萩原朔太郎「三人の俳優」昭和3年(1928年) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

短編喜劇映画上映会ポスター、左上ロイド、
左下チャップリン、右下キートンの似顔絵
萩原朔太郎・明治19年(1886年)11月1日生~
昭和17年(1942年)5月11日没(享年56歳)

 三人の俳優

 ばすたあ・きーとん

 いつも薄べつたい帽子をかぶつて、古風な浅黒い顔をしてゐる、ばすたあ・きーとん!君は十九世紀の情熱家だね。さうして西洋雨傘を伊達にさしてる。田舎の土くさい色男だ。
 欧羅巴の文明開花が、始めて洋燈(らんぷ)を発明した時、君はその下で本を読んでた。私は本の名前を知つてる。それには昔の木彫活字で『理学のしるべ』と書いてあつた。
 西暦千八百二十年頃、あの銅版画にみる昔の汽車が、初めて君の田舎に来たとき、君の年とった両親たちは、古風な旅行鞄を手にさげながら、君を顧みてかう言つた。
「きーとんや!これが文明開花といふものだ。」
 さうして市加古(シカゴ)に出て来た子供は、始めて博覧会を見物し、ふしぎな天文館の中に這入つて、天界旅行のキネオラマや、理学のさまざまの魔法を見た。或は「風船乗り」を見物し、パノラマ館の家根の上に、奇妙な骸骨の旗を眺めた。それは「科学の不思議」を語る薄気味の悪い記号だつた。
 ばすたあ・きーとん!君はかうした環境に成長した。それから十九世紀の帽子をかぶり、襟の広い洋服をきて、古風のネクタイを頸に巻いた。君は田舎のハイカラであり十九世紀の情熱家だ。あの化物めいた水掻き蒸気船で、君はミシシツピイ河を最初に下つた。それから風船乗りもやつて見たし、とぼけた自転車にも乗り歩いた。その自転車の車は月より大きく、家根より上に帽子が出て居た。
 古風なきーとん!恋愛ですらも、君の情熱は古風であり、騎士的な義侠心に燃えてるのだ。いかに内気に、恥かしげに、しかも騎士風の尊敬心で、君は婦人に近づくことよ。さうして愛人の危機から、君の叙情詩が熱してくる。古風の恋愛詩人!田舎者らしき純撲さ!
 きーとん!君は近代生活のものでない。君は自然の森林に一人で住み、遠く文明にあこがれながら、静かな流れに舟を浮かべて、原始の魚釣りを楽しむんだ。ばすたあ・きーとん!多くの喜劇役者がさうであるやうに、君もまた生来の「寂しき人」の一人である。

 ちやれい・ちやつぷりん

 秋の日の散らばかつた芥溜(ごみため)で、君は犬と一所に生活してゐる。裏町の漂泊者!悲しき市井の無頼漢!
 君は泥だらけの靴をはいて、いつも泥濘(ぬかるみ)の町を歩いてゐる。陰気な、どしや振の雨の中で、みじめなずぼんがびつしよりとしてゐる。ちやつぷりん!街燈の青白い光の影を、君はしよんぼりと歩いてゐる。君は「ふしあはせ」の蒼ざめた幽霊だ。
 君は「さんにいさいど」の村道を、孤独にかなしげに帰つて行く。食に飢ゑ、恋にやぶれ、さうして憂鬱なずぼんを曳きずりながら、柳のある村道をどこまでも帰つて行く。永遠に、永遠に、曇つた太陽の並木道を歩いて行く。不思議な、道化たる、蛙のやうな寂しい姿よ。
 ちやれい・ちやつぷりん!君は宿命の陰鬱な象徴だ。「偶然」が、あらゆる君の天候を支配する。君は図々しく、しかしながら臆病らしく近づいて行く。しかしながら機会(ちやんす)は逃げる。そして女の居なくなつた椅子の上で、いつまでも幸運の恋を空想してゐる。憐れな、間の悪い、運命のかなしい落伍者よ!
 ちやつぷりん!君は「あなあきい」の「ぷろれたりあ」だ。飢と侮辱と叛逆とから、君の馬鹿々々しい道化(おどけ)が組まれる。あらゆる「権威」を否定しつくせよ。「神聖」なるものを冒涜せよ。然り!一切を哄笑せよ。げに君は蛙の如く、よにも陰鬱なる姿をしてゐる。

 はろるど・ろいど

 はろるど・ろいど!何といふ新しさだ。おお新時代!新時代!
 ろいど!君は太平洋の向うから、潮風と共に吹いてきた新世界の情感だ。君の新しい夏帽子の眼鏡の上には、いつも麗らかな青空がひろがつてゐる。やんきい・どうどる!自由の民衆!恐れるものなきアメリカの精神が哄笑してゐる。
 ろいど!君は自由と健康の象徴だ。君は人間の病気を知らない。精力と若さと快活から、世界は君のためにはしやいでゐる。君は若く美しい娘をつれて、「まんはったん」の海岸に「ぢやずだんす」を踊つてゐる。愉快で、快活で、すぽーつまんの明るい精神をもつたぶるぢよあの青年紳士。アメリカ資本主義の代表する新精神!おお愉快なろいど。新しい世界のひろげる情感。
 ろいど!君は欧羅巴のデカダンスを一蹴した。暗く、病鬱なもの。冥想的なもの。神秘的なもの。及び一切の「芸術的なもの」を嘲笑して、若きアメリカの自由な精神を高く掲げた。君は太平洋の海風にひるがへる自由の旗デモクラシイの若い精神。「すぽーつ」の明るい悦び。いつさいの新時代が君の映画に象徴される。
 ろいど!君は人生に新しい光をあたへた。君は我々の天候を回復した。陰気な、曇天の雲を払って、明るい青空の光を見せた。無邪気と、自由と、哄笑と、快活と、そして嬉々たる遊戯の世界で、君はあらゆる精力の過剰から球のやうに飛びあがつてはしやいでゐるろいど!君は実に人生の上天気だ。ホイツトマンの新しい再現だ。然り!君は新世界なる一切の感情だ。ろいど!悦ばしき人生!

