また今日も一日トレーニングになるのでネタモノで行きます。
今日はブログのネタにも取り入れているマリーンズ。
となると必然的に長文になります。
ファンになるまでの経緯を書きたいと思います。
野球を見始めたのは小学校2年生の頃、県内の高校野球が最初でした。
当時、活躍していたのが印旛高の土橋(元ヤクルト)、拓大紅陵の飯田(元ヤクルト、楽天)がいました。
プロ野球を見始めた小学校3年、そんなこともありヤクルトを応援していました。
一方、パリーグでは一番最初に覚えた選手がブーマーだったことから阪急(懐かしい)を応援してました。
当時の阪急のドラ1は横芝敬愛の高木(今はマリーンズ)と言うこともあります。
ヤクルトファンをずっとやっていた頃、千葉マリンスタジアムが完成。
その一年後くらいに千葉にプロ野球チームが来るニュースがありました。
チームはまだそのとき公表されてませんでしたがロッテが有力でした。
それでもヤクルトに来てもらいたいと思っておりましたが、やはりロッテでした。
当時、小学校6年生。私も友人もみな「ロッテだったら弱いから来なくていい!」と言い切っていました。
当時は「ロッテより弱い」と弱いチームの代表として扱われるようなチームでしたから。
好きな選手は佐藤幸彦しかいない。ただ千葉県民の小宮山をドラフトで指名したことに関心を示してはおりました。
そして中学二年時、1992年千葉移転のときがやってきます。
それでもまだ私はヤクルトを応援してました。
学校の担任の先生が「せっかく千葉県民なんだからロッテを応援しよう」といってましたがほとんどの生徒は聞き入れませんでした。
そして1993年、ヤクルト日本一を達成。さらにはこの年のオフのドラフトでロッテが拓大紅陵の立川、習志野の福浦を指名。この頃からヤクルトより徐々にマリーンズが気になり始めました。
そして野球はヤクルトファン、パリーグだったらオリックスでなくロッテになりました。
1994年、入学した高校は幕張付近にある学校でした。
周りはほとんどマリーンズファンでよくマリンスタジアムに連れて行かされました。
1995年ボビー1次政権開始。
チームは強くなり学校中マリーンズ色が強くなります。
そしてヤクルトはダントツ首位を独走中。もうこれでヤクルトは優勝決まりなので大逆転優勝を狙うべくマリーンズを応援し始めます。
優勝はなりませんでしたが今まで万年Bクラスのチームが2位で終了します。
そこから私自身、野球をやっていた私はケガをし野球を諦めます。
野球を見るのも嫌になった頃であります。
そこから暫くはサッカーの清水を応援してました。
高校卒業し、車の免許も取り大学時代は日本平までよく車で行ったものであります。
さらにヤクルトも土橋、飯田の存在が薄れ野球のあまり興味がなくなりました。
マリーンズの18連敗も蚊帳の外から見ていました。
ただ2000年に大学野球で母校が優勝争いをしているのを見て再び野球を見始めるようになります。
やはり野球が好きだと思った瞬間でした。そして気になっていたマリーンズの試合も含め見に行くようになりました。
そして社会人一年目の2001年にマリーンズの熱狂的なファンになるきっかけがありました。
同じ千葉県民の友人に誘われ行ったGWの試合でジョニーが登板好投、福浦のタイムリーで先制。
さらにボーリックのソロホームランで2点目、最後はマサが占めて勝利。
ずっと気になっていた福浦、立川が活躍しているのを見てプロ野球はマリーンズ、やはり千葉県民なんだからマリーンズを応援しようと思いました。
2002年からは年間30試合を観戦するようになった訳です。
6年間それを続けてきましたが今年はそれも激減。
それでも学校、始まるまでは行き続けます。