本稿に取り組むきっかけ
何だか後ろ向きの様に感じて「いわゆる闘病記」を残すつもり等サラサラなかったのだが、多くの同病患者が人工呼吸器装着後の生活に悲観して呼吸器の装着を拒み亡くなっている現状を憂い、本稿が現状打破の一助になればと思い、私なりの「ALS考」を綴ってみることにした。
2019年12月28日、深夜0時55分から広島テレビの「WATCH~真相に迫る~【A・L・S 恐るるに足らず~ちいとは恩返しせんと~】」と題する30分のドキュメンタリー番組が放送された。そこで、テレビ出演に際して知りえた限りを書き残しておこう。
テレビ新広島
メディア最初に私に注目してくれたのはテレビ新広島(TSS)のお天気お兄さん?(現在はオッサン(笑))の波田健一君だ。テレビに見る彼が中学高校の二つ下の後輩なのは知っていたが、ALSとの確定診断直後に近所のカレー屋で同席した際に「病気でやむを得ず閉院するんだ」と自己紹介をした。その後SNSでやり取りをするうちに波田君から「実は叔父をALSで亡くしたのでALSには特別な思い入れがあります。是非とも取材させて欲しい」と申し出があった。
同窓意識と食いしん坊という共通項、生まれも育ちも近所(三保姓も波田姓も多い地域)、そして何より彼の「ALSという病気を無くしたい」という強い思いから自然と取材というか友達付き合いというか、心打ちとける仲になっていき、私の考え方、何をしようとしているかをよく理解してくれた。カメラマンが抱える大きなカメラ以外にも彼が単身でやって来ては、家庭用と思われる小さなカメラで撮影したことも多かった。私が治験入院する三次のビハーラ花の里病院にもカメラ片手にやって来たし、私が主催し情熱を注いだオートバイレースにも取材に来てくれた。長期にわたって私の動きに呼応して2014年から2016年にかけてALS協会の学術講演会、広島モーターサイクルレース全史の出版、交通ミュージアムでの企画展示など、折に触れては頻繁にニュース番組内で扱ってくれた。一度夕方のニュース番組内で10分程度の特集もあった。
波田君的にはドキュメンタリー番組を制作したかったようだが、社内人事で報道部から事業部へ移動したらしく、立ち消えとなった。しかし、2018年6月にはテレビ新広島事業部で開講するTSS文化大学の講義に講師として呼んでくれたりと、共通の友達が多いのもあって取材がなくなった現在も良好な関係は続いている。
(※波田健一氏は現在テレビ新広島を退職しているが、友人関係は継続しています)
波田健一氏と
広島テレビの取材
私の中国新聞紙上における連載「ALSひるまず、力まず」を読んだという広島テレビの記者から取材要請がALS協会広島県支部事務局にあった。どうやら連載から私に興味を持ったようだ。電話では「ALS協会で野球観戦に行く場合には選手と親睦を図ったりするのですか?」と。「当局で選手を呼ぶことも出来ますよ」とも。「なにーっ!?新聞連載でALS協会の野球観戦に触れた甲斐があったぞ!」と心躍った。
妻が電話で取材のアポイントを取り、その日を迎えると、カメラさんと音声さんを従えてやって来た。事前取材なしでいきなりカメラを回すので家族、ヘルパー、リハビリスタッフ共々面食らった。また、こちらからYouTubeに動画を数多くアップしていること、過去にあちこちへ寄稿していることなどを伝えた。
9月7日、くだんのALS協会のカープ観戦の日が来た。ベッドから起き上がりカープのユニフォームに袖を通すところからカメラ撮影の密着取材じゃ。球場に着いてからも車椅子席の背後から絶えずカメラで追ってくるので、同行した妻、ヘルパーと共に気が抜けないぞ。球場が初めてという患者もいるのでそのお世話にも気を使うが、記者はカメラを回す。カープの敗戦もあり、ストレスはピークだ。
マツダスタジアムでの取材
