例えば、私は日ハム時代以来の大ファンなので

 どんな沈痛な会見であろうとも、姿が見られれ

 ば安心するのだわ。

 一点の疑いの余地もないのよ。

 こんな人は少なからずいるのは知っているが、

 シーズン中など自分の中の8割は野球のことを

 考えているというか、大谷さんのホームランに

 心のハリを任せているというか。

 ギャンブル依存症と似ているのではないかびっくり

 大谷の活躍依存症であるチュー


 なので、まだ会見前に世間でいろんな憶測が

 飛び交っていた時、わかったような口を聞く人

 らが、場合によっては選手を卒業しなければ

 いけなくなるといった類いの意見を聞くと私の

 中の陰の部分がつぶやく。

 「ネガティブなエッセンスで人心を翻弄して

 視聴率を稼ぐようなやつがわかったようなこと

 を言うな」と。

 というのは、大谷のいない野球は私にとって、

 暗がりである。恐れ多い言葉を使えば、

 太陽神が岩戸に隠れたようなものである。

 というようなことなので、例えだとしても

 選手生命を失うような想定は禁句なの、私の

 世界ではキョロキョロ

 

 私はほとんど善良な人間で、仏の顔をして

 歩いているのにほんとか?恐れ多い発言が

 多いぞショボーン

 なのに、思わず毒づく瞬間があるわけである。

 のように、人は陰と陽を併せ持つ。

 ほとんどの人がそうでしょ。


 例えば、大谷さんは陰の部分が全くないとは

 言わないが薄いのでは。まっすぐ野球が楽しく

 さらにうまくなるのをめざして、才能も持ち、

 同じ方向を見てくれる温かな家族に囲まれて

 小さな頃から迷う事なく一つの道を歩んできた

 わけである。悩む心も体験し怪我の苦労も体験

 しているが、それはすべて野球で世界をめざす

 という王道の上のことである。まぁ非凡な道を

 歩んできた貴種の人である。更に気が合い、

 同じ方向を見てくれる素晴らしい伴侶も得たの

 である。

 ほとんど陽の人だと思う。


 しかしながら、これも恐れ多い言葉だと思いな 

 がら言えば、陰陽隣り合わせなのが宇宙の真理

 ではなかろうか。


 決して悪人ではなく善人だといえる献身的な

 いつも傍にいた人に魔がさしたのも、そういう

 所以ではなかろうかという私見。


 強烈な痛みを得たこの体験は辛いものだが、

 何が痛みを生むのかと考えれば、同じ方向を

 見ていると疑わず安心してサポートを委ねていた

 人が実は、その心の殆どを暗い怖れを伴うギャン

 ブルという作業に費やしていたという事実ではな

 いだろうか。

 今までの人生で家族は同じ方向を見ていた。

 そのパートナーもそうだと疑っていなかったの

 に、大きく違っていたのだ。


 人生を知ってるというような口を聞く人は、

 「大人になれ」とか、「世間を知れ」とか

 言っているのをチラチラと見るけれど、この

 体験で学ぶべきことはそんな事だろうか。

 大谷は大人である。人より世間の先頭を生きて

 いる。野球選手なのだから。

 むしろそのままでいいと私は思う。


 それより例えば、

 渦中の彼は心から悔いているだろう。魔を避け

 られなかった弱さを痛感して苦しみぬいている

 だろうと思うよ。

 どんな罪科で、どんな償いをするのかわからな 

 いけれど、それを果たしたあかつき、また

 同じ方向を見て、共に支え合う日が来ないだろ

 うか。現実的には、ほれやっぱりスケープゴート

 だったのではとか、それの契約では、とか言う

 声が世界の陰から聞こえるのを私の陰が想像する

 けど、そんなものは越えて、大きな許しを世界が

 見れば、この世界は

 救われるのではないかと思うこの頃。

 

 話は変わって、私も依存症を脱却しよう。

 大谷がホームランを打つたびに、私も私を褒め

 られるような小さなホームランを打とう。

 一つ断捨離したとかの、課題を一つクリアする

 とかね。小っちゃいな照れ