人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

五つの赤い風船 - NEW SKY(アルバム第5集part1) (URC, 1971)五つの赤い風船 - NEW SKY(アルバム第5集part1) (URC, 1971) :  

Recorded at アオイスタジオ, April 8, 12, 24, 28 & May 14, 1971
Released by URC Record URG-4006, July 1971
ジャケットアート・木村道弘
全曲作詞作曲・西岡たかし
(Side A)
A1. 時々それは - 23:09
(Side B)
B1. 私は地の果てまで - 6:03​
B2. ボクは愛など知らないし - 7:52
B3. たまには一度は - 5:00
B4. 私は広い海に出る - 4:40
[ 五つの赤い風船 Five Red Balloons ]
西岡たかし - vocal, guitar, vibraphone 
東祥高 - guitar, piano, organ, vibraphone, accordion
藤原秀子 - vocal
長野隆 - vocal, bass
(Original URC "NEW SKY(アルバム第5集part1)" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side A Label)

 1967年に結成された大阪のフォーク・ロック・グループ、五つの赤い風船は現在でもリーダーの西岡たかし(1944~)を中心に活動していますが、1972年にいったん解散するまでの五つの赤い風船のアルバムとメンバーのソロ・アルバムには、

・高石友也の『坊や大きくならないで フォーク・アルバム第三集』(日本ビクター, 1969.6) *参加アルバム
・『高田渡・五つの赤い風船(アルバム第1集)』(URC, 会員制配布1969.2、一般発売1969.8) *スプリット・アルバム(B面のみ)
・『おとぎばなし(アルバム第2集)』(URC, URL-1008, August 1970)
・『巫OLK(フォーク)脱出計画(アルバム第3集)』(URC, URL-1013, March 1970)
・『フォーク・アルバム第4集~イン・コンサート』(URC, URG-4002, August 1970) *東京厚生年金会館ホール1970年3月31日・4月1日就労
・吐痙唾舐汰伽藍沙箱(西岡たかし・木田高介・斉藤哲夫)『溶け出したガラス箱』(URC, UGR-4003, November 1970)
・藤原秀子『私のブルース』(URC, URG-4004)
・『NEW SKY(アルバム第5集part1)』(URC, URG-4006, 1971.7)
・『FLIGHT(アルバム第5集part2)』(URC, URG-4007, 1971.7)
・『僕は広野に一人いる』(URC, URL-1026~7, May 1972) *2LP、ロサンゼルス録音・スタジオ&ライヴ
・『ゲームは終わり~解散記念実況盤』(URC, URL-1028~30, October 1972) *3LP、1972年7月30日・8月31日の解散コンサートを収録

 上記のリストのうち、『五つの赤い風船(アルバム第1集)』『おとぎばなし(アルバム第2集)』『巫OLK(フォーク)脱出計画(アルバム第3集)』は曲目をシャッフルして日本ビクターからの『五つの赤い風船フォーク・アルバム第1集』『五つの赤い風船フォーク・アルバム第2集』(1971年)に分散収録されています。その後リーダーの西岡たかしはほとんどの楽器を自分自身で多重録音したソロ・アルバム『満員の木』(URC, URG-4018, February 1973)を発表しますが、1975年8月には五つの赤い風船の再結成アルバムとして『五つの赤い風船'75』(URC, URG-4024)を西岡たかし、中川イサト、永井よう、金森幸介の4人で制作、以後は西岡たかし以外のメンバーは加入・脱退、新メンバーを迎えながら現在まで活動していますが、西岡たかし・中川イサト(『おとぎばなし』まで)・東祥高(『巫OLK脱出計画』以降)・藤原秀子・長野隆のオリジナル・ラインナップは『ゲームは終わり~解散記念実況盤』までで終わったと言っていいでしょう。

