本稿に取り組むきっかけ
何だか後ろ向きの様に感じて「いわゆる闘病記」を残すつもり等サラサラなかったのだが、多くの同病患者が人工呼吸器装着後の生活に悲観して呼吸器の装着を拒み亡くなっている現状を憂い、本稿が現状打破の一助になればと思い、私なりの「ALS考」を視線入力パソコンを用いて綴ってみることにした。
透明文字盤との出会い
何らかの理由で声を失った者はコミュニケーション方法として手話や筆談を使うのが一般的なのだが、舌が動かないことによる構音障害、気管切開などにより声を失ったALS患者は大抵の場合、上肢にも障害を抱えているため手話や筆談は使えない。一方、視力と眼球の動き、まばたきをする筋力は最後まで確保されるといわれており、そういった病気の性質、いや残された機能を使った、コミュニケーションツールとして最も原始的かつポピュラーなモノが「透明文字盤」であり、最先端のモノが私が本稿をしたためる「視線入力パソコン」だ。東京都知事時代の猪瀬直樹氏に5000万円の現金を贈ったの、贈らなかったので世間を賑わした、同じ病気の徳洲会の徳田虎雄氏が事情聴取の際に使用していたことで、ご記憶の方もあろう。私の場合、病状の進行に伴ってろれつが回らくなってきた私を見かねて、訪問作業療法士が提案したのが最初の出会いであったが、何事に対しても心配性の私は当然のように下調べを済ませており、戸惑うことはなかった。
透明文字盤で会話をする徳田虎雄氏
透明文字盤の使い方
「透明文字盤を使ったコミュニケーション」とは、
①読み手が両腕を伸ばして「透明文字盤」を両手で持ち、発言者の視線が読み取りやすい位置に正対して「透明文字盤」をかざす。
②発言者は透明文字盤中の発言したい文字を注視する。
③読み手は発言者の目を見ながら透明文字盤を動かして、発言者と目の合う位置にもってくる。(ここまでの動作では読み手から見た透明文字盤の文字はピンボケでよい)
④読み手は目がしっかり合ったのを確認したのちにピントを透明文字盤にもってゆき、その文字を声に出して読む。
⑤文字が合っていれば発言者はまばたきで知らせる。
文字にすると分かりにくいことはなはだしいが、発言者読み手、ともに透明文字盤に慣れた者同士だと、一秒に一文字程度の文字を伝えることができるのでかなり実用になる。
透明文字盤の欠点
「透明文字盤」の文字配列には大きく分けて二種類あり、一つは平仮名五十音表に準拠したタイプ。もう一つは「あかさたな」の行ごとにひと塊を形成し、上下左右にそれぞれの「段」を配置したタイプだ。後者はちょうどスマートフォンで文字を入力するのをイメージしていただくと分かりやすい。
それぞれに長所短所があり、五十音表のタイプは伝えたい文字に一直線なので、読み手が慣れた者だと素早く言葉が伝えられる代わりに、目と目を合わることにある程度の訓練を必要とする。スマートフォンのタイプは伝えたい文字にたどり着くのに2アクションを要するので、その分だけ手間が増える代わりに、目と目をあまり合わせることのできない読み手でも、何とか伝えたい文字にたどり着くことができる。
スマホタイプの透明文字盤
また、どちらのタイプにも共通する欠点として、読み手が前の文字を忘れていくことがあげられる。「そんなの嘘だろ?」とお感じの方もあろうが、文字を読み取ることに集中するあまり、長文になればなる程、前の文字を忘れてしまうことはよくあり、この問題点を解決しようと2016年、「デジタル透明文字盤OriHime eye(オリヒメ アイ)」が発売された。福祉機器の展示会で経験した OriHime eye はその点、実によく考えられており、読み手は読み取った文字を指でタッチするだけでスマートフォンなどに飛ばすことが出来るので、前の文字に気を取られることなく、文字の読み取りに集中できる点が画期的に感じられた。
お気づきだと思うが、透明文字盤はトレーニングを受けた者同士でしかコミュニケーションが取れないため、第三者から見ると「まるで手品」のように感じられることがあり、「本当に本人が発言しているのか?」「読み手が創作した発言ではないのか?」と、まるでドミニカカープアカデミー出身のバティスタ選手とその通訳のような(笑)誤解を与えるようである。この点は徳田虎雄氏の事情聴取の際もかなりシビアにクローズアップされて報道されていたと記憶している。
透明文字盤を使ってみて
上手くコミュニケーションを取るための勘どころとしては、読み手は発言者としっかり目が合うまで決して透明文字盤の文字を目で追わないことだろう。私の経験では、上手く文字を特定できない読み手は必ずと言ってよいほど、「何とか注視している文字を読まなくては」との思いが強いのか、目と目を合わせるよりも先に私が注視している文字を予測して、そっちの文字に目が行ってしまう。これでは文字盤上の大体の位置は特定できても正確に文字を追うことは出来ない。「しっかりと目と目が合う」それから「文字に目をやる」のが肝要だ。ご想像つくだろうがアクリル板越しとはいえ、きれいな女性の瞳を「ガン見」してもセクハラとして訴えられることがないのも男性として有難い。
透明文字盤を使い「よ」を伝える私
透明文字盤は大抵の場合ユーザーの手によって手作りされている。長持ちするしっかりしたものを作りたければ、ホームセンター等で売られている厚手の透明アクリル板を使えば良いし、最も簡便に作りたければ100円ショップで大きめのクリアケースを買い求め、油性マジックで文字盤を書けば出来上がりだ。この様に簡便に入手できる点も透明文字盤の魅力だ。
「透明文字盤を使ったコミュニケーション」はそう難しいものではないので、ALS患者や近似病名患者に携わるすべての医療従事者はゆっくりでよいのでチャレンジして頂けるとありがたい。
<広歯月報No.748 平成29年9月号掲載>