マックス・ローチ - ウィ・インシスト!(Candid, 1961) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

マックス・ローチ - ウィ・インシスト!(Candid, 1961)マックス・ローチ Max Roach - ウィ・インシスト!We Insist! Max Roach's Freedom Now Suite (Candid, 1961)YouTube We Insist! Full Album
Recorded at Nola Penthouse Sound Studios, New York City, August 31 & September 6, 1960
Released by Candid Records CJM 8002 (Mono), CJS 9002 (Stereo), 1961
Engendered by Bob d'Orleans
Supervised by Nat Hentoff
(Side A)
A1. Driva' Man (Max Roach, Oscar Brown, Jr.) - 5:10
A2. Freedom Day (Max Roach, Oscar Brown, Jr.) - 6:02
A3. Triptych: Prayer, Protest, Peace (Max Roach) - 7:58
(Side B)
B1. All Africa (Max Roach, Oscar Brown, Jr.) - 7:57
B2. Tears For Johannesburg (Max Roach) - 9:36
[ Personnel ]
Max Roach - drums
Abbey Lincoln - vocals
Booker Little - trumpet (A1, A2, B1, B2)
Julian Priester - trombone (A1, A2, B1, B2)
Coleman Hawkins - tenor saxophone (A1)
Walter Benton - tenor saxophone (A1, A2, B1, B2)
James Schenck - bass (A1, A2, B1, B2)
Michael Olatunji - conga (B1, B2), vocals (B1)
Raymond Mantillo, Tomas du Vall - percussion (B1, B2)
(Original Candid "We Insist!" LP Liner Cover & Side A Label)
 本作はジャズ批評家のナット・ヘンホフ(1925-2017)主宰のインディー・レーベル、キャンディドからのリリースだったためアメリカ国内では知名度が低く、従来は評価もメジャー・レーベルからのマックス・ローチ(1924-2007)の前後作より低かったものですが、独自ライセンスを結んでいたイギリス、ドイツ、日本では早くから発売され、ことに日本では同時期にキャンディドで制作されたチャールズ・ミンガスの『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス(Charles Mingus Presents Charles Mingus)』とともに'60年代ジャズの劈頭を飾る記念碑的な名盤とされたものです。スウェーデン盤の発売から北欧でも人気が高く、1964年1月にはローチは北欧諸国で本作の全曲演奏ツアーも行っています。日本のジャズ名盤ガイドでもローチの本作、ミンガスの『~プレゼンツ・ミンガス』は'60年代モダン・ジャズの筆頭に位置するローチ、ミンガスの代表的傑作とされていますが、つい20数年前の1990年代まではアメリカ本国のディスク・ガイドでは両作とも★★★の水準作とされていました。英米でローチの本作、ミンガスの『~プレゼンツ・ミンガス』が★★★★★の必聴盤、ジャズ・アルバムのベーシック・コレクションと目されるようになったのは'90年代からのキャンディド全カタログのCD化以降のことで、ブルーノート・レーベルのハードバップ・アルバムの諸作とともに日本やヨーロッパでの人気からアメリカ本国でも再評価が進んだ例に上げられます。

 本作は1960年にアメリカ・デビューしたナイジェリア出身のパーカッション奏者ババトゥンデ・オラトゥンジ(1927-2003)と「テナーサックスの父」コールマン・ホーキンス(1904-1969)を迎えたアフロ・ジャズ・アルバムであり、また当時マックス・ローチ夫人だった女性シンガーのアビー・リンカーン(1930-2010)をフィーチャーしたヴォーカル・アルバムでもありました。他のメンバーは当時のローチ・クインテットのレギュラー・メンバーですが、夭逝の天才トランペット奏者ブッカー・リトル(1938-1961)が在籍していた時期のアルバムであり、全曲がローチ作曲のオリジナル曲(作詞はオスカー・ブラウンJr.との共作)、テーマはずばり白人中心主義のアメリカ社会へのプロテスト・アルバムという点でもミンガス作品と共通するものです。かつてのアメリカ本国での評価の低さはインディー・レーベル作品のみならずジャズ・ジャーナリズムでの有力批評家ナット・ヘンホフへの反感もあったと思われ、'90年代にはヘンホフの影響力が低下したことからようやく純粋にアルバム内容に改めて注目が高まったと考えられます。

 チャールズ・ミンガス、マックス・ローチはマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマンらとともにもっとも'60年代後半からの脱ビート・グループ期以降のロック・ミュージシャンに影響を与えたアーティストであり、R&Bやカントリー、ティンパン・アレイ系ポップスらから派生した従来のロックンロールからより複雑化したロックに'60年代後期のミュージシャンが進む際にトラディショナル・フォークやモダン・ブルースとともに参照されたのが'50年代~'60年代初頭のこれらのジャズ・アーティストのアルバムでした。本作はアビー・リンカーンの強力なヴォーカルもあって、ジェファーソン・エアプレインを筆頭とした女性シンガーをフロントに立てたサイケデリック~ハード・ロック~プログレッシヴ・ロック、ホーンセクションをフィーチャーしたジャズ・ロックをそのまま先取りしたアルバムです。正解には先取りではなくマイルスやコルトレーン、ローチやミンガスの尖鋭的なジャズへのアプローチを直接参照して脱ビート・グループ期のロック・アーティストが換骨奪胎したので、これらのジャズ・アーティストは新しいロックの潮流に「また白人から音楽を盗まれた」と批判的でした。

