アモン・デュールII - 地獄!(Liberty, 1970) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

アモン・デュールII - 地獄!(Liberty, 1970)アモン・デュールII Amon Duul II - 地獄!Yeti (Liberty, 1970) : YouTube Yeti Full Album
Recorded in Munich, West Germany, 1970
Released by Liberty Records LBS 83359.60, 1970
All songs by Amon Duul II, except where noted
(Side 1)
A1. 組曲「ソープ・ショップ・ロック」Soap Shop Rock - 13:47
a) 燃えあがる女 Burning Sister - 3:41
b) ギロチンの幻覚 Halluzination Guillotine - 3:05
c) ソナタを呑む Gulp a Sonata - 0:45
d) 肉色の防空警報 Flesh-Coloured Anti-Aircraft Alarm - 5:53
A2. 煙突から来た女 She Came Through the Chimney - 3:01
(Side 2)
B1. 天使の雷鳥 Archangels Thunderbird (Amon Duul II, Sigfried Loch) - 3:33
B2. 地獄の番犬(ケルベロス) Cerberus - 4:21
B3. ルーベザールの帰還 The Return of Rubezahl - 1:41
B4. 目玉のぶるぶる震える王様 Eye-Shaking King - 5:40
B5. 青ざめた天井桟敷 Pale Gallery - 2:16
(Side 3)
C1. イエティー Yeti (Improvisation) - 18:12
(Side 4)
D1. イエティー(ヒマラヤの雪男)ヨギに語る Yeti Talks to Yogi (Improvisation) - 6:18
D2. 雨に濡れるサンド Sandoz in the Rain (Improvisation) - 9:00
[ Amon Duul II ]
Renate Knaup - vocals, tambourine
John Weinzierl - guitar, 12 string guitar, vocals
Chris Karrer - violin, guitar, 12 string guitar, vocals
Falk Rogner - organ
Dave Anderson - bass
Peter Leopold - drums
Christian "Shrat" Thierfeld - bongos, vocals
(Guests on "Sandoz in the Rain")
Rainer Bauer (from Amon Duul I) - guitar, vocals
Ulrich Leopold (from Amon Duul I) - bass
Thomas Keyserling (also recorded with Tangerine Dream) - flute
(Original Liberty "Yeti" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side 1 Label)
 前回までにアモン・デュールの全5作を終えようやくアモン・デュールIIのデビュー作にたどり着き、強調すべき点を指摘し忘れたことに思い当たりました。アモン・デュールの前にはフランスの'70年代初頭のロックの主だったところをご紹介しています。カトリーヌ・リベロ+アルプ、ゴング、マグマらのデビュー作が1969年~1970年でアモン・デュールやカン、タンジェリン・ドリームらと同年ですが、フランス特有のスタイルのロックは1972年にデビュー作を発表したアンジュまで待たなければならないでしょう。イタリアでも1970年前後にデビュー作を発表したバンドは多いのですが、作品的には1972年~1973年がピークになります。それに較べてドイツでは1970年前後のデビュー作ですでにオリジナリティを確立しているバンドが多いのです。もっとも'70年代のユーロ・ロックは1974年のオイル・ショックによって深刻な打撃を受け、イタリアではほとんどのバンドが解散に追い込まれ、残ったバンドもポップス化を余儀なくされました。ドイツではそれほど過酷ではなかったようですがやはりポップス化への変化が起こりました。フランスは出足が遅かった分、ドイツやイタリアでは'70年代前半に起こった動きが'70年代後半に持ち越された感じで、ピュルサーやアトールなど英独伊なら1970年代初頭のスタイルの有力バンドのデビューが1975年までかかっています(それも'80年代には一斉に壊滅状態に陥りますが)。

