新天地でもみんな頑張れ!@マリーンズを去る選手たち | BRAND NEW DAYS

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サッカーや野球中心のスポーツ観戦中心のブログです。
特定のチームを応援する事からは完全引退しました。


48.高木晃次

new frontier         ~ある冒険者の雑記~


まずは一人目。

阪急ブレーブスのユニフォームを着たことのある数少ない選手。

(もう一人はハムの中嶋)

2002年に地元千葉に帰ってきた左腕はリリーフとして、時にはローテーションの谷間の先発として活躍した。


2002年から2003年にかけてはバファローズ(近鉄)相手に抜群の相性を誇り「闘牛士」とも言われた。


その後は敗戦処理やワンポイントでの起用が多かったが2005年の優勝には大きく貢献した。


しかし今年は開幕から思うような結果が残せなかった。


2軍でも思うような結果が得られず今日戦力外となってしまった。


本人は現役続行を希望。


50歳まで。

頑張れ高木さん。

そしてありがとう高木さん。


new frontier         ~ある冒険者の雑記~

11.神田義英

マリーンズには少ない私と同い年の選手。


神田と言えば2006年の交流戦を思い出す。


絶対的セットアッパー薮田故障で窮地に陥ったマリーンズを救ったのは神田だった。


讀賣戦で逆転のピンチでマウンドへ上がりえげつないシュートを連発し相手に付け入る隙を与えなかった。


しかし、その年以降はボビーに期待されながらも不振が続き今季はほとんどを2軍で過ごした。


現役続行を希望しているそうなので是非えげつないシュートの復活をさせ神田も復活してもらいたい。


頑張れ神田!

そしてありがとう神田。


new frontier         ~ある冒険者の雑記~

47.手嶌智

「自分の顎のように伸びるボールを投げる」

そういって入団会見のとき会場を爆笑の渦に巻き込んだ。


ルーキーイヤーにファームで最多勝。


手嶌の野球人生は順風満帆なものになるのかとファンは思っただろう。


しかし、次の年に思わぬ壁が立ちはだかる。

それは二段モーション禁止。


手嶌の投球フォームは二段モーションに該当するフォームだった。


矯正を試みるも怪我なども重なりルーキーイヤーに1試合登板しただけであとは2軍暮らしとなった。


そして今日、まさかの通告を受けることになってしまった。


今後は未定。

それでも

頑張れ手嶌。

そしてありがとう手嶌。


new frontier         ~ある冒険者の雑記~
69.江口亮輔


この投手の伝説はドラフトのときである。

まさか自分を指名するチームはないと思っていた本人。


ドラフトの動向を見ようとしてケータイのネットでチェックしたところ自分の名前があってビックリしたという話。


中央では無名だったが潜在能力を買われマリーンズへの入団を果たした。


しかし、プロの壁にぶち当たり結果が全く出せずに今日、非情の通告を受けることになった。


今後は未定。

それでも

頑張れ江口。

そしてありがとう江口。


育成選手は写真なしでいきます。


123.小林憲幸

ヤンキー魂を見せつけるために育成枠でマリーンズに入団した憲幸。

ヤンキー魂で這い上がろうとしたのだがプロの壁はあまりにも厚すぎた。


アマチュア相手なら討ち取れるがプロが相手となると打ち込まれていた。


そして今日、戦力外通告を受けてしまった。


本人は現役続行を希望。

ヤンキー魂で頑張れ憲幸。

そしてありがとう憲幸。


124.白川大輔

マリーンズ育成枠受け入れ1年目に小林憲幸と共に、その育成枠で入団。

ボビー好みの俊足選手。


しかしほとんど出場することのないまま戦力外通告を受けてしまった。

鴨川で必死にバント練習をしていた姿は今でも忘れてません。


今後は未定。

だけど、頑張れ白川。

そしてありがとう白川。


125.大谷龍次

軟式出身のスターを目指すべく育成枠で入団した大谷。


しかし現実は甘くなかった。

マリーンズに少ない右打ちの外野手だけにチャンスがあるかに思えたが出た試合といえばフューチャーズとして、またはその相手として、アマチュアチームを相手としてということがほとんどだった。


だけど、そんな練習の虫が必死に浦和球場でバッティング練習をしていた姿は目に焼きついています。


今後は未定。

だけど、頑張れ大谷。

そしてありがとう大谷。


134.田中崇博

浦和球場で試合前練習を見ているとき

おーい田中!

ブルペンで投球練習だ!


とコーチに呼ばれて来たとき「田中って誰やねん?」

って正直思ってしまいました。


公式を確認し、あーこういう選手がいるんだという感じでした。


しかし、そんな私の考えとは裏腹に物凄い重い剛速球をコントロールが果てしなく悪いながらも投げ込んでいました。


もしかしたら、これはダイヤモンドの原石?

と思わせてくれました。


その後、田中とは会うことはなくなってしまったのですが、安定感に問題があったのでしょうか。


育成枠入団1年目の選手で唯一戦力外となってしまった。


今後は現役続行を希望。


俺はまだ田中をタイヤモンドの原石だと信じている。


目映い輝きを放つまで

頑張れ田中。

そしてありがとう田中。


以上、戦力外通告者への感謝状でした。