2019年9月24日、18:15からのテレビ派という番組内で10分間のドキュメンタリー「難病になった歯科医・ALSと共に生きる」が放送された。会館の会長室で小1時間取材を受けたという熊谷宏広島市歯科医師会会長はオールカット。熊谷会長が私のことをどのように語るのか、ハラハラしながらも楽しみにしていたのに~。番組では人工呼吸器を装着するか否かに焦点が当てられていたが、患者によっては経済的理由、家族構成、生死感の違い等から泣く泣く装着を断念している現実があるので、患者団体の代表としてはあまり触れて欲しくはなかった。収穫といえば、MCを務める憧れの馬場のぶえアナの「三保さんの新聞連載は私も読んでます」の一言が嬉しかった。身体は動かなくとも心は男だ(笑)。
テレビ派
ドキュメンタリー番組放送
11月になると「9月の放送が局内で好評でした。年末に30分間のドキュメンタリー番組を放送したいので、●●の画像と●●の動画を提供してほしい。9月の放送では三保さんが講義している様子が取材できなかったので●●~●●の二週間の間に講義講演の予定はありませんか?」とUSBメモリと提供してほしいファイルの一覧表が来た。ちょうど山口県主催の難病研修会で講演する機会が山口市であったので取材に来てもらったが、残念ながら番組内では触れられなかった。広島市歯科医師会広報部の委員会での様子を撮影させてほしいとの依頼も来た。歯科医師会の委員会という公の場に個人の都合でカメラが入ることに気を使ったが、担当理事をはじめ、委員の先生方の協力もあり無事に取材終了し、水内理事のコメントが番組に花を添えた。
市歯広報部委員会
年末が近づくと「WATCH~真相に迫る~【A・L・S 恐るるに足らず~ちいとは恩返しせんと~】」の番組宣伝が頻繁に流れるようになった。しかも私の顔、ドアップで。友達からは「食事中に三保の顔がドアップで映るけぇ、飯粒吹き出してしもうたわい」と叱られた(笑)。大画面テレビの普及も考え物だな(笑)。
12月28日深夜0時55分から放送が始まった。この「深夜0時」という表記が曲者で、実際には日付の変わった29日の0時55分のことをテレビ的に28日深夜と表現するらしく、「28日だと思ってテレビのまえでスタンバってたのに~!」とお叱りの声もあった。ワシゃあ知らんがな(笑)。家族全員でドキドキしながら番組を待つ。おっ!瓜生賢広島市歯科医師会副会長がいきなり映る!憧れの馬場アナのナレーションだ。なんだか嬉しい(笑)。内容も9月の放送から随分グレードアップしており、私が何を考え、何に向かっているのかが伝わる様な気がする。しかし番組では記者の勘違いに起因する間違いも何点か見受けられたのは残念だった。
自宅で取材を受ける
まとめ
年が明けて1月16日のテレビ派内でも「WATCH~」のショートカット版を放送するとの知らせが来たので、テレビ欄を見ると確かに載ってる。Facebook上で告知したのもつかの間、河井克行・案里夫妻の疑惑報道が入って放送延期に。まぁ同窓の5学年先輩なのでしゃあないか(笑)。改めて1月28日のテレビ派内で導入も含めて12分少々の枠でショートカット版が放送された。間違いも修正されており、構成的にも三度目のオンエアにしてほぼ満足する仕上がりじゃ。馬場さんの「今が一番幸せと思える生き方が出来るんだと教えられた。仕事が続けられること、家族の存在が心の支えになることを教えられた」とのコメントに、思わず画面の中の馬場アナにハグしようかと心動かされた(笑)。
事前に原稿をやり取りする新聞連載と違い、テレビ放送はオンエアまで内容を知らされないのは困りものだ。私が伝えたいこととプロデューサーの意図が一致しないと、テレビという媒体に利用されるだけになる危険性を含んでいると感じる。とは言いながらも今年度のALS協会のカープ観戦で選手に会わせてくれることに期待する、現金な支部長でもある(笑)。
本誌連載⇒新聞連載⇒テレビ出演と、わらしべ長者(?)のように来たが、テレビ出演の次はどんなオファーがあるのかな?(笑)
(つづく)
※本連載は歯科医向けの連載ですので専門用語を含みます。
<広歯月報No.779 令和2年4月号掲載>