本稿に取り組むきっかけ 

何だか後ろ向きの様に感じて「いわゆる闘病記」を残すつもり等サラサラなかったのだが、多くの同病患者が人工呼吸器装着後の生活に悲観して呼吸器の装着を拒み亡くなっている現状を憂い、本稿が現状打破の一助になればと思い、私なりの「ALS考」を綴ってみることにした。

 

ALS協会の支部長をしていると、想像以上に多くの方と悲しい別れを経験する。「患者会だから当たり前じゃろう」と言われるかもしれないが、仲良く付き合っていた方との分かれは悲しく、悔しい。前稿ではALSの進行速度について触れたので、今回はALS患者とその家族にとって最も神経質な話題、人工呼吸器を付けるか否か、について私なりの考えを綴ってみたい。そもそも、冒頭文では人工呼吸器を装着するのが正しいかのような印象を与える私のスタンスだが、人工呼吸器を装着して6年半、本連載を開始して5年も経つと、随分周りも冷静に見渡せるようになってきたので、「現時点での考え」と断った上でまとめてみることとする。

 

自己決定

ALSが過酷な病気だと言われる所以には、療養生活(そう呼ばれること自体、私は嫌いだが)の辛さもさることながら、人工呼吸器を装着するか否かによって、予後、もっと言えば人生そのものが大きく異なる点、しかも、その装着を本人の選択に委ねている点もあるだろう。「自分で選べるんならええじゃん」と感じる方もいるかもしれないが、これがなかなかシビアな問題だ。何せ、この選択如何によって、当人だけでなく、家族や周囲を巻き込んで生活が激変するからだ。加えて、人工呼吸器を装着すると24時間誰かが傍にいないといけない暮らしなので、家族への負担を考えて装着を拒む人も多い。「ホントは生きたい」、「自分が生きるために家族を犠牲にしていいのか?」、「出来れば自分で決めたくない」ってのが当事者の偽らざる思いだろう。私の場合は妻の「人工呼吸器を装着すればALSが原因で死ぬことはないんだって。生きようよ。生きて!」、との一言が悩む私の背中を押した、と言うよりも、妻が決めたに等しい()。これが一人暮らしだったらどうだろう。家族から「自分で決めて」だったらどうだろう。・・・私は人工呼吸器を装着する自信が、急になくなる。

 

家族による一言の例

Aさんは製薬会社に研究職として勤務する、アウトドア好きの40代だ。関東地方で一人暮らしを満喫しながら仕事も充実していたある日、登山中に脚に違和感を自覚し、病院を受診。検査の結果、ALSとの診断を得たという。原因不明、治療法なしの難病ということで、製薬会社を休職している中、ALS協会広島県支部患者交流会で出会った。Aさんとは年齢も近いし、霞キャンパスで青春を謳歌した者同士、アウトドア好き、そして医療に携わる者同士として意気投合し、仲良くした。病状進行が速かったのもあって介護体制が追い付かないので、もっぱら80代の両親とお姉さんによる介護を受けていた。

 

 

Aさんは最初に人工呼吸器を装着しない決心をしたようだが、お姉さんは思いとどまらせようと躍起になっていて、お姉さんから相談を受けた。その中に80代の親からの気になる言葉があった。注入食に不慣れだったのだろう、注入食の準備中に「いつまでこんなことをすればいいのか?」と言われたという・・・。そんな状況で「人工呼吸器を装着して生きたい」、と言えるだろうか?「人工呼吸器を装着する=人に迷惑をかける」のは紛れもない事実なので、装着するかしないかは当事者にとってシビアな問題だ。Aさんは年老いた両親を慮って決心した、と言える。しかし、親より先に子供が亡くなることを望む親がいるだろうか。家族間で腹を割って話し合ってほしかった。

 

主治医による例

ALS協会広島県支部で出会ったBさんは70代の先輩患者だ。Bさんは人工呼吸器を装着する決心がつかないまま、ALSと対峙していたという。主治医の訪問医は多くの在宅ALSを受け持つ、その筋では有名ドクターだ。病状進行しても、なお決心のつかないBさん、とうとう呼吸苦が始まってきた。肩で息をしても酸素が足りていないのは明らで、意識朦朧となったその時、「人工呼吸器を装着しますか?」と訪問医からの問いかけに、ついにBさんはうなずいた。救急搬送~気管切開~人工呼吸器装着となったようだ。

 

聞けば主治医は人工呼吸器装着推進派で、この時を待っていたのだという。さしずめ医師主導の人工呼吸器装着だ。まるで4の字固めを喰らって悶絶するプロレスラーに「ギブアップ?ギブアップするか?」と問うレフリーのようだ。意志の強い人でも、このやり方だと、ほぼ全員人工呼吸器を装着することになるのではないか?Bさんの本音は分からないが、この手法に私は反対だ。なおBさんに会うたびに、Bさんの笑顔に癒されている。

 

支援者による例 

CさんはALS協会広島県支部の患者交流会で出会った70代の女性患者だ。CさんはALSを発症するまで自営業者として手腕を振るっていたらしく、ハッキリした物言いで好感が持てる。また、気ままな独り暮らしを満喫しているという。支援者の「独居で人工呼吸器を装着している人もいますよ」、との勧めで、人工呼吸器を装着する準備に取り掛かった。

 

ところが、人工呼吸器を装着してからは患者交流会に参加されることはなくなった。聞けばコミュニケーションの不安により、人工呼吸器を装着してから人が変わったようにワガママになり、介護士が悲鳴を上げているという。独居する予定だったのに、とうとう病院送りになった。病院スタッフではコミュニケーション支援に不満があるとのことで、入院中にもかかわらず24時間介護士が付くという異例の体制だという。

