拉致司法と人質司法。

子供の連れ去り事件において、
先に子供を拉致した者に、
子供の親権等を渡し、
子供と会えない非監護親に対し、
「親権等はあきらめなさい。」
という。
これが拉致司法の基本パターンである。
子供を拉致されて会うこともままならない非監護親は、
連れ去り者に屈服するしかない。

裁判所が拉致司法を行うのは、
早期に司法手続きから、放り出し、裁判所の仕事を減らすためである。

裁判所は紛争解決と言うが、紛争は全然解決していない。
裁判所の手を離れただけだ。
水面下では感情のマグマがたぎっており、いつ爆発するとも限らない。
ごくたまに、殺人や自殺となってあらわれる。
もちろん、裁判所にとっては他人事である。
まあ、刑事事件になれば、裁判所にもかかわってくるが、
刑事事件は、裁判所にとって、検察の仕事を、オッケーと追認するだけの仕事なので、
特に手間は感じない。

このような家庭裁判所の腐敗を目の当たりにして、
最高裁判所をはじめ、
裁判所全体の腐敗を調べていくと、
拉致司法に似ている人質司法という言葉があった。
おそらく、人質司法が先にあって、
拉致司法に応用したのではなかろうか。

人質司法とは、刑事事件において、
身柄拘束および
それにともなう肉体的、精神的暴力
によって、自白を得るやり方である。

身柄拘束は、20日以上に及ぶこともある。
サラリーマン等一般人は、そんな長期間、仕事を休むわけにはいかないので、
やってもいない罪を自白してしまう。
自白があれば、裁判所の仕事が大幅に楽になる。
そういうわけで、無理やり自白をとるわけだ。

子供の連れ去りも、ひどいけど、
冤罪もひどい。
裁判では、裁判の場での被告の無罪主張よりも、
警察の暴力によって強要した自白調書を優先する。
そういうシステムなんだと。
個々の裁判官の資質の問題ではなく、
歴代最高裁長官の資質の問題だな。

拉致司法と人質司法に共通するのは、
事件処理の迅速化・・・と言えば聞こえはいいが、
要は、裁判所から放り出すだけである。
判決の正当性は問わない。
最高裁がケツを持つから、どんどん放り出せ。
最高裁にはどうせ逆らえないんだから、気にするなって感じ。
いい加減にもほどがある。

看過できないね。