

 (12)鉛と ちようちよ

(なまり)のなかを
ちようちよが とんでゆく

 (21)美しい 夢

やぶれたこの 窓から
ゆふぐれ 街なみいろづいた 木をみたよる
ひさしぶりに 美しい夢をみた

 (24)ひびく たましい

ことさら
かつぜんとして 秋がゆふぐれをひろげるころ
たましいは 街を ひたはしりにはしりぬいて
西へ 西へと うちひびいてゆく

 (25)空を 指(さ)す 梢(こずゑ)

そらを 指す
木は かなし
そが ほそき
こずゑの 傷いたさ

 (26)赤ん坊が わらふ

赤んぼが わらふ
あかんぼが わらふ
わたしだつて わらふ
あかんぼが わらふ

 (29)心 よ

こころよ
では いつておいで

しかし
また もどつておいでね

やつぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行つておいで

 (32)貫ぬく 光

はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかつたのです

ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたへました
にんげんのこころも
ひかりのなかに うまれました
いつまでも いつまでも
かなしかれと 祝福(いわわ)れながら

 (33)秋の かなしみ

わがこころ
そこの そこより
わらひたき
あきの かなしみ

あきくれば
かなしみの
みなも おかしく
かくも なやまし

みみと めと
はなと くち
いちめんに
くすぐる あきのかなしみ

 (40)ほそい がらす

ほそい
がらすが
ぴいん と
われました

 (42)彫られた 空

彫られた 空の しづけさ
無辺際の ちからづよい その木地に
ひたり! と あてられたる
さやかにも 一刀の跡

 (47)雲

くものある日
くもは かなしい
くもの ない日
そらは さびしい

 (48)在る日の こころ

ある日の こころ
山となり

ある日の こころ
空となり

ある日の こころ
わたしと なりて さぶし

 (49)幼い日

おさない日は
水が もの云ふ日

木が そだてば
そだつひびきが きこゆる日

 (57)おほぞらの 水

おほぞらを 水 ながれたり
みづのこころに うかびしは
かぢもなき 銀の 小舟(おぶね)、ああ
ながれゆく みづの さやけさ
うかびたる ふねのしづけさ

 (58)そらの はるけさ

こころ
そらの はるけさを かけりゆけば
豁然と ものありて 湧くにも 似たり
ああ こころは かきわけのぼる
しづけき くりすたらいんの 高原

(以上詩集『秋の瞳』前半)

(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(以下次回)