 

Cさんの介護士が私に泣きついてきたこともあるように、Cさんの個人資質によるところもあるだろうが、人工呼吸器を装着して独居することを気軽に勧めてはいけないと感じた。人工呼吸器を装着するとどんな暮らしになるのか、正確に、詳しく知った上で、冷静に判断してほしい。

 

亭主関白の例

超亭主関白(亭主淡白ではない())だった人、というか恐怖政治を強いていた人が発病した場合にも、特有の傾向があるようだ。何組かの家族を見てきたが、当事者は患者相談会に参加しても、主な介助者である奥様の発言を制してでも自らの我を通す。奥様が怪訝な顔をしていてもお構いなし、と言った感じの男性だ。当事者の発言から、人工呼吸器を装着して生きるのを希望していると感じられる。奥様は大抵、「主人の決めた道に付いていきます」と口を揃えたように口では言うが、いざとなったら・・・人工呼吸器を装着しない・・・。

 

他人が首を突っ込むべきではないが、夫婦間でどんな話し合いが行われたのか・・・。ALSを発症する予定の方だけでなく、超高齢社会の現在、介護負担の問題は避けて通るわけにはいかない。亭主関白も亭主淡白も()ほどほどにしておいた方がいい。

 

医療従事者による例

患者家族から相談を受けた中にはこんな例もあった。長期入院中のALS患者が、病院から「人工呼吸器を装着するとウチでは診ませんので、退院して頂くことになります」と。信頼して命を預けている病院からの言葉に絶望したに違いない。命からがら乗れた救命ボートから突き落とすような行為と感じる。少なくとも転院先を提示すべきではなかろうか。

 

別の例では、ALSにより退職を余儀なくされ、生活保護を受けながら自宅療養していた患者が、人工呼吸器を装着するかの決断に迫られた際に、訪問看護師から「生活保護なのにまだ生きるつもりなの?」と。・・・この言葉は許されまい。レッドカード即退場だ。

 

患者は医療従事者を信じている。だからこそ真摯に向き合うべきだ。また、過去の常識(人工呼吸器を装着すると何もできない、地獄のような暮らし)にとらわれることなく、最新の情報を正確に伝えてほしい。歯科医療に従事する我々も同じだ。なお、これらは患者家族からの言葉を私が聞いたものなので、医療従事者の言葉を正確に伝えていないかもしれない。

 

まとめ

具体例を挙げて人工呼吸器を装着するか否かについて述べてきたが、人工呼吸器を装着して6年が経つ私自身は、装着して良かったと思う。しかし、こんな私も装着する前には不安で不安で仕方がなかった。なにせ生まれて初めての経験の上に、友人の内科医から「人工呼吸器を装着すると、地獄のような暮らしだぞ」、と聞かされていたからだ。安楽死制度があったら選んでいたかもしれない、ほどに。それでも妻の「人工呼吸器を装着すればALSが原因で死ぬことはないんだって。生きて!」、の言葉で人工呼吸器を装着することにした。鼻マスク呼吸器に慣れていたのもあって、人工呼吸器を装着しての第一印象は「なーんだ。普通じゃん」だった。

 

それまでの心配をよそに、思いのほか快適だったので生きる気力が湧いてきた。歯科医師会の会務にも復帰できたし、本連載も始めた。次第に「全てのALSは人工呼吸器を装着すべき」と考えるようになった。なにせ、ALS患者の内、装着を選択する人は3割に満たない。7割の人は自ら死を選んでいるように思えた。首根っこを捕まえて「ワシがやって来たようにしなさい!そうすれば幸せになれるから!」、と言いたいほどに熱かった。そう、私は「超」人工呼吸器装着推進派になった。

 

人工呼吸器を装着して6年、ALS協会広島県支部支部長をしていると、多くの患者に出会った。熱い思いが通じなくて、もどかしい思いもした。数年が経過すると、7割の人の気持ちも理解できるようになってきた。本人は死にたい訳ではなく、生きたいのに、周りがそれを許さないのだ。家族関係や経済的理由、そしてあってはならないが医療体制によって。少なくとも前者二点については、他人が口を挟むべきではないことも理解した。それはどちらも間違っていない。現在ではどちらも正解、と考えるようになった。

 

心情変化のイメージ図

 

 

どちらも正解、と言いながら、人工呼吸器を装着した暮らしの情報は、偏ることなく、正しく、多くの人から、客観的情報を得て、冷静に判断してほしい。三保はいくらでも相談に乗る。そして、選んだ道を精一杯生きてほしい。

 

装着するかしないか判断に迷う要因として、一度装着すると死ぬまで外せないのも問題だろう。たとえ、完全閉じ込め症候群(TLS)になって意思疎通が出来なくなってもだ。家族が「こんなに苦しんでいるなら、楽にしてやりたい」、と人工呼吸器を外せば殺人罪となる。装着するかしないかを本人に選ばせているのに、途中で選んではいけない、って矛盾している。途中で外せるのなら、装着するかしないかでそこまで悩まなかったと思う。私は。あくまでも個人的な意見だが、人工呼吸器に対するハードルが下がって、装着率が増えるのではないだろう。もちろん、倫理的、法的な議論が必要だが。

 

今回の話題は非常にシビアな要素を含んでおり、誰もが簡単には結論は出せまい。私の考えも、時を経て変化していったほどだ。本稿は2022年時点、当事者である私個人の考えであり、すべてのALS患者やその家族、支援者の意見ではない点を強調しておく。

(つづく)

※本連載は歯科医向けの連載ですので専門用語を含みます。 

<広歯月報No.806  令和4年7月号掲載>