 ドイツのロックがフランスはもちろんイタリアのロックよりも早く独自のスタイルを築いた背景には、フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネのようにアーティスト性と大衆性の両立した既成のポピュラー音楽ジャンルが欠けていたからとも言えるかもしれません。イタリアやフランスのロックはカンツォーネやシャンソンを取り込んだり反発したりしながら数年がかりでオリジナリティのあるスタイルにたどり着きましたが、ドイツでは自国のポピュラー音楽を土台として独自のロックを作るという発想はほとんどなかったようです。もちろんドイツはイタリアやフランスと並ぶ音楽国ですが、こと大衆音楽となると歴史的・地域的な分断があまりに長く多くに渡ってくり返されてきたため、むしろアカデミックな実験音楽の方が青年層には好まれているような状況にあり、カンやタンジェリン・ドリーム、クラフトワークらはアカデミズムの中から出てきた反アカデミズムの実験ロック、かつポピュラー音楽として成功した例になりました。グル・グル、クラスター、ノイ!、クラウス・シュルツェなども同様でしょう。それではアモン・デュールIIはどうでしょうか。

 アモン・デュールIIはもともとヒッピー集団でたまたま音楽をやろうということになり、プロ・ミュージシャン指向のないメンバーはアモン・デュール名義でアルバム『サイケデリック・アンダーグラウンド(Psychedelic Underground)』1969のためのセッションを1968年末に行いすぐに解散しています。メンバーは一部重なりますが、プロ・ミュージシャン指向のメンバーはアモン・デュールII名義で傑作デビュー作『神の鞭(Phallus Dei)』1969を発表し、1970年と1971年にはどちらもLP2枚組の大作『地獄!(Yeti)』、『野鼠の踊り(Tanz Der Lemminge)』を発表、1972年の第5作『狼の町(Wolf City)』までは傑作続きの絶頂期にありました。『地獄!』までのメンバーと以後のメンバーにも異動があり、'70年代中盤以降はメンバー・チェンジとリーダーの交替が滅茶苦茶になって活動停止、さらに'80年代は元イギリス人メンバーのデイヴ・アンダーソンだけでアモン・デュール名義でアルバムを連発し(通称Amon Duul U.K.)、'90年代から現在までは『狼の街』頃のメンバーで活動しています。パンクスが敵視していたよりも筋金入りのヒッピーはもっとずっとタフだった、と言うべきでしょうか。もっともアモン・デュールIIはオリジナル・デュールやカンとともにパンク以前のポスト・パンクと言える音楽性のバンドでした。

 IIではないアモン・デュールの方は『サイケデリック・アンダーグラウンド』セッションの残りテープを編集加工して『崩壊(Collapsing/Singvogel Ruckwarts & Co.)』1969を発表した後、一部のメンバーが残って陰鬱なアシッド・フォーク作品の名作『楽園へ向かうデュール(Paradieswarts Duul)』1970を発表して消息を断ち、『サイケデリック・アンダーグラウンド』セッションの残りテープからはさらにLP2枚組アルバム2組、『ディザスター(Disaster)』 1972と『エクスペリメンテ(Experimente)』1984が思い出したように発表されましたが、現在はアモン・デュールIIがオリジナル・デュール、デュールIIの版権を一括管理しており、ヒッピーなのにビジネスは几帳面なのがパンクスにはとうてい真似できないというか、ドイツらしいと言うところでしょう。もっともデュールIIにしても'70年代中盤以降はマネジメントに搾取されたり、'80年代には好き勝手に再発売されたり編集盤を出されたりと散々な目にあってきているので、'90年代に全盛期メンバーで再結成した時には過去のアルバムも含めてバンド自身が全権を握る体制を固めたようです。

