第1夜 「オニチャ」 ル・クレジオ 新潮社
アフリカの人っていうのは、土を食べたりするんだろうか?
なんだか偏見に満ち満ちているけれど、あの瓢箪の底のようなものに入れてみんなして飲んでいる茶色い液体はやっぱり土にみえる。
土、というよりむしろ泥。もし、身体に泥みたいなものを入れて泥みたいなものを出しているのだとしたらすごく合理的な印象がある。 そうでもないか。
でも後できいてみたらあれは泥ではなくて蜂蜜のようなものでつくったビールのようなもの、らしい。さすがに泥ではない。
何の話かって? アフリカの話。アフリカのトーゴという国のしかも山奥にあるクラングー村というところでTATA、つまりその村の言語でいうところの「家」をつくるという映画をみてきたのでした。 その題も「TATA」。 それもただ家をつくるというのではなくて、そこをたまたま訪れたフランス人の女性写真家のために村人総出で作っているらしい。
なんでも、村の長老がそのリュシルという写真家を見た瞬間に「この者は我々の祖先の生まれかわりである」と直観し、そして長老の鶴の一声でリュシルのための家づくりがはじまったらしい。 ほんとかいな。
手毬サイズくらいの土饅頭を積み上げて、それが段々壁になり、そして家になっていく。だがそれが普通の家ではない。全体的に丸みを帯びていて、部屋があってテラスがあって。。。と、そんなにスゴク変というわけではないのだが、家のパーツのひとつひとつに意味があり、つまり、単なる突起や窪みにみえるようなものでも、それは家のペニスだったり子宮だったり胃だったり眼だったりするらしい。ちゃんと口から入ってお尻から出られるようになっているのだろうか、と、いった疑問が湧いたりもする。
上映会の後、そのリュシル本人との質疑応答がありその後夕食会ということになった。 映画を見ているあいだもずっとそう思っていたけれど、すごく美人だ。足細いし。 映画のどの場面でも、やたら目立っている。それは茶色のなかに白があってコントラストをなしているから、とか以上に、美人なもんで目だっていたという点が大きいんじゃないかと思った。「この者は我々の祖先の生まれかわりだ」という長老のお言葉ではあるけれど、ほんとかいな、とますます思った。私もほしいよ、こんな美人な祖先。
夕食会は、キャンパス内のお決まりのフレンチレストランだった。アントレからはじまり、お魚、パン、デザート、コーヒー。簡単なコースではあったけれど、アフリカをみてきたのと同じ眼が東京に来ているというのはさぞかし眩暈だろうなあ、と思った。
と、話が最初からズレタところで、オニチャの話。 オニチャというのはナイジェリアの地名で、そこが物語の舞台になっている。作者のル・クレジオという人はフランス人だが幼少時代をそこで過ごしたらしい。だから物語は自伝的要素がわりと強いらしいが、なにしろ描写が美しいのでそれは別にどっちでもいい。まあいいことないだろうけれど。
「スラバヤ号は避難所であり、島であった。船室というかくれ場、むっとする蒸し暑さと暗闇、通路の端のシャワー室での水音。窓はなかった。海上の日々の後のアフリカには、心臓を早鐘のように打たせるものがあった」
「マウは闇の中で眼を開いた。夜の物音、木組みの軋み、トタン屋根に埃を叩きつける風の音を聞いていた。風は砂漠から吹いてきて、顔をほてらせた。部屋の内部は赤かった。マウはチュール布の蚊帳を遠ざけた。板壁はプンカーランプに照らされ、まるい火影が映り、そのまわりにアガマトカゲが集まっていた」
「知は窮りない。河は、同じ岸と岸の間を流れ続けることをやめたことはない。その水は同じ水である。今、ジョフロワはその眼を以って、河が流れ下るのを眺め、人間の血を交えた沈痛な水、大地を切り裂き、森を呑みこむ河を見つめる」
見たのかもしれない、そうでないかもしれない。でもそんなことは問題にならないくらい、魔力がある文体だ。
「私も、小さい頃はアフリカに住んでいたの」
そうか。
「18までアフリカにいて、それから自分で旅行をはじめたの」
リュシルさん、そんなに白いのに?
「生まれてはじめて自分で買った切符がマリへの切符だったわ」
マリってどこだ??
「それくらい、ほんとうに美しいところなの」
アフリカだろうか。
「一度行ってみるべき場所よ」
でもどこかわからない。
「夜は気をつけてね。うっかり散歩なんかに出るとジープに潰されてミンチになっちゃうから」
だが気をつける以前にどこの話なのかわからない。
頭のなかで、象の首みたいなアフリカ大陸が伸びたり縮んだりする。陽炎が立っていて、茶色いものがもこもこと地面から生えている。河が流れていて、駱駝とかインパラとかが行ったり来たりしている。
偏見だろうか?