 五つの赤い風船は西岡たかしの高い作曲力を最大の武器とし、訴求力のある歌詞のポップな楽曲でアンダーグラウンド・シーンのフォーク界では絶大な人気を誇りましたが、実験的なサウンドはオートハープやリコーダーを使用した最初のスプリット・アルバムから始まっていました。初のフルアルバム『おとぎばなし』からコンセプト・アルバムが試みられており、ギターの名手・中川イサトや圧倒的な歌唱力を持つベーシスト長野隆も楽曲提供やリード・ヴォーカルをとっていましたが、中川イサトに代わってマルチ・プレイヤーの東祥高(のちにシンセサイザー・ミュージックの大家になります)が加入した『巫OLK(フォーク)脱出計画』以降にはコンセプト・アルバム指向、実験的サウンドはより顕著になります。五つの赤い風船はザ・フォーク・クルセダーズやジャックスと交流があり、当時フォーク・グループ(ただしのちの商業的フォーク以前のアンダーグラウンド・フォーク)とされていましたが、現在では日本のアシッド・フォーク~サイケデリック・ロックのグループとして再評価されているのはサウンドの実験性にありました。スプリット・アルバムでは元フォークルの加藤和彦に音楽ディレクターを任せ、『イン・コンサート』では元ジャックスの早川義夫、木田高介をゲストに迎え、マルチプレイヤーの木田高介に全曲のアレンジを任せた『溶け出したガラス箱』は異様な楽曲とサウンドで突出したアシッド・フォーク~サイケデリック・ロックの名盤になります。

 この頃から西岡たかしは自宅スタジオを備えてプリプロダクションを強固なものにし、そして当初2枚組アルバムとして構想され、2枚分売の姉妹作として完成・リリースされたのが『NEW SKY(アルバム第5集part1)』(URC, URG-4006, 1971.7)、『FLIGHT(アルバム第5集part2)』(URC, URG-4007, 1971.7)の2作でした。『溶け出したガラス箱』を引き継ぐ西岡たかしのソロ色の強い楽曲が『NEW SKY(アルバム第5集part1)』に、『おとぎばなし』や『巫OLK(フォーク)脱出計画』に続くグループ色の強い楽曲が振り分けられたのが)、『FLIGHT(アルバム第5集part2)』になります。特に『NEW SKY(アルバム第5集part1)』のアナログLPのA面全面を占める23分もの「時々それは」はピンク・フロイド1971年11月リリースのアルバム『おせっかい (Meddle)』B面全面の23分の大曲「Echoes」との類似があり、平坦な平歌に半音転調が不安感を湛え、水音や釘音(つまりこの曲は棺桶に入れられ水葬される死者の思念を歌ったものです)の自然音や、都会の喧噪のSEが挿入される不吉かつ幻想的な大作として注目されます。B3「たまには一度は」でも同様のSE処理があります。アルバム収録曲中B1「私は地の果てまで」、B4「私は広い海に出る」は藤原秀子のリード・ヴォーカルですが、アルバム全編は『溶け出したガラス箱』の延長にある虚脱感の強いアコースティックでサイケデリックなフォーク・ロック色が強く、木田高介のアレンジが強烈だった『溶け出したガラス箱』と較べると穏健なサウンドながら、アルバムとしてはいっそうバランスの崩れた、良く言って幽玄な、しかし薄気味の悪いダウナーなトリップ・ミュージックになっています。フォークルやはっぴいえんどを歯牙にもかけないジュリアン・コープの日本ロック研究書『ジャップロック・サンプラー』2007でも本作は『FLIGHT(アルバム第5集part2)』と2枚組扱いでジャップロック・トップ50(裸のラリーズは3位、『ジャックスの世界』は42位)の47位(四人囃子の『一触即発』より上位!)に上げられています。フード・ブレインの『晩餐』、スピード・グルー&シンキの2作のジャケット・アートを手がけた木村道弘のジャケット・アートも飛んでいます。日本の'70年代フォークはよしだたくろうの『元気です。』'72.7や泉谷しげるの『春夏秋冬』'72.4、井上陽水『氷の世界』'73.12以前に、サイケデリック・フォーク、アシッド・フォークと言える遠藤賢司の『Niyago』'70.4、三上寛の『三上寛の世界』'71.4、南正人の『回帰線』'71.7や五つの赤い風船の諸作があったのです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)