NHK朝ドラ「ブギウギ」主人公の弟の六郎は、どこの戦地へ?
無視される日中戦争。
弟の六郎は、番組によると、1939年秋に赤紙をもらい、戦地へと向かった。
しかし、どこへ行ったのかは、何ら放送されなかった。
なぜ?
視聴者の皆さんは、たぶん、
太平洋戦争に行ったと思い込んでいるのではないでしょうか。
しかし、太平洋戦争(対米英戦)は、1941年12月8日に始まるのであって、このドラマの時点(1939年)では、まだ太平洋戦争をしていません。
六郎は、中国へ行ったのです。
というのも、日本は、1937年7月から、中国へ出兵したのですから。
そして、日中全面戦争が行われていたのですから。
六郎が中国へ行ったであろう1939年、日本は、中国に100万人ほどの兵士を送り込んでいました。
100万人ですよ。
驚くべきことです。
そして、中国の大都市、中都市、小都市を、占領支配していたのです。
占領して、中国の鉱産資源、農産物、労働力を収奪していたのです。
日本兵は、中国で、とてもヒドイことをしたのです。
しかし、ほとんどの日本人は知りません。
とにかく、
六郎は、中国への出兵兵士100万人の1人となったのでしょう。
このことは、明日、2023年12月4日からの放送でわかるのでしょうか。
最後にひとつ付け加えておけば、 日本人は、
日中戦争•太平洋戦争で310万人死んだ(アメリカ・日本に殺された)と言われています.
では、中国人(兵士•民衆)は、日本軍に何人殺されたか知っていますか。
1000万人以上です。
このことを知っている日本人は、少ないでしょう。
ほとんどテレビで報道しませんから。
私たちは、歴史的事実を知るべきです。
歴史的事実を知った上で、また、同じような国家に、これからの日本が、なっていって良いのかどうか、深く考えるべきです。
実は、私の父も、六郎とおなじく、1939年に、赤紙が来たのです。
私の父は、六郎と同い年だったのです。
私の父は、1940年1月10日(20才の時)に陸軍歩兵として入営し、1月13日に大阪港を出発して中国へ向かったのです。そして、5年8ヶ月も中国大陸で戦争をしていました。その後シベリア抑留2年、日本に帰ってきたのは、28歳になる頃でした。不幸なことです。
彼の青春は、大日本帝国によって奪われたのです。
明日からのブギウギで、
六郎のことをどのように描くのか、じっくりと見たいと思います。
大日本帝国によって、命を奪われるのでしょうか。