先週の秋雨前線の影響なのか、一昨日の夜から気温がグッと低くなった。さすがに短パンを履いてる訳にもいかず昨日からは事務所に居る時でさえG-パンを履いている。リビングに置いている液晶画面のついたアレクサ、確か昨日の朝が13度で今朝は14度だった。なんだかこう移ろうとか耳にしておっとりできるような言葉などでは表現できない・・・そう、動いた!季節が動いたと言う感じがしっくりとくる秋の始まりである。
ただ酷暑に幕を閉じさせてくれた秋雨は誠にむごい惨状を目の当たりとさせる。何も元旦に地形が4.5mも隆起して変わってしまうほどの地震で被害を与えた北陸能登にあんな事をしなくてもいいのではないだろうか。濁流となって町を襲った水害は多くの命を奪ってしまったばかりか復興を目指した住民の多くに「とどめ」を刺した形となった。家族思いの中学生は未だに見つかっていないし、仮設住宅さえも泥まみれとした。被害に遭われた皆様、心よりお見舞い申し上げます。
踏んだり蹴ったり、泣きっ面にハチ、弱り目に祟り目、傷口に塩を塗るなど こんな惨状を比喩することわざはいくつもあるのは 古人より多くの自然災害に遭遇してきた日本の地形や環境によるところだと思う。報道番組で「地震の時は涙も流れたが 今回は流石に涙も流れない。なんだかとどめを刺されたって感じかね~」なんて表情を変えずに被災された多くの方がお話をされていたせいか「とどめを刺された」と言う言い方が文字通りひどく胸に刺さる。わずか一年も経過しない時の流れの中で複数に渉る災害は集団移住さえも考慮されていると言う。心情を察するに余りない。
中学の時に誰もが習うメソポタミア文明。あれはチグリスユーフラテス川の氾濫から栄えた文明だったと思う。他にも中国、エジプト、インダスといずれも大河がもたらす災害を乗り越え栄えたモノだったと思うが、地震によって緩んだ地盤に気候変動によるものが大きいだろう線状降水帯による水害となると少々意味合いが変わってくる。ただ、疑問を感じたのが仮設住宅の建設地である。いずれも大きく川がうねった平地に建設されていたが、素人目からも「やばいだろ、そこは」って地形に感じる。当然、報道番組でも同じような事を思うようで自治体に仮設住宅を準備した経緯を聞いてみていた。「建設に適した平坦で十分な面積を確保するにはあの場所しかなかった」と言う説明である。その判断が涙も出ないと住民が嘆く要因となった。それでも自治体を責める訳にもいかないだろう。一日も早い仮設住宅を求められ落ち着いて生活をしてもらおうと急いだ結果である。ただなんとも皮肉な話ではないだろうか。
まさかそんな事態にまで進行しているなど露にも思わない僕は なんと暢気な事だろう、土曜の夜に兄夫婦を交えて母の米寿の祝いを行った。古人の知恵は感嘆する。八十八だから米寿、なるほど米の字を三つに分ければ八の字が逆さまでその下に十の字が置かれる。下には当たり前のように八の字が並ぶ。これで米寿の完成である。黄色いちゃんちゃんこを料亭の女将に着せられ写真を撮っている時に「次は白いちゃんちゃんこで是非お越しください」と勧められ、あ~ぁ次は白いちゃんちゃんこでお祝いするのかと知った。なんでも百の字に一本足りない(一番上にひかれた横棒を取れば白の字になる)から白寿だそうだ。謂れなど気にしたこともなかった僕(能天気なもんで)は へ~、うまい事行ったもんだねと感心しきり。ただ周りからは「知らなかったの?」とあきれられていた。
古人は誠に粋で洒落ぉつな言葉を残している。知恵からくる産物である。出来るものなら二度も被災された方々のために希望を持てるような知恵はないものだろうか・・・