 アモン・デュールIIの国際進出は本作『地獄!』で、カンの国際進出は『タゴ・マゴ(Tago Mago)』1971ですからデュールIIとカンは『フェードラ(Phaedra)』で国際進出したタンジェリン・ドリーム、『アウトバーン(Autobahn)』で国際進出したクラフトワーク(ともに1974年)より早く国際進出をなしとげたバンドでした。筆者も初めて買ったドイツのロックのアルバムはカンの2LPベスト盤『カニバリズム(Cannibalism)』で、次に『サウンドトラックス(Soundtracks)』を買い、イギリス盤の『神の鞭』を中古で見つけて、ドイツのバンドではタンジェリンやクラフトワークよりカンとアモン・デュールIIを初期作品から揃えていきました。『神の鞭』のインパクトはカンとも異なるものでした。ヒッピー・コミューンから生まれたドイツのバンドにはファウストやアシュ・ラ・テンペルがいますが、ファウストはカンに近い醒めた音楽性ながらも、肉体性を排除して抽象度が高い分だけダイレクトな魅力には乏しいきらいがあります。アシュ・ラ・テンペルは一見グル・グルに似た泥沼のようなギター・バンドですがこちらはファウストとは逆で、さらにグル・グルのような冷めた泥沼ではなく、メンバーの若さからか音楽に溺れている分焦点が絞りきれていないのが難でしょう。

 その点アモン・デュールIIは底なしのヘヴィ・サイケでありながら造型と構成力に長け、英米のサイケデリック・ロックの発想にはなく演ったバンドもいなかった方向に見事に突き抜けていました。イギリスでは当時ピンク・フロイドだけがライヴではアモン・デュールIIと競合するようなヘヴィ・サイケを演奏しており、1970年にデビュー作を出したホークウインドがピンク・フロイド影響下のサウンドを出していましたが、ホークウインドが本格的にヘヴィ・サイケ化するのは第2作『宇宙の探求(In Search of Space)』1971でベーシストに『Yeti』を最後に脱退した元デュールIIのデイヴ・アンダーソンを迎えてスタイルを完成し、第3作『ドレミファソラシド(Doremi Fasol Latido)』でさらにベースが泣く子も黙る凄腕のレミーに替わって第1次黄金時代に突入してからになります。ラウドでヘヴィなギター・サイケといえばブルー・チアーにMC5、ハイ・タイドがいましたが、何よりジミ・ヘンドリックスがいて、音楽的にジミを越えられないとしても、ジミの音楽が本質的には健康だったのとは反対の方向のサイケデリック・ロックを、病的な狂気や破壊的な暴力性を通して描くことはできます。ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドらサンフランシスコ・サイケのバンドとアモン・デュールII、ホークウインドらを分かつのはまさにそうした破滅性や暴力性でした。
◎Amon Duul II - Soap Shop Rock (Live, 1970)YouTube
◎Amon Duul II - Eye-Shaking King (Live, 1970)YouTube

 アモン・デュールIIの前記作はどれも優れたアルバムですが、『神の鞭』『地獄!』『野鼠の踊り』『狼の街』ではヘヴィ・サイケの前2作、プログレッシヴ・ロックの後2作と一応二分できるでしょう(『野鼠の踊り』と『狼のです』の間に『バビロンの祭り(Carnival in Babylon)』がありますが、2枚組大作2作の後だけにやや見劣りし、その分『狼の街』で挽回が見られます)。女性ヴォーカルのレナーテ・クラウプが一時脱退していた『野鼠の踊り』は後回しとしても『神の鞭』『地獄!』『狼の街』はどれも甲乙つけ難く、この3枚はアモン・デュールIIの金字塔としと必聴といえるものでしょう。インパクトの点ではカンのもっともヘヴィなアルバム『タゴ・マゴ』が突出しているように、デュールIIでは『地獄!』の存在感が際立っている、といえるかもしれません。『地獄!』には前後の『神の鞭』と『野鼠の踊り』の両方の長所が渾然一体となっているとも言えます。