 ドラムスのみをバックにしたアビー・リンカーンのヴォーカルで始まるA1「Driva' Man」は単純なブルース・フォームの曲ですが、'50年代後半以降ピアノレスの編成を標準としていたローチ・クインテットのサウンドの強靭さはゲストのコールマン・ホーキンスの無骨なソロもあいまってハード・バップ的なリラックスした、または快適なブルースとはまったく違った、重々しく攻撃的な響きをおびています。天才ブッカー・リトルのソロが光る(ホーキンスをソロイストにしたA1以外のA2、B1、B2ではいずれもリトルの鋭いソロが聴けます)ファスト・チューンA2「Freedom Day」はほとんどホーンセクションを入れたジェファーソン・エアプレインのようです。さらにA3「Triptych」は歌詞なしのリンカーンのヴォーカリゼーションとローチのドラムスのみの三部構成のトラックで、この手法は日本やヨーロッパの映画のサウンドトラックに盛んに流用されるようになります。当時日本ではこの曲を大音量で聴いていると近所の人が慌てて警察に通報すると話題になりました。B面はローチ・クインテット+アビー・リンカーンにオラトゥンジのコンガとパーカッション奏者2名が加わったアフロ・キューバン・ジャズ・サイドで、B1「All Africa」は歌詞があり、B2「Tears For Johannesburg」はヴォーカリゼーション曲で、オラトゥンジのコンガがリードするアフロ・ビートの洪水が聴けます。もっともナイジェリア音楽でのジャズ一般は当時ハイライフ・ジャズと呼ばれる陽気でリラックスした作風が主流で、オラトゥンジのアフロ・ビートはもっと攻撃的なフェラ・クティの先駆をなすものです。

 副題の「Freedom Now Suite」は元マックス・ローチ・クインテットのソニー・ロリンズ(1930-)の1958年のアルバム『Freedom Suite』(Riverside)に呼応するもので、当時ニューヨークの黒人ジャズマンは積極的にアメリカの人種差別への抗議にコミットメントしていました。ロリンズが1963年に初来日した時、開口一番「私は国外ではアーティストとして認められていますが、アメリカではただの黒ん坊(Nigger)として扱われています」と発言したのは有名なエピソードです。アメリカでは主に南部で'60年代末、頑迷な州では'70年代まで公共施設、鉄道やバス、レストランからトイレまで人種隔離政策(アパルトヘイト)が行われていました。これに反対する白人はロサンゼルス、ニューヨークら大都市のインテリ層であり、ジャズ批評家やインディー・レーベルの白人主宰者は多くがマイノリティに属するヨーロッパからの移民一世やユダヤ系白人(ナット・ヘンホフもそうです)でした。早くから移民したいたイギリス系白人、フランス系白人、スペイン系白人の間ではアパルトヘイトが頑として存在していたのです。本作は前後のメジャー・レーベル作品にも増してローチの激越なプロテスト作品であり、白人ウェイターを後方にカメラを直視するカウンターの黒人客、と印象的なジャケットまで含めて挑発的なトータル・アルバムです。ローチはマイルスとともにチャーリー・パーカー・クインテット出身で、早くからニューヨークのジャズ界No.1ドラマーの地位を確立していた人でした。本作はジャズ・リスナーのみならず20世紀後半のアメリカ音楽全般においても必聴かつ最重要アルバムの一枚です。直接間接の影響力でもジャズ・アルバム屈指の作品です。これほど真に体制に切りこんだ攻撃的なアルバムはめったにあるものではありません。しかし40年後、ローチはアメリカ同時多発テロ事件(9.11)に際して反アメリカ帝国主義テロ組織アルカイダへの激しい批判を表明します(同様の発言はトミー・フラナガンも表明しています)。もちろん人種差別撤廃・公民権運動と国際的無差別テロは別物ですが、アルカイダのテロは中東戦争へのアメリカの軍事介入に原因があり、またアメリカをファッショ化させたアルカイダ批判は同事件によって高まったアメリカ国内のナショナリズムの高揚と中東戦争への介入の正当化を招く事態になっています。また本作のように極端に主義主張に傾いた作品は両刃の剣とも言えるので、本当に幅広いリスナーに訴えかける音楽的な豊かさがあるかを問えば、答えは簡単ではないでしょう。そうした意味でも、再評価がすなわち本作の真価を保証するとは言い切れない危うさも否定できません。