NHKあさイチに力士や元力士の方々が出ていました。ゲストに向けての質問、コメントの中に「外国人力士のみなさんは大変きれいな日本語をお使いで…」とありまして、まぁたびたび言われることですよねこれ。今の日本の若者よりもずっときれいだ、と。今まで特に気にもしていなかったんですけれど、なんとなく考えてみると、それって割と当たり前なんじゃないでしょうか?
どうして日本人の若者がきれいな日本語を使えない、使わないのか、といえば、大人への反抗、またほぼ同じ意味ではありますが、仲間意識を高めるため、ですよね。独特の言葉遣いをし、新たな言葉を生み出すことでその目的を果たしている。
かたや外国人力士の方々はそういう若者期間を少なくとも日本語では過ごしていません。あくまで仕事道具として学んだ。その方法は国語の教科書であったりそれに準ずるものであるようです。もちろん彼らは日本語を習得するのにとてつもない努力をしているはずです。それは間違いない。けれど、日本語がうまくなるかどうか、はさておき、覚える日本語がいわゆるきれいな日本語であることは当然でしょう。相撲という国技に日本の理想を追い求めるのは結構ですが、言葉に関しては事情は異なるんではないでしょうか。
論点が多少ずれますが、よく言われるように若者個人にはとどまらず、それぞれの世代の特徴として大きなうねりとなり言葉は世代ごとに変化していきます。彼らにとっては自分たちが生み出した言葉が、きれいな言葉になります。その違いが5年ごとなのか、10年ごとなのかは分かりません。一方で国語の教科書に載っているような「きれいな日本語」はおそらく長く変わっていません。だから、若者の言葉は「きれいな日本語」ではなく、教科書で学ぶ力士の言葉はきれいなのでしょう。
さてでは大人になってから英語を学んだ日本人たちの日本語はどうか?私はほぼ英語を話せないので何とも言いかねます。大学時代に友人作りや世界を広げることを目的に現地に向かい、溶け込むことを目指した人は、きっと俗語を好んでつかうでしょう。でも、仕事をしていこうと英語を学んだ人はやはりきれいな英語をしゃべるんじゃないですかね。