7月が終わろうとしている。
この記事はJFE東日本が都市対抗で優勝して7/31に記事を上げようと思っていて、気付いたら7/31になっていて、0:20にTwitterで呟くタイミングすら逃していて、そして20:00には間に合わせようと思い急遽書き上げたものです。(記事のタイトルをどうしようと思い、そしてこれに決めた時は感慨深いものがありました。)
前置きが長くなりましたが、JFE東日本 公式野球部様、都市対抗優勝おめでとうございます。
そして須田幸太様、都市対抗優勝、橋戸賞授賞、そしてお誕生日おめでとうございます。
まさかまさかの連続で、都市対抗での優勝は願いつつも、想像もしていませんでした。
自分は横浜在住のため犬成球場は遠く、JFE東日本の野球を観られたのは南関東第一代表決定戦から都市対抗決勝までの7試合でしたが、この記事はその7試合の間で感じたことや想いをまとめたものになります。(なので自身のTwitterを見返し、当時のことを思い出し熱くなることもありながら、基本は冷静になって書いてます。それと以下ほぼ敬称略です。)
時は遡ること6/7(金)、JFE東日本が本戦に進めるかどうか気になって仕方なかった中、その日のHONDAとの第一代表決定戦が雨天中止となり翌日の8日(土)への順延が決まる。
そして6/8は横浜VS西武のチケットを当たり前に取っていたので、自分に与えられた選択肢は2つ、
①午前中にZOZOマリン、その後にハマスタというハシゴをする。
②ZOZOマリン一本に絞り、ハマスタのチケットは誰かに譲る。
でした。
そこで私は②を選び、急遽代わりにハマスタに行っていただける方を探す。
その募集を興奮の中、電車の中でしたことを覚えています。
そしてなんとか引き取り先が見つかり、翌朝自分はZOZOマリンへ。
社会人野球は去年の都市対抗本戦が初めての観戦で、チーム券なんてものは知らず、列に流されるままチーム券を受け取り入場し、観戦をしました。
試合は初回からスコアが動きJFE東日本が3点を先制し試合を優位に進めるものの、HONDAも3番佐藤(佐藤真一さんの息子さんだったんですね。)の2打席連続HRもあり5回終了時点で6-3、そして6回からまさかの須田登板。(4イニングはさすがにないだろうと思ってました。)
ランナーは出すものの抑えていき、この試合2HRの佐藤との対決は燃えました。(粘られつつも最後は空振り三振。この日は制球は良かったものの、球速が出ているわけでもなくランナーも出してたので、正直不安でした。)
9回表には平山快にHRが出て7-3で迎えた9回裏、4イニング目の疲れから高めの球を打たれて一死二三塁のピンチ。
内野ゴロで1点を失うものの次の打者をセカンドゴロに打ち取り試合終了。
これでJFE東日本の南関東第一代表として本戦への出場が決まる。
そして試合終了とともにまさかの須田さん大号泣。
つられて自分も大号泣。(この日は試合開始前から事あるごとに目がウルっとしてましたが、最後に涙腺が大爆発しました。)
そりゃそうだよね。
このためにJFE東日本に帰ってきて、この日も4イニング投げたんだもん。
まさに「帰ってきた救世主」ですよ。
ただ泣いたあとはやんちゃというか茶目っ気たっぷりな須田さんでした。(試合後には写真を撮ってもらったり。)
その1週間後には組み合わせ抽選会があり、初戦の相手がまさかの…
「昨年の覇者 大阪ガス」、
そして補強選手にまさかの…
「松本啓二朗」
という展開で、これには笑うしかありませんでした。
その時に思ったこととしては「初戦からキツい試合になるだろうけど大阪ガスはいつかは倒すべき相手だし仕方ない。補強選手については投手の補強はわかる。ただ外野手、しかも啓二朗も補強するとはねぇ。」って感じでしたね。
そして細山田がいるトヨタは逆の山で、この時は「まぁさすがに(JFE東日本の)優勝はないだろうなぁ。トヨタとは決勝で当たるようなことがあればなぁ。」って冗談まじりで思うくらいでした。
ただこれで試合日程は確定したので、この時点で速攻で決勝まで観に行けるようにスケジュールを調整。
その後は2人の古巣である横浜との練習試合。(この日が自分にとって最初で最後の長浦でした。)
須田さんは残ったファン全員に対応し、車で帰路へ。(啓二朗はバスで帰路へ)
そうして1月が経ち、都市対抗本戦を迎える。
続く…






