本稿に取り組むきっかけ
何だか後ろ向きの様に感じて「いわゆる闘病記」を残すつもり等サラサラなかったのだが、多くの同病患者が人工呼吸器装着後の生活に悲観して呼吸器の装着を拒み亡くなっている現状を憂い、本稿が現状打破の一助になればと思い、私なりの「ALS考」を綴ってみることにした。
訪看のサービス
訪問看護ステーション(以後訪看と呼ぶ)はその名の通り、看護師が自宅に来て看護してくれる医療サービスだ。訪看を依頼する患者には様々な疾患があるが、ALSの私が訪看から受けているサービスを紹介する。大抵の訪看は原則土日祝日休みなので、平日の週4回来てもらい、週3日は<その18・入浴考>で前述したように介護士とペアを組んでの入浴介助、月のうち10日間はALSの進行を止めると保険導入されたラジカット(エダラボン)静注、血圧、体温、SpO2の測定などの体調管理をお願いしている。また、緊急時には24時間対応してくれる体制になっているので、大変な仕事だ。2021年の9月末に訪看とトラブルになったので、事の顛末及び訪看との付き合い方について記してみたい。なお、本文中のA~G訪看は契約した順とする。
看護師による入浴介助
看護師による気切部のガーゼ交換
F訪看 (2019年11月~2021年10月)
後述のE訪看の突然の撤退により、E訪看の紹介で出会ったのが開設間もないF訪看だ。担当になった二人の看護師は気が利く上に大変熱心で入浴介助も点滴も快適そのもの。今までの訪看では感じることのなかった充実感に満ち溢れ、これが永久に続けば、と思ったほどだ。しかし、半年が経つ頃には雲行きが怪しくなった。どうやら、担当の二人と管理者の間に修復しがたい溝が生じ、退職するという・・・。以後、担当看護師は次々と代わり、その度に熱意は低下し、かつ半年単位で次々と離職していった。(ようやく慣れてきたのに~!)
(うーん。訪看を替えてもいいんだけどなぁ。リハビリのOTが頑張ってくれてるからなぁ・・・)。<その52・リハビリ考>で前述のように、曜日ごとに訪看とリハビリはセットなので、リハビリを優先させて見送っていた。そんなところに9月末日、OTから「管理者についていけないので、来週で退職します。入社して半年で、ココは長くいるところではない、と気づきましたが、管理者に引き留められたのと口止めされてました。スタッフが定着しないのは問題だと私も感じていました」と。時を改め管理者がやって来て、「来週いっぱいで撤退させてください」と。「えーっ!いきなりですか?」少なくともひと月前には伝えるのがマナーなんじゃないのか?それよりもカチンときたのは、「以前よりスタッフから三保さんの看護はシンドイとの声がありまして」、と撤退の理由はそっちだと突き放されたことだった。聞けば、「何を言ってくるのか分かんない」、「何が苦しいのか分からん」と。それはコミュニケーションを取る努力をしないからじゃない?何度も「コミュニケーション方法を覚えてね」と伝えたよね。医療人らしからぬ発言だと思うのは私だけではあるまい。
A訪看 (2013年6月~2014年11月)
病名告知後のまだまだ喋れて食べれてデブだった時期に、同じ南区内に在住の先輩患者から「将来的に必要になるから」、と紹介された訪看で、訪問介護事業所も併設する比較的大きな事業所だ。管理者の女性看護師はいわゆるボスキャラで、「三保を長く生かすぞ!」との意気込みが感じられる熱血女子だった。管理者の熱意からなのか、作業療法士からの提案による透明文字盤によるコミュニケーションを、私を担当する看護師間で練習してくれたり、良好な関係は続いていた。週に2日の訪看だったが、徐々に担当看護師が増えていき、最終的には5人の看護師が入れ代わり立ち代わり来るようになった。1人の看護師が単純計算で月に2回、場合によっては月1回なんてこともあったので、徐々に看護内容は低下。業を煮やして、「看護師を2人程度に固定してほしい」と管理者に伝えると、「多くの看護師で情報共有していきます」との返答。埒が明かん、と判断して訪看ステーションを探し始めた・・・。しかし、7年を経た今となっては、A訪看は熱意にあふれた訪看だったことを再認識する。
B訪看 (2014年11月~2019年3月)
熱心な看護師さんが新たに訪看を立ち上げるとの情報を得て、男性看護師の社長と女性看護師の管理者と会ってみた。A訪看の不満をぶつけると、「分かりました。私たちで担当します!」との心強い返答。気を良くしてA訪看からB訪看に乗り換えることにした。開業当初は利用患者もスタッフも少なかったのだろう、トップの二人が熱心に来てくれていた。しかし、2年がたち3年がたつとトップの2人はさっぱり姿を見せずに、代わりに新規に採用したと思われる新人(新卒という意味ではない)看護師が入れ代わり立ち代わり来るようになった。しかも、なかなか固定されない。中には静脈注射が苦手な看護師もいて、何度も針を刺されることもあった。徐々に看護師のクオリティが低下していったのに業を煮やして、ケアマネにその旨漏らしたところ、「そりゃそうでしょう。社長看護師から『三保さんところから手を引きたい』と聞いています・・・」。なぬ~!ブチ切れて、即刻新たな訪看を探すことになったのは言うまでもない(笑)。
