広島市内で歯科医院を開業する富士見太郎さんは60代の広島弁ネイティブスピーカーです。大学の同期で東京浅草で開業するAさんから、秋の味覚としてハゼの佃煮が送られてきました。早速、富士見さんの奥さんは夕の食卓に上げます。「A君が送ってくれた佃煮はこれか?」と言いながら、口に運びます。軽い脳梗塞の既往のある富士見さんの食生活を気にする奥さんは、普段から減塩、薄味を心がけて調理しているため、富士見さんも薄味に慣れています。「あなた、どう?」。江戸前の佃煮は味が濃く感じたのか、「旨いけどムツコイね」と、富士見さん。「あなた、それはムツゴロウじゃなくてハゼよ。ムツゴロウは有明海でしょ?」・・・。

 

広島県内のみならず、中国四国地方の広い範囲で「味が濃い」「(食べ物が)脂っぽい」「胃にもたれそうな味」の意味でムツコイが使われます。関東や関西ではまず通じることはありませんので、注意が必要です。また、そこから転じて、「濃くて不快な顔」なども「あいつムツコイ顔しとる」と使われることもあります。

 

このムツコイですが、 「廣島縣方言の研究」廣島縣師範學校郷土研究室編には記載されていません。もしかすると、近年になって四国地方から海を渡ってやって来た言葉なのかもしれません。なお、広島県島嶼部の言葉と愛媛県島嶼部の言葉は似ていることが知られていますが、かつての交通手段は現在以上に船舶が使われていた点、地理的要件を考え合わせると、当然のことと言えるでしょう。また、東北地方では同じムツコイを「可哀想な」という意味で使うそうですので、東北旅行の際には注意した方がよいでしょう。

 

語源を調べてみると、古語で「不快な」を表した「ムツ」に「濃い」を合わせて成立したようです。味が「不快なほどに濃い」様子を表すのにピッタリですね。これを思うと、顔が「不快なほどに濃い」も本来の用法と言えそうです(笑)。この古語のムツですが、ムツから派生した言葉は現在でも幅を利かせています。赤ん坊の機嫌が悪い時に使う、「憤る(むずがる)」や、「難しい(むずかしい)」などです。双方とも「ツ」が「ヅ」ではなく、「ズ」に変化していますが元々は「ツ」なのです。今でも「難しい」を「ムツカシイ」と言うことはあっても、「ムスカシイ」と言うことはありませんよね。「憤」と「難」と別の漢字を当てるので、一見別の言葉と思われがちですが、漢字の訓読みの成立過程を思い出すと納得できます。

 

なお、ノドグロの愛称で知られるアカムツなどのムツ類の語源は「脂がのって食べるとムツコイ」に由来しているそうです。女性とノドグロを食べる機会に披露すると、惚れ直させることが出来るかもしれません(笑)。

 

我々歯科医師は摂食嚥下障害、味覚に関わる表現、特に広島弁はマスターしておくべきです。

 

※参考文献 「廣島縣方言の研究」廣島縣師範學校郷土研究室編

※国語学的な知識を持たない一介の歯科医の見解であり、間違っているかもしれません(笑)。

<広島市歯科医師会だよりNO.172(R3.8.13)掲載>