家庭裁判所での無法な取り扱いを受けているうちに、
今まで自分が拠り所としていた、
法律や道徳という行動規範が崩壊していった。

今までは、
嫁が義父母の面倒を見るのは当たり前。
親戚づきあいをするのは当たり前。
連れ去り・引き離しがいけないのは当たり前。
浪費がいけないのは当たり前。
などと思っていたが、現実では、全然、当たり前ではなかった。
家庭裁判所ではオールオッケーだ。
全くのおとがめなし。

なんでこんなことになるんだ?
法律や道徳は守るべきものじゃないのか?

結局、行き着いた考えは、
「法律も道徳も結局は共存のための道具」であり、
共存するうえで、道具が邪魔になるなら、道具を捨て、
優先すべきは、「共存」の方だということだ。

私は今まで、法律や道徳を守るべきものと教えられてきたので、
「法律や道徳」を優先させ、妻を否定してきた。
しかし、もし共存を望むのであれば、
妻を優先し、「法律や道徳」を否定してよかったのだ。
もちろん、そんな妻との共存を望まなければ、別れればいい。
ただ、共存を望まない理由が、
「法律や道徳」に反するからというのは、本末転倒である。
「法は家庭に入らず」というのはこのことなんだろう。
「法律や道徳」は対立する当事者間の利益を調整する道具であり、
夫婦のような共存を目的とする当事者間を調整する道具にはなりえないということだ。

法律・道徳は、共存に劣後する。
実際、最高裁判例では、
政府に有利なご都合主義の判決が下されることが多い。
守らなくていいのだ。

真面目なゆえの過ちというか、
結局、
清濁併せ呑むとか
水清ければ魚棲まず
ということなのだろう。

共存するうえでは、
法律も道徳も守らなくていい!!!
こうすべきだなんてことはない!!!
共存するのであれば、相手の全てを認めることだ。

妻とはもう対立しちゃってるから、
「法律や道徳」を捨てるわけにはいかないけどね。
共存の道は探りつつ、利益確保も図りつつ、
まあ、大人の世界は、常に、グレーでバランス間隔が必要ってことだね。

白黒つけないと嫌って人は、考えの浅いお子様ってことだよ。
まあ、自分のことなんだけど。

追記
「法律・道徳」が劣後するのは、共存関係の場合の話なので、
対立当事者間では「法律・道徳」が優先しなければなりません。
家庭裁判所は対立当事者の利益調整をする機関ですので、
「法律・道徳」を優先しなければなりません。
結局、家庭裁判所が無法者なことには変わりありません。