行きたいなあ、アフリカ。
日本に家つくってあげるから連れてってください、て気分にすごくなった。タタミでつくるとか。
タタミの「TATA」。
まあ祖先になって下さいとは頼めないけれど。
なんだか偏見に満ち満ちているけれど、あの瓢箪の底のようなものに入れてみんなして飲んでいる茶色い液体はやっぱり土にみえる。
土、というよりむしろ泥。もし、身体に泥みたいなものを入れて泥みたいなものを出しているのだとしたらすごく合理的な印象がある。 そうでもないか。
でも後できいてみたらあれは泥ではなくて蜂蜜のようなものでつくったビールのようなもの、らしい。さすがに泥ではない。
何の話かって? アフリカの話。アフリカのトーゴという国のしかも山奥にあるクラングー村というところでTATA、つまりその村の言語でいうところの「家」をつくるという映画をみてきたのでした。 その題も「TATA」。 それもただ家をつくるというのではなくて、そこをたまたま訪れたフランス人の女性写真家のために村人総出で作っているらしい。
なんでも、村の長老がそのリュシルという写真家を見た瞬間に「この者は我々の祖先の生まれかわりである」と直観し、そして長老の鶴の一声でリュシルのための家づくりがはじまったらしい。 ほんとかいな。
手毬サイズくらいの土饅頭を積み上げて、それが段々壁になり、そして家になっていく。だがそれが普通の家ではない。全体的に丸みを帯びていて、部屋があってテラスがあって。。。と、そんなにスゴク変というわけではないのだが、家のパーツのひとつひとつに意味があり、つまり、単なる突起や窪みにみえるようなものでも、それは家のペニスだったり子宮だったり胃だったり眼だったりするらしい。ちゃんと口から入ってお尻から出られるようになっているのだろうか、と、いった疑問が湧いたりもする。
上映会の後、そのリュシル本人との質疑応答がありその後夕食会ということになった。 映画を見ているあいだもずっとそう思っていたけれど、すごく美人だ。足細いし。 映画のどの場面でも、やたら目立っている。それは茶色のなかに白があってコントラストをなしているから、とか以上に、美人なもんで目だっていたという点が大きいんじゃないかと思った。「この者は我々の祖先の生まれかわりだ」という長老のお言葉ではあるけれど、ほんとかいな、とますます思った。私もほしいよ、こんな美人な祖先。
夕食会は、キャンパス内のお決まりのフレンチレストランだった。アントレからはじまり、お魚、パン、デザート、コーヒー。簡単なコースではあったけれど、アフリカをみてきたのと同じ眼が東京に来ているというのはさぞかし眩暈だろうなあ、と思った。
と、話が最初からズレタところで、オニチャの話。 オニチャというのはナイジェリアの地名で、そこが物語の舞台になっている。作者のル・クレジオという人はフランス人だが幼少時代をそこで過ごしたらしい。だから物語は自伝的要素がわりと強いらしいが、なにしろ描写が美しいのでそれは別にどっちでもいい。まあいいことないだろうけれど。
「スラバヤ号は避難所であり、島であった。船室というかくれ場、むっとする蒸し暑さと暗闇、通路の端のシャワー室での水音。窓はなかった。海上の日々の後のアフリカには、心臓を早鐘のように打たせるものがあった」
「マウは闇の中で眼を開いた。夜の物音、木組みの軋み、トタン屋根に埃を叩きつける風の音を聞いていた。風は砂漠から吹いてきて、顔をほてらせた。部屋の内部は赤かった。マウはチュール布の蚊帳を遠ざけた。板壁はプンカーランプに照らされ、まるい火影が映り、そのまわりにアガマトカゲが集まっていた」
「知は窮りない。河は、同じ岸と岸の間を流れ続けることをやめたことはない。その水は同じ水である。今、ジョフロワはその眼を以って、河が流れ下るのを眺め、人間の血を交えた沈痛な水、大地を切り裂き、森を呑みこむ河を見つめる」
見たのかもしれない、そうでないかもしれない。でもそんなことは問題にならないくらい、魔力がある文体だ。
「私も、小さい頃はアフリカに住んでいたの」
そうか。
「18までアフリカにいて、それから自分で旅行をはじめたの」
リュシルさん、そんなに白いのに?
「生まれてはじめて自分で買った切符がマリへの切符だったわ」
マリってどこだ??
「それくらい、ほんとうに美しいところなの」
アフリカだろうか。
「一度行ってみるべき場所よ」
でもどこかわからない。
「夜は気をつけてね。うっかり散歩なんかに出るとジープに潰されてミンチになっちゃうから」
だが気をつける以前にどこの話なのかわからない。
頭のなかで、象の首みたいなアフリカ大陸が伸びたり縮んだりする。陽炎が立っていて、茶色いものがもこもこと地面から生えている。河が流れていて、駱駝とかインパラとかが行ったり来たりしている。
偏見だろうか?
行きたいなあ、アフリカ。
日本に家つくってあげるから連れてってください、て気分にすごくなった。タタミでつくるとか。
タタミの「TATA」。
まあ祖先になって下さいとは頼めないけれど。
