1964年(第一期)からホンダのF-1参戦が始まった。
常々、日本基準ではなく、世界基準に目を向けていた宗一郎氏らいいと思う。
F-1で勝つと言う事は、世界が認める技術を持っている事の証明にもなる。
優勝すると言う事は、レースを完走すると言う事であり、それは、優秀な技術と壊れない車と言う事に他ならない。
宗一郎氏の「安全」に対してのビジョンは「ちょと道路を走らせて安全だ。などと言うのはおかしい。レースのおかげで、打ちはものすごい色々と教わった。それも、一年や二年じゃあ、効果は上がらねぇ。レースにレースを重ねて、だんだん積み重なっていったんだ。」と言う。
この時代に、こんな基準を持っているとはすごいの一言。
さらに「時速300キロで走っても安全で壊れねぇ車作りを目指せば、量産車でもお客さんに安全なものを提供出来るだろうが。」とも言っている。
これも、安全で故障のない車をお客様に届けたいと言う、お客様重視の考えに基づいてだろうし、F-1に参加して優勝する事は、世界に知名度を広げるとともに、世界基準を目指していた宗一郎氏らしい行動だと思う。
ホンダが1984年から第二期F-1に参戦すると、1988年にはマクラーレン・ホンダとして、開幕から8連勝を含む15勝をあげた。
ホンダの一人勝ちと言う状態を変える為に89年から、ターボエンジン禁止にレギュレーションが変更になった。
この時のレーシングチームの監督が宗一郎に直訴しにいったら、宗一郎氏は、こともなげに「馬鹿な奴らだ。ホンダだけに規制するのなら賢いが、すべて同じ条件ならホンダが一番速くて、一番いいエンジンを作るのにな。で、なんだ話ってのは?」と言っただけだった。
これを聞いた監督は、すっかり嬉しくなって「いいです。なんでもありません」と何も告げずに引き返してきたと言う。
この会話には、宗一郎氏の気持ちがいい性格が表れていると思う。
短い会話だが、宗一郎氏がチーム全員の事を信じ、必ず出来る事を信じている事が伺える。
この期待に対して、レギュレーションの変更後もホンダは1991年まで快進撃を続けた。
レギュレーション変更にも関わらず、ホンダの快進撃は止まらなかったが、勝つ事が当たり前になり「マンネリ化」をする事で、優勝する感動が薄れ、負ける事を恐れるあまり、新しい事にチャレンジするしなくなったチームの雰囲気を察知した宗一郎氏は、役員に「おめぇ、いつやめるんだ?」と言う。
新しい事にチャレンジしないと言う事に対して、宗一郎氏は「それでは、F-1をやる意味がないじゃないか。買った技術を単に磨いているだけで、新しい技術を生もうとしていない」と言った。
これは、常に新しい事へチャレンジし続けた宗一郎氏のらしい言葉だと思う。
また、本来F-1は欧州の伝統的なモータースポーツでありながら、日本のマシンが勝ち続けると言う事は、欧州の国々のファンの気持ちを冷静に読み取っての事だったようだ。
これは、今の相撲界と同じ状態なのかもしれない。
差別をするつもりはないが、やっぱり、国技である以上日本人に勝って欲しいと言う気持ちは、少なからずファンの中にはあるはずである。
1964年からのF-1参戦は、宗一郎氏の新し事にチャレンジし続けるチャレンジ精神が、周りの人達に伝わり、お互いに引き上げた結果が、第二期の常勝のホンダを創り出したんだと思う。
モータースポーツは、チーム全体で頑張らないと絶対に勝てない。
1+1が2では、完走は出来るかもしれないが、優勝する事は出来ないと思う。
1+1が5だったり10だったりしないと優勝する事は出来ないと思う。
その為には、お互いが協力し合って、お互いに刺激を与えあって、成長する事で新しいモノが得られるのだと思う。