三保浩一郎・文子
広島市に住む歯科医師の三保浩一郎さん(53歳)は、43歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症、2016(平成28)年に人工呼吸器を装着しました。病気が進行する中でも視線入力のパソコンを駆使して歯科医師会の仕事をし、日本ALS協会広島県支部長を務め、趣味も楽しんでいます。妻の文子さん(50歳)は、夫のそうした活動を介護で支えてきました。
ALS患者が多様な生き方をするには社会はどうあるべきか、ご夫婦にうかがいました。
聞き手 三平泰文(広島放送局)
パソコンの文字を音声が読み会話
―きょうはご夫妻にお話をうかがいます。浩一郎さんはパソコンの視線入力でお話をしてくださいます。ふだんはこのパソコンでコミュニケーションを取ってるんですね。
文子 はい。テレビを見ながらとか、人が話をしているときも自分のうんちくを話し出します (笑)。
浩一郎 そうかな。
―今、症状はどんな感じですか。
浩一郎 人工呼吸器を装着して自宅で暮らしています。食事は胃ろうから摂取しています。
文子 飲み込む筋肉が衰えてくると食べ物を胃に落とすことができなくなるので、胃に穴を開けて胃ろうを造設し、そこから液体の注入食を入れています。味覚はあるので、のどの方に落ちないようにしてコーヒー味のあめや味の濃いスープなどを口に入れてあげると、おいしいって言ってくれますね。
―介護はどのように行っているんですか。
文子 発症後三年ほどは私一人で手探りで介護をしていました。今はヘルパーさんと一緒に在宅で介護しています。在宅を選んだのは、主人の要望を私が聞いてヘルパーさんと共有することで、よりよい介護ができると考えたからです。主人の声をいちばん近くで聞いている人間が関わらないと、介護の問題点が分からないと思ったんですね。
―発症を自覚されたのはどんなことから。
文子 家族で海水浴に行ったとき、「体が思うように動かない」と主人が言ったのが最初でした。娘と「運動不足じゃない」って言って気にしてなかったんですけど、そのうち自転車で転んでけがをしました。整形外科で頸椎症と診断されて手術をしましたが、術後、様子がおかしいと神経内科を紹介され、ALSだと診断されました。
―浩一郎さんはどんなお気持ちでしたか。
浩一郎 それまでも足が突っ張って、よくつまずいていました。自己診断でALSかもしれないと予測していたので、やっぱりか、とれからどうしようと思いました。真っ先に頭に浮かんだのは仕事のこと、診療所のことです。それに、どうやって家族を養おうか、収入手段を確保しなければ、と頭がいっぱいになりました。死ぬことや人工呼吸器のことは、頭に浮かびませんでしたね。
<NHKラジオ深夜便 2021年5月号掲載>