本稿に取り組むきっかけ 

何だか後ろ向きの様に感じて「いわゆる闘病記」を残すつもり等サラサラなかったのだが、多くの同病患者が人工呼吸器装着後の生活に悲観して呼吸器の装着を拒み亡くなっている現状を憂い、本稿が現状打破の一助になればと思い、私なりの「ALS考」を綴ってみることにした。

 

 

ALSが運動筋をつかさどる神経の疾患であるのは皆さんご存知のはずだが、多くの合併症が存在するのもALSの特徴だ。前回までの4稿にわたりALSそのものに対する治療薬について語ってきたが、今回はALSによる合併症とその治療について述べてみたい。

 

痙縮治療

ALS=筋萎縮性側索硬化症という病名と病状進行した現在の私の姿から、「筋肉が萎縮して身体に力が入らない病気」と思われることが多いが、それは半分正解、半分不正解だ。私の場合は発症初期には力が入らないどころか、力が入り過ぎて貴闘力ばりに()突っ張って突っ張って仕方がなかった。歩行時には膝が曲がらずにつま先立ちでロボットのような歩行で、これを痙性歩行という。手のひらは赤ん坊のようにグーのままでパーにはできない。こんな症状を痙縮と言い、脳梗塞後遺症でよくみられるアレだ。


 

痙縮のイメージ

 


痙縮する私の指

 

 痙縮により尖足になる私の足


 

脳梗塞後遺症ではボツリヌス菌由来の毒素、ボトックスを痙縮部位に注射することが保険適用になったのが2010年。私が病名を告知されたのが2011年なので、神経内科医から見てもタイムリーだったのだろう。中高同期の神経内科医、宮地隆史君も痙縮に悩む私を見て、「こういう時はボトックスなんだけどね、筋力低下を主症状とするALSには禁忌なんだよ」と。ボツリヌス菌というと私が高校生だった1984年、熊本の郷土料理として有名な辛子レンコンの真空パックで11名もの死者を出した事件を思い出す。大学の細菌学の講義ではS教授がこの事件を引用して、「ボツリヌス毒素が自然界で最も強い」「嫌気性菌だから蓮田の中でも生存でき、真空パック内でも増殖する」と紹介されたので、必要以上にビビる()

 

2012年11月、杖を突きながら歩いていた時期に、治験のためにビハーラ花の里病院に入院していた際に宮地君からの提案もあって、和泉唯信先生(現徳島大学教授)監督のもと(施術は非常勤の医師)試したのが、muscle afferent block (MAB)だ。MABはボトックス注射の代替治療として行われており、キシロカインとエタノールの混合液を痙縮部位に筋肉注射するもので、私の場合はふくらはぎに注射した。確かに痙縮は楽になったような気がした。しかし、保険適用外なのもあって治験入院中しか受けられないのが難点の上に、以後は病状が進行したのもあって、試したのは一回きりだった。それよりもアルコールが全身に回って顔は真っ赤、いつも以上に駄洒落を連発、心臓はバクバク。そう、私は下戸だったんだ()

 

 

唾液過多治療

ALS患者は唾液分泌過多+嚥下障害によって唾液が溢れがちなのは<その28・口腔内持続吸引器考>で述べた通りだが、唾液過多に加えて嚥下障害は誤嚥性肺炎の引き金になりかねない。そこで、積極的に唾液分泌を抑えようとする治療も検討されている。

 

①耳下腺にスコポラミン軟膏

ALS等の神経変性疾患や終末期がん患者等の液分泌を抑制するためには、抗コリン薬の使用が適しているが、経口投与では便秘や排尿障害等の全身的副作用が懸念される。海外では経皮吸収型スコポラミン製剤が用いられ、その有効性が報告されているが、わが国では市販はなく、軟膏製剤を院内製剤として調製され、少量をカットバンに取り、耳下腺部の皮膚に貼薬する。私はビハーラ花の里病院に治験入院している時に試してみたが、なかなか効果があるように感じた。デメリットはカットバンを貼る部位を毎回変えなければ痒いことだった。なお、スコポラミンは乗り物酔い止めとしてポピュラーだが、唾液過多治療用途は保険適用外なので経験者は少ないはずだ。

スコポラミン

 

②耳下腺にボトックス注射

①と同様に唾液分泌過多を解消する目的で耳下腺にボツリヌス菌由来のボトックス注射をしようとするもので、徳島大学の和泉唯信教授からALS患者に対する治験が近々始まるという情報を得たので紹介する。ボトックスを耳下腺に打つと耳下腺は縮小し、唾液分泌も減少する。注射に際しては、確実に耳下腺だけに奏効させるために、超音波エコー下で行うという。美容整形でも小顔効果を目指して、あちこちにボトックス注射が打たれているが、驚くべきことに耳下腺にボトックス注射を打つこともあるようだ。この場合唾液分泌量が減るのではなかろうか?唾液分泌が必要以上に減ると、口腔内トラブルが増えるのは我々の良く知るところだ。

