先日、60代男性の遺体が見つかった住宅から、現金600万がかけつけた警察官に盗まれたという事件がありましたね。
このニュースを聞いたときに
ああ、なんという想像力の欠如なんだろう、と思いました。
だってそこにいるのがご遺体であっても、意識体はそこにいてその行動を見ているし
もちろん見ているのはそのご遺体のご本人だけではなくて
その警察官を守護している、それこそ自分のハイヤーセルフだったりご先祖様とかも見ているわけです。
視えないからといってそこにいないというわけではないのですが、そういうことを想像できないのでしょうね。
昔はお天道様が見ているとよく言われたものでしたが、最近はあまり言わないのでしょうか。
私はこの「お天道様が見ている」というイメージがすんなりと湧いてくるタイプでした。
だから認知症の方のお宅に大金があちこちにあっても、私は1円たりともかすめようとは思いませんでした。
(とある事情で頼まれごとをされたのです)
だって必ず自分以外の視えない存在が私の行動をリアルタイムで見ていることも想像できていましたから。
それになんと言っても自分の氣持ちがよろしくないですよね。
今回のそんなニュースを聞くと、あのときに1円たりともかすめなくてよかったと
あらためて自分の潔(きよ)かった選択に安堵します。
日常生活にはこのような試される場面がたくさんあると思います。
お天道様って自分の中の神様という意味でもあるのではないかと思います。
だからあんまり自分自身に陰りになるような、氣持ちが重くなるようなことはしないに限りますね。
同じ見られるにしても、協力してあげたくなるようなそんな氣持ちを抱かせたならしめしめですね
まぁ、私は見られているからといっても淡々と日常を生きていますけどね。
でもそれが私の大好きな毎日なので、いつも眠る前には、
「今日も私の大好きな一日でした。ありがとう」と感謝を伝えてから眠ります。
人生、氣持ちを軽く感じながら過ごすのがラクですね。
今日もここまで読んでくれてありがとう。
いつも感謝・感謝です。