誤審。

サッカーや野球に限らずよくある話だろうが、
スポーツに誤審はつきものだ。
人が裁く以上、誤審は避けられない。

往々にして、スポーツでは、誤審があっても、
結果は覆らない。

それは、
①結果を覆すと周囲への影響力が大きいから。
⇒特に、賭博をしてる場合。
⇒誤審と勝敗結果に因果関係性がないとも言い訳できる。
 まあ、ロスタイムの誤審など最後の最後の誤審に対しては言い訳できないが。

②ゲームや大会の進行の妨げになる。
⇒観客は観戦料を支払って、
 ゲームを見に来ているのであって、
 揉め事を見に来ているわけではない。また、
 大会主催者側としては、試合による興行収入さえ得られれば、
 誰が勝とうとどうでもいい。
 誤審も試合というドラマの一部
ということかな。

そしてまた、人生にも、誤審はつきものだ。
誤審とどう向き合うか、
一選手としては、ドラマの一部として楽しむしかないのか。

スポーツの話なら、ルールや審判のありようが気に入らなければ、
やめればいい話だが、
人生で、それをしようとすると、
自殺か、あるいは、
在住国を変えるということになろうか。
語学や仕事などのことを考えると
現実的でないほど大変だろうが、
まあ、実際に外国で生活している日本人もいるわけで、
結局は、やる気の問題といえる。
日本のルール自体を変えるという方法もある。
在住国を変えるのとどちらが簡単だろうか。
ルール自体を変える方がやりがいはあるだろうが、
自分が巻き込まれた問題の解決にはつながらない。
まあ、これは、在住国を変えても同じか。
ただし、在住国を変えれば、将来の問題は生じない。
まあ、自分が日本国を選ぶのであれば、
日本国の現状を受け入れるしかないな。
改正運動をするのは別として。

足を削ったり、服を引っ張ったり、
非合法を合法と扱う。
そんな国はイヤだと思うのが、普通と思うのだが、
現状を見るとそうでもないようだ。

まあ、しかし、今になって考えれば、
ずいぶん昔から、
国政のありようがヒドイことは、
ずーっと報道されていたのに、
(公害とか、薬害エイズとかその他もろもろ)
何で、一つとして心にとどまることなく
聞き流していたんだろうと
我ながら不思議に思う。

その理由は、やはり当事者意識の欠如かな。

人の痛みを知る共感能力が、
日本の学校教育では育まれない。
テストの点数しか評価されないからね。

当事者意識の欠如というのは、
自分やその家族に害がなければ
それでいいという考え方。

離婚が当たり前になってくると、
出会いと別れを繰り返すうちに、おのずと、
自分と係る人間の数が増え、結果として、
各種問題に係る機会も多くなり、
当事者意識が増加傾向になるかもしれない。
家制度⇒核家族⇒家族流動化⇒人類みな兄弟
というような進化の過程なのかな~。