(書き下ろしアンソロジー『詩と随想集』昭和3年=1928年5月刊より)

 昭和9年(1934年)6月刊行の詩集『氷島』に収録された大正14年(1925年)~昭和8年(1933年)までの期間に、萩原朔太郎の詩作はほとんど『氷島』未収録詩篇はなく、いずれも散文詩の「或る詩人の生活記録」(「近代風景」昭和2年6月)、「坂」(「令女界」昭和2年9月)、そして北原白秋・室生犀星と萩原の共編で刊行された昭和3年(1928年)5月刊行のアンソロジー『詩と随想集』に発表された随想的な「大井町」とこの「三人の俳優」がある程度です。詩集『氷島』以降に発表されたのは昭和14年(1939年)9月刊の既発表抒情詩・散文詩の選集『宿命』に収録された新作散文詩6篇があるだけで、詩集『氷島』以降唯一の行分け詩、しかも最後の新作詩になったのは南京事変について新聞から依頼された戦争詩「南京陥落の日に」(「朝日新聞」昭和12年12月13日)でした。その辺りの事情は以前に詩集『氷島』をご紹介した際に触れましたので、今回の話題はこの散文詩「三人の俳優」に絞ります。

 散文詩というよりも映画俳優論の趣きの強いこの「三人の俳優」は、サイレント時代のアメリカ映画の三大俳優(かつ自作のプロデューサー、監督も兼ねた映画作家でした)、バスター・キートン(1895-1966)、チャールズ・チャップリン(1889-1977)、ハロルド・ロイド(1893-1971)を賛美したものです。アメリカ映画は1927年~1928年からサイレントからサウンド映画(トーキー)に移行しますが、本作の時点でチャップリンの最新作は『サーカス』1928(または前作『黄金狂時代』1925)、ロイドの最新作は『スピーディー』1928(または前作『田子作ロイド一番槍』1927)、キートンの最新作は『キートンの船長(キートンの蒸気船)』1928(または前作『キートンの大学生』1927)でした。字幕スーパーの開発は西洋映画がほぼ完全にトーキー化した1930年(昭和5年)で、それ以前のサイレント映画は弁士が字幕説明をして上映されたので、人気の高いチャップリン、ロイド、キートンらの喜劇映画はアメリカ本国公開とほぼ同時に日本公開されていたようです。この三人がアメリカ喜劇映画の三大喜劇王という評判はアメリカ、日本とも変わりなかったようですが、映画作家としての評価はもっとも先輩のチャップリンが巨匠として突出していたものの、映画のヒット実績興ではロイドがチャップリンをしのいでおり、チャップリンやロイドと較べてヒット実績では1/5~1/4がせいぜいだったキートンは「チャップリンとロイド以外の喜劇役者のトップクラス」という評価と人気でした。新しもの好きの萩原朔太郎は日本公開される外国映画はほとんど観に入っていた映画好きで、この詩のチャップリン、ロイド観も的確なものですが、特にキートンには強い思い入れが感じられます。この「ばすたあ・きーとん」に出てくる描写はキートンの短編・長編映画の数々の情景を丹念に詠みこんだもので、「ちやれい・ちやつぷりん」は主に長編化初期の『犬の生活』1918と『サニーサイド』1919、「はろるど・ろいど」は主に最近作の『ロイドの人気者』1925と『ロイドの福の神』1926から描写を取っているのに対して、この詩に詠みこまれている典拠となった作品の本数だけでも格段にキートンの諸作に入れこんでいます。キートンは容貌も萩原朔太郎に似ており、萩原自身も「キートンに似ていますね」と言われると大喜びしていたそうで、そうした親近感もあったでしょうが、萩原がこの散文詩でチャップリン喜劇の古典的かつ民衆的なプロレタリア的性格、ロイドの楽観的かつ斬新で革新的なモダニズムを的確に指摘し賛美しながら、キートン喜劇の時代錯誤的なロマンティシズムにもっとも共感しているのは明らかで、のちにキートンがロイドやチャップリンを上回る再評価を受けたのもスラップスティックとロマンティシズムがポーカーフェイスに同居するキートン映画の複雑な不条理感覚によるものでした。もっともこの「三人の俳優」は散文詩として書かれるよりも本格的な喜劇映画論として書かれた方がより掘り下げた内容になっただろうと思われるので、映画論としても散文詩としても中途半端な観があり、書き下ろしアンソロジーに発表されたまま詩集にも生前の著作集にも収められなかったのもうなずけます。各種文庫版の『萩原朔太郎詩集』にも選ばれない不遇な散文詩ですが、詩集『氷島』収録作品の創作時期、しかも翌年離婚を控えて家庭内不和を抱えていた年にこんな趣味的な逸文があったという以上の面白みがあります。