アカデミーにて、承認の講義を受けた。
その中で究極の存在承認とは、”名前を呼ばれる事”だと言う。
日本には言霊と言う言葉があるが、まさにこの事を言っていると思う。
普通の人は、あまり経験がない事だと思うが、自分は小学校から中学校を卒業するまで、戸籍に書かれている名前とは違う名前を使っていた。
(その間、親の離婚・再婚などがあり、名前だけでなく、名字すら違う状況)
それ故、小・中学校の卒業アルバムには自分の名前はない。
(中学校を卒業をすると同時に戸籍と同じ名前に戻しましたが)
その事が関係してか、名前には執着をしないどころか、人の呼び方に過ぎないと思っていた。
だが、今回の講義を聴いて、改めて考えさせられた。
確かに名前が違う時は、自分が存在しているようで、存在していない感覚が今でも残っている。
この感覚は、本人でないと判らないだろが、違う時間の流れがその時は流れていた感じがする。
小学校6年生頃に親が離婚、その時に自分を否定をするのではなく、自分であって自分ではない存在をもう一人感じるようにしてきた。
自分は幼稚園から中学校を卒業するまで、いじめ、親の離婚・再婚を経験してきている。
この事も関係しているのだろうが、自分の存在、今までそれを自分は感じてこないようにしてきたような気がする。
自分の存在を承認し、認め、必要としてくれる人が居る事が、どれほど大切で自分の心に栄養を与えてくれる事を今までの仕事、インターネットで知り合った友達、コーチングアカデミーの仲間を通して実感する。
これは、自分の子供の頃の経験があるからこそ、実感するのかもしれない。