C訪看 (2016年7月~2019年2月)
より充実した看護体制、リハビリ体制を求めて、B訪看の穴を埋めるように入ってもらっていたが、肝心のB訪看と連携が取れないために解約してしまった。
D訪看 (2019年3月~現在)
前述のC訪看の応対からケアマネと一緒に新しく訪看を探し始めた。今度こそは上手く付き合うぞ。そしていい訪看であることを期待した。管理者の男性看護師にサービスに入ってもらうことになった。彼は非常に熱心で、今までの看護師と異なり、パソコンなしでも私とコミュニケーションを取ろうとしてくれたのが嬉しかった。F訪看を辞めた気の利くSさんが在籍しており、週に3日入ってもらう現在の核となる訪看で、長くお付き合いしたい。
ラジカット点滴
看護師によるラジカット点滴
E訪看 (2019年7月~2019年10月)
人工呼吸器を装着した児童などの看護を行ってきた看護師が南区内で開業する、との触れ込みで紹介され契約した。ところが、サービス開始から二か月経った頃に「実は、信頼していたスタッフが急に辞めることになってしまって・・・」と、開設から半年余りで廃業してしまった、残念な訪看だ。訪問看護ステーション開設には看護師2.5人以上、すなわち常勤が2人以上という縛りがあって、それを満たさないと廃業せざるを得ないらしい。歯科医院には管理者の歯科医がいればいいだけなので、最悪歯科医一人でも良いのに対して随分厳しい。医療の安定供給の逆をいっているように感じる。
G訪看 (2021年10月~現在)
突然撤退したF訪看の代わりに、この10月から週に2日お願いすることになった訪看だ。非常に熱心で好印象なので、まめに会話をしながら良好な関係を築いていきたい。
まとめ
訪看は開設が容易なのか、雨後の筍のように新設されているように見える。開設者は熱い志を持って開設するのだろうが、そのスタッフには志が感じられない場合も少なくない。患者は意外と敏感なものだ。歯科衛生士や代診医に任せっきりにしている歯科医師と似ているのかもしれない。また、前述の<その52・リハビリ考>でも触れたように、訪看と訪問リハビリはセット、という大原則があって、自由度が効かないのは解消してほしい。
ALS患者の看護、特に私のように人工呼吸器を装着したALS患者の看護は難しいといわれている。事実、依頼に対して、病名を告げた途端に断わってきた訪看も多い。これはALS患者には意識障害がなく、意思疎通は困難だが可能であることに由来し、場合によっては看護内容を家族にチクる可能性があるからだろう。これは言葉を替えれば、「意識障害があり意思疎通が不可能な人なら看護は簡単だ」、ということで、実際にそんな状態の人は訪看を見つけるのに苦労しないという。何たることだろう。患者をヒトとして扱わずに、モノとして扱っているとしか言いようがないのではなかろうか。こちらから断った、あるいは撤退していった訪看はパソコン以外でのコミュニケーションを取ろうとする努力がゼロだった。「私たちの業務外です!」、こんなスタンスでは看護中に苦しかろうが痛かろうが何も伝えられないので、安心して身を委ねられないじゃないか!また、看護師の中には今までの過去の経験から、「ALS患者の暮らしは寝たきりなのが当たり前」、との先入観があるように感じられる。一方、生まれて初めて(当たり前か?)ALSを経験する私は、ごく普通に歯科医師として生きていきたいだけなのに、なかなか理解してもらえない。
一方で、これだけ多くの訪看を解約してきたのには、私の方にも反省点がある。私の所には介護士が看護師の15倍もの長時間入っており、コミュニケーション、痰吸引などの医療的ケア等の生活に必要なすべてを行っているので、ついつい介護士を当てにしてしまっていた。そんな環境に新規で、週に1~2時間私に接するだけではなかなか上達できないのも無理はないのかもしれない。また、新たに担当となった看護師に、ついつい慣れた看護師と同じ能力を求めてしまったような気がする。さらに看護師には「介護士と一緒にしないで」、「私は看護師」、というプライドが邪魔しているようにも感じる。プライドを尊重しながら、腹を立てないように、気長に、付き合っていきたい。
(つづく)
※本連載は歯科医向けの連載ですので専門用語を含みます。
<広歯月報No.799 令和3年12月号掲載>