「ザ・プラクティクス シーズン2」も後半。
”episode 13 全面対決”は、法廷場面がほとんど。
相手の戦略の裏をかいたり、かかれたりと裁判は戦略とその為の駆け引きが大事だと改めて感じるのと同時に、無罪を主張する被告側の家族の苦悩も表現されている。
日本の法廷ドラマとは、こういった面が違うなと感じさせられる。
そこには、アメリカと日本との裁判制度の違いがあるからだと思うが。
判決は、被告側が有罪という結果になるが、最後のカメラワークである人物がアップになり、その人物の表情からは、真犯人は他にいると言うのではないかと想像をさせられた。
日本の法廷ドラマでは、犯罪者は必ずと言っていいほど、制裁を受ける事がほとんど。
だが、このドラマを見ていると、必ずしもそうではない。
そこには、法律をいかに使うかによって、その結果の違いが明確に示されている気がする。
”episode 14 証言台”は、証人として証言する事の重要性と怖さが表現されていると思う。
自分の証言によって、人一人の人生を狂わしてしまう。
特に物的証拠などなく、証人の証言だけが犯人確定の決め手になるとしたら、これほど、怖い事はないと思う。
どんなに証言に自信があろうとも、被告人の弁護士から執拗以上の質問攻めにあえば、精神的も負担となり、自信も揺らぎかなかねない。
もちろん、そこが質問す側の狙いなのだが。
”episode 15 寡黙な殺人者”は、以前にも殺人容疑で逮捕されながら、免責特権で難を逃れた人物が、同じような殺人を再度逮捕。
それ以外にも二つの訴訟が並行進行。
このドラマを見ていると、ほとんどが2~3個の訴訟が並行進行している。
現実は、もっと多いだろうが、ドラマと言う性質上これ以上増やすのは難しいとは思うが、日本の法廷ドラマは、ほとんどが1つしか進行していない。
それは、メインの人物にしか焦点を当てていないドラマ進行だからではないかと思う。
なぜ、もっと複数の人物に焦点を当てたドラマ進行をしないのだろうか不思議になってしまう。
と言うよりも、それが出来る脚本家がいないだとうか。
他の二つの訴訟の一つは、タバコ会社への訴えに対して、そこの会社の顧問弁護士である恩師の弁護士との対立により、恩師からみそこなった残念だと言われる場面がある。
会社を守る立場とタバコによる被害を訴える立場。
弁護士としては、どちらも正当な仕事。
どちらが正しいとか間違いとかなどとは言えない。
だからこそ、自分の考えをしっかりと持たなくては、必ずぶれてしまう。
これは、どんな仕事にも言える事ではないかと思う。
世の中には、白黒つけられない場面がたくさん巡ってくる。
だからこそ、自分の考えを信じ、決断を下さなくてはならない。
そうでなくては、周りに流され、気が付いた時には自分を見失う結果になるのではないかと思う。
そして、もう一つは、ひったくりの犯罪により、一度は刑が下ったにも関わらず、別の法律を用いて再逮捕された人物の弁護。
同じ犯罪にも関わらず、政治的関与により、重い刑に。
日本では、きっとあり得ない事だろうが、判事が偏った考えを持っているとどうなるかという怖さが表れていると思う。
判事と言えば、このドラマでは、判事の性格もいろいろと表現されていて面白い。
判事の個性もこのドラマには欠かせない要素の一つなのだろう。
”episode 16 チェックメイト”は、”episode 15”で殺人容疑で捕まった人物の裁判。
被告人が、弁護士を付けずに自分で弁護をするというちょっと変わった裁判。
変わっているが、感情に訴え、論理的にも訴えると言う巧みさを持っている。
そして、無罪を勝ち取ると言う怖さも持っている。
現実的にはあり得ないだろうが、頭が良い被告人が自分自身で弁護すると、柔軟に対応し、話を創り、弁護が出来ると言う可能性を示しているのではないかと思う。