 

ALS患者は唾液分泌に悩まされるが、①で紹介したように抗コリン薬を経口(もしくは胃瘻から)服用する人も多い。友人のALS患者から、唾液分泌を抑制するためにパブロン鼻炎用を毎日服用していると聞いた。なるほど。試しに私もパブロン鼻炎カプセルを服用すると、確かに唾液量は減った。この時期は人工呼吸器を装着しておらず、唾液の誤嚥に悩まされていた時期でもあったので、外出などで長時間座位を保たなければならない場合には、事前にパブロンを服用した。たまたま、二日連続で服用した後に事件は起きた。尿意はあるのに尿が出ない!何度も尿器を当ててみても出ん!もう頭の中は尿のことで一杯だ・・・。出したいのに出んのは相当な苦痛だ。とうとう腹が痛くなったので、訪問看護師を呼んで人生初導尿を試みた。導尿カテーテルが入っていくのが分かる。「出てますよ」膀胱に達すると尿が出てきたが、排尿している自覚はない。3分ぐらい出続けただろうか、最後は看護師が下腹部を押して絞り出す。いつもの4倍量の800mlが出てきて一安心した。しかし、翌日目が覚めて最初の排尿時に違和感があり、「もしかして膀胱炎?」と考えた私は、「尿で洗い流せばそのうち治ろう」と、ジャンジャン水分を注入したのがまずかったのか、時が経つほど排尿違和感は排尿痛へと変わっていき、同時に白濁した尿が出るようになった。しかも、介助する妻によると、カツオ出汁が腐ったような、過去には嗅いだことのない、ただならぬ悪臭を放つ尿だったという。どうやらカテーテルで尿道か膀胱を傷つけたらしい。あまりの排尿痛から訪問医に抗生剤の点滴をお願いし、無事回復した。以後パブロンを服用しないのは言うまでもない。後日「パブロン地獄」と名付けた()
 

和泉唯信教授

 

ネラトンカテーテル

 

 

人工呼吸器による滲出性中耳炎

中耳腔と鼻腔は耳管を介して換気と気圧調節をしていることをトンネルや飛行機などで体験するが、人工呼吸器装着者は気切孔を介して呼吸しており、耳管の換気機能は低下する。加えて寝たきりになると唾液や鼻汁が耳管開口部に貯留し、中耳炎を起こし、難聴やめまいを誘発するという。発症原因は図を観れば分かりやすい。この中耳炎を防ぐためには寝たきりにならずに、毎日車椅子に起き上がることだろう。この合併症は同病の友人の暮らしを悩ませており、彼から聞くまで私は知らなかった。

耳管開口部

 

 

前頭側頭型認知症

近年、ALS患者の中に前頭側頭型認知症を合併する例が増加している、との報告がある。脳の前頭葉と側頭葉が変性、萎縮して起こる認知症で、アルツハイマー型と異なり記憶力低下は少なく、言語障害や怒りっぽくなる、物事に固執するなどが主症状となる。心当たりがないわけでもないが、私が固執するのは「物事」ではなく、「物」そのものなので多分違う()。ALS患者の中で増加しているのは流行しているのではなく、人工呼吸器を装着する人が増えたのと無関係ではあるまい。また、ベッドに寝たきりで何も考えない日が続けば、脳が萎縮することもあるだろう、と考えるのは私だけだろうか。ALS患者の15%にみられる、との報告もあるが、日々を忙しく過ごす私に「この実感は全くない」のは言うまでもない。「言語障害と言っても、お前喋れんだろうが」と言われそうだが、この場合は「言葉を思い出せない」、「文章が書けない」等を指すらしい。前頭側頭型認知症も原因不明治療法なしの難病なのも厄介だ。

 

前頭側頭型認知症

 

 

 

 

まとめ

その他の代表的合併症には、我々にも関係深い誤嚥性肺炎がある。ALS患者が亡くなる原因の大半を占める誤嚥性肺炎だが、<その38誤嚥性肺炎考>で詳しく述べたので、ここでは割愛させていただく。一般的には恐ろしいと思われるALSだが、人工呼吸器を装着すればALSが原発で死に至る可能性はゼロなので、すべての患者は合併症か、ALSとは無関係の他の疾患で亡くなっている。敵と対峙するためには、まず敵をよく知ることが重要だが、ALSを知ることと同様に合併症についてもよく知るべきだろう。特に唾液過多や誤嚥性肺炎については、我々歯科医も勉強しておくべきだ。

(つづく)

※本連載は歯科医向けの連載ですので専門用語を含みます。 

<広歯月報No.804  令和4年5月号掲載>