だって………
本当は、どっちでも………
良くないよね?…………(笑)
本当は、どっちが良いんだよ?って………
本当は……なにを求めてるの?
何が好きなの?
何が快なの………?って………
自分に聴いていけば。。。。
『どっちでもいい』には
無理がある…………。
だから人間は煩悩の塊であり…
それでいい。、
煩悩はあっていい。
煩悩は認知、判断から生まれた欲求。
その欲求が暴走し更に強まった認知、観念、物の見方がビリーフであり、信念であり、執着そのもの。
それが自分でも気付けない当たり前の認識❨概念❩そのものとなる。
だから、…
自分の快と不快の判断を
否定していると…………
歪みが更に歪んで
絡まって
カルマを積むこととなる…………。
自分の中に何か感覚があって………判断が出たなら、
感情を感じ切らなければ…………
その感覚を感じて良いと、自分に許可を出したて、、感じきって自分を赦して労ったり…………
完全ノージャッジ全肯定全受容の人に
そうだったんだね…………と受容されなければ…………
認知はもっともっと歪んで絡まって………
その認知が自分を縛り続ける……………
その……否定によって強まりすぎた認知こそが
生きづらさの正体………
な気がします。。。
m(__)m