原爆は日本人には使っていいな。


これって岡井 敏という方の本のタイトルです。

アエラ(2010/9/6号)の鈴木邦夫氏の「読まずにはいられない」コーナーで

紹介されていました。まず、タイトルでびっくりして、次にこの書評を読んで、

もう一度びっくりし、最後には憤りと恐ろしさを感じました。


書評によると内容は、戦争当時英米間にハイドパーク覚書という

密約が存在したという話。

その密約では「原爆が使用可能になった時に、日本人には使用していいだろう」と

書かれていたということです。

著者はこのあと、人種差別的発想から日本に原爆が落とされたという議論を展開

していくのですが・・・・


鈴木邦夫さんは、書評の最後をこう締めくくっています。

「もし原爆の威力を公表していたら、その時点で日本は降伏したかもしれない。でも、

それでは困るのだ。何としても日本人に使ってみたかったのだ。・・・」


私もそう思いました。

本当に核や兵器を持つことが抑止力になるのなら、どんな武器を持っているか

を公表し、それらの武器を使うとどんに悲惨な結果になるかを先に

知らせて戦局がひどくなる前に、多くの人々が亡くなる前に終局に

向かう努力をすべきです。それでこそ武器が抑止力になりえるのではないでしょうか。

そこが政治家の腕のみせどころじゃないのでしょうか。


それにしても、そもそもどんな戦争においても戦争を回避できなかったのでしょうか。

何か恣意的なものを感じずにはいられません。そこにはいつも金儲けと絡んだ

何かがあるように思えてなりません。


しかし、私が憤り、恐ろしくなったのはそこだけではありません。

たった二人の大物政治家の合意によって多くの命が奪われたことです。

そのなくなった人の一人ひとりには家族もあり、生活を営んでいたはずです。


先日の別のニュースで、人は個人の話には共感しやすいが、大勢となると

鈍感となるという記事も読みました。


自分の家族が一人でも亡くなると本当に悲しい思いするのに、

どうして大勢の人が亡くなることに対して無関心でいられるのでしょうか。


無関心・・・それは私達の罪でもあるのではないでしょうか。


ニュースなどのメディアがどの視点で、どのタイミングで書かれているのかという

問題意識をもつ必要があるのかもしれません。


珍しくまじめなポコでした。。。。