偽ムーミン谷のレストラン・第23回 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。



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 ここに来る前と来てからのおれ、正確にはここで放浪者になってからのおれは、まるで別人のようだ。それは放浪生活を始めたからなのか、放浪生活を強いられているからなのかはおれ自身にも区別がつかなくなっている。だいいちそれ以前からおれの仕事は町から町へと、そういっても実際は町どころか辺境の村のような土地ばかりに派遣されていたので、おれにとってはもう昔から旅がすなわち仕事のようなものだった。
 しかし旅と放浪はまったく違う。旅には目的があり、放浪には目的がない。というよりも旅とは手段であり放浪とは状態なのかもしれない。おれは目的を与えられてこの土地に来たはずだし、自分のための食糧は現地調達できるとふんでいたから事務所に託され、挨拶の折のお土産まで持ってきた。おれさえ口にしたことのない菓子だ。
・亀屋萬年堂のナボナ
 だがそれも廃棄処分する、と没収されてしまった。本当に廃棄されたのかはわからない。甘くてうまそうな菓子なのは開けて見ればわかるはずだ。ここは警察国家か?仮に警察の官令だとしても民間人、ましてや公務に招聘された外国籍人から私物を巻き上げるのが許されるのか?少なくともあれは、あの時点ではおれが事務所から預ってきたものだった。
・喰っときゃ良かった
 とりあえず鞄本体とコートを没収されなくて良かった……連中もこれは見やぶれなかったわけだ。なにしろおれは宿屋もないような辺境にも慣れてる。鞄から金具を抜いてコートの骨組みにするとなんとか頭から膝までが入るテントができあがる。膝から下はブーツで隠れるから問題ない。鞄は厚手の革を何層にも重ねてできていて、内側にボアがあるから、拡げて筒状にすればこれも膝までの寝袋になる。旅慣れていて良かったと思うのはこんな時だ。
・良いわけない。
 なぜおれは変ってしまったと思うのか、おれを変えてしまったのは何か。それは招かれたにもかかわらず放りだされ、来たはずの道さえも引き返せなくなっているからだが、今やおれは水鏡にも影さえ映らなくなっている。光すらおれの体をすり抜けるということは、おれの肉体自体がすでに光の粒子なのだ。
 だがこの悪臭!そして料理らしきもの?だとすれば悪臭と料理のどちらかが幻覚なのだ。そしてここは、どうやらレストランのようなのだ。
 ですが悪臭はスナフキンの知るどんなドブよりひどい臭いがしました。


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 あの時はひどかったな、とヘムレンさんは唸って言いました。狂気の沙汰も金次第、または正気の沙汰ともいうが、貨幣などムーミン谷にはないからあの場合は食次第というべきか。だがわれわれトロールにとって食事はイメージでしかないのだから、より正確に言えばとっておきの祝いを粗末な料理で台無しにされた怒りなのだろうな。
 うむ、あれならいっそ会食などない方が良かった、とジャコウネズミ博士。おかげでムーミンパパ、当時はただのムーミンだったが、そのムーミンとロッドユールが本気で怒るとどれだけ常軌を逸してしまうかも見たし、発明家のフレドリクソンなどはその場で凶器を発明しておったのには感服した。女だてらにソースユールも大暴れだったが、あのユール夫妻のせがれがスニフなのだから世の中わからんな。しかし結局は……。
 彼女が原因だろうよ、とヘムレンさんはチラッと横目でムーミンママを指しました。新婦、当時のフローレンしかおらん、料理の豪勢な結婚披露宴などに固執するのは。いったいにスノークの雄は見え張りで、スノークの雌はやたら家庭的にふるまう性質がある。だが自分らだけで一度に谷の住民全員をもてなす料理はできない。
 そこに都合良くレストランができた、というわけか。だがあの建物はムーミン谷ができた時にはすでに存在していた、と言い伝えられていた。実はレストランだと判明したのはムーミンの結婚式が初めてで、それまではわれわれも不審に思うだけだったのだ。
 そしてあのひどい料理!披露宴の後半はムーミンパパがロッドユールやフレドリクソンたちと破壊の限りをつくしたな。手つかずの料理が並ぶテーブルがあれほど盛大にひっくり返される光景は初めて見たよ。こんな飯が喰えるか!という台詞もテレビアニメ以外では初めて聞いた。それもアジアの島国産のだ。そして味見した二組の新郎新婦以外その日は誰も料理を味わえなかった。
 ……翌日からわれわれ谷の住民は人目を避けるようにそのレストランに通い始めたのだ。悪臭や外観から想像したよりは多少はマシとはいえ、料理としては、
・マズイ!
 のひと言だった。にもかかわらず、われわれは通うのを止められなくなっていたのだ。そう、あのコックカワサキのレストランに。
 そしてその夜からスナフキンは残飯にありつき、誰の目にも谷の住民になったのです。