 アルバムは一聴するとださい変拍子のギターのコード・カッティングの「Soap Shop Rock」から始まりますが、英語詞の男性ヴォーカルがヨレヨレでまったく聴きとれないのが強烈です。ギターも何本鳴っているのか聴き分けられないカオスのようなサウンドで、組曲形式のパートbに移ると女性ヴォーカルが出てくるがやはり中性的な声質で、男女2人のヴォーカルがどちらも壊滅的に下手、という凄まじいバンドなのがわかります。A面は短いインスト曲で終わり、B面はアモン・デュールIIといえばこの曲、シングル・カットもされた「Archangel Thunderbird」(邦題「天使の雷鳥」)で、'70年代クラウトロック屈指のかっこいいヘヴィ・ロック・ナンバーでしょう。この曲はこの後ホークウインドに移るベースのデイヴ・アンダーソンのアイディアが大きいと思われます。ベースとドラムスが6/4拍子をキープするビートに別々のリフを刻む2本のギターが乗り、歌姫レナーテがかん高いソロ・ヴォーカルでデュールの曲には珍しくメロディらしいメロディを歌いますが、リズム・ブレイクから戻るところでドラムスのフィル・インが転けて連られてギターもベースも転けてしまう無責任さは最高です。そこらへんがカンやグル・グルのようには高い演奏力を持っていないヒッピー・バンドの弱点ですが、中近東調のB2、さらに短いインスト曲をイントロにした「Eye-Shaking King」(邦題「目玉のぶるぶる震える王様」)のずぶずぶのバッド・トリップ感は追従を許さないアシッド地獄にリスナーを誘います。

 デビュー作『神の鞭』がA面4曲の小曲集、B面は全1曲の大作だった(アメリカ盤はAB面逆)のはカンも同じ構成を得意としていましたが、『地獄!』では2枚組LPのディスク1を楽曲らしい楽曲、ディスク2をAB面通しのインプロヴィゼーションでまとめています。実際はディスク1もA面は「Soap Shop Rock」組曲、B面は「Archangel Thunderbird」と「Eye-Shaking King」を中心にしたトータルな構成で、『神の鞭』よりも格段に多彩なアイディアが盛りこまれ、かつ巧妙なアルバム作りになっています。C面全面とD面前半分がアルバム・タイトル曲「Yeti」で、ヴォーカル・インプロヴィゼーションも入っていた前作のタイトル曲「Phallus Dei」と比較するとタイトル曲対決では「Phallus Dei」のパワー勝ちと思わせられますが、「Soap Shop Rock」同様かなり編集された形跡があり、インプロヴィゼーションの中でメディテーショナルな部分をピックアップしてD面の「Yeti Talks to Yogi」に移したと思われます。LPで聴いていた時はレコードを裏返していたから気がつきませんでしたが、CDで聴くと「Yeti Talks to Yogi」は実際はC面の「Yeti」の中間部で即興的に発生したパートに聴こえます。LPでは片面20分前後の制約からこれでいいのですが、CDでは「Yeti」全体の中に「Yeti Talks to Yogi」が入る方がインプロヴィゼーションの流れが自然に聴こえるのではないかと思われます。近年のリマスターで『神の鞭』や『狼の街』には未発表曲も追加されているくらいだから編集前のオリジナル録音も残っているかもしれませんが、50年前のアルバムとなると歴史的なものですから今さら改竄するわけにはいかないのでしょう。アルバム最終曲「Sandoz in the Rain」はカン『タゴ・マゴ』の最終曲「Bring Me Coffee or Tea」を思わせる陰鬱なアシッド・フォークで、『Psychedelic Underground』の方のアモン・デュールからライナー・バウアーとウルリーヒ・レオポルド、さらに初期タンジェリン・ドリームの準メンバーだったT・キーゼルリングが加わって、ほとんどバウアーとレオポルドだけで制作された、『Yeti』と同年のアモン・デュール最終作『楽園へ向かうデュール』と同じ作風の即興楽曲をやっています。インプロヴィゼーションというほどのものではありませんが、『楽園へ向かうデュール』ではオリジナル・デュールのメンバーは(デュールIIとのかけ持ちメンバー以外)バウアーとレオポルドしか残っておらず、その2人もこれを最後に消息を断つ(ライナーは短命ハード・ロック・バンドの「Gift」に加入しますが)ことを思うと、デュールIIには狂気や暴力性はありましたがオリジナル・デュールのような刹那的虚無感はないのに気づきます。「Sandoz in the Rain」はデュールIIのアルバムにオリジナル・デュールが紛れ込んだ曲ですが、アルバム最後に置かれたこの曲が『地獄!』に狂気や暴力性だけではない深みを与えているのは見事な構成です。