冬はつとめて。平安の女性はそう言ったけれど、夜も悪くないものではなかろうかと思う。
この時期特有の、キンと澄んだ空気。冷たい風が肌を刺す感覚。冬しか見ることの出来ない白い息も、夜はいっそうその存在を主張してくる。
歩きながらふと、天を仰ぎ見た。
色を濃くした夜空に瞬く、砂時計。オリオン座は、俺の好きな星座のひとつだ。
「事故るぞ」
言われて、顎を引く。2メートルほど先で足を止めていた涼が、気味の悪いものを見るような目を、俺に向けていた。
「平気だろ。めったに車なんか通らないし」
「車が通らなくても電信柱は立ってんだ。お前が前方不注意でぶつかったって、責任取れねーからな」
肩を竦めて見せる。俺がそんなへまをするような人間じゃないことは、こいつもわかっているはずなのだ。
その証拠に、我が幼馴染は、俺の目線の先でくつくつと笑っている。
まったく失礼なヤツだ。今に始まったことではないが。
「降らなかったなあ」
そう言って、先ほどの俺を真似するかのように、自らの頭上を仰ぐ。
お前のほうこそ事故るんじゃないか、と言えば、歩いてねーもん、と言ってまた笑った。
「雪か?」
「そー。今日は寒くなるって聞いたから、ちょっと期待してたんだけどなー」
「いくら寒くても、晴れていたら雪は降らないんじゃないか」
「夢ぶち壊すこと言うなよ、譲(ゆずる)」
涼が、少し眉をひそめ、唇を尖らせている。
こいつが変なところでロマンチストなのは、昔からだった。
大学に入学し、一人暮らしを始めた今でも、それはなんら変わっていない。本当に同い年かと疑うときもあるほど、子どもっぽい部分がある。
とはいえ、そういった点も含めて好ましく思っているからこそ、こうやって関係を続けているのだが。
「ホワイトクリスマスなんて、めったにないからありがたいんだろう」
「めったにないから見たかったんじゃねーか」
「運が悪いってことだな」
「そうか、譲の運が悪いから見れなかったんだ。納得」
「なんでそうなる」
涼に追いつき、再び隣を歩き始めた。
ふたりぶんのスニーカーが、アスファルトを擦る。
クリスマスイブから、クリスマスと呼ばれる日にちになって、2時間と少し。
こんな時間に外を歩いている人間など、そうはいない。
ここがイルミネーション輝く繁華街であれば、また違ったのだろう。が、あいにくここは、マンションやアパートの立ち並ぶベッドタウンだ。
コンビニに行くのにすら自転車を使うこのあたりで、夜中の通行人などいるはずもない。
俺たちも、友人の家で飲み会などしていなければ、こんな時間に外を歩いてはいなかったのだ。
それも、街灯と、まばらな窓の明かりくらいしか光源のないような、寂しい住宅街なんか。
「見たかったなー雪」
「来年にとっておけ」
「つったって、来年もひとり身だったら、また譲と一緒じゃねーか。見れねーじゃん」
「引っ張るなよ。なんで俺のせいになるんだ」
涼の後頭部を軽く叩く。
パーカーのポケットに突っ込んでいた手を引き抜き、頭をさすりながら、何するんだよ、と涼が俺を睨んだ。
だが、口元は笑っている。俺も釣られて笑みをこぼした。
「来年もこのメンバーで飲み会かなあ」
「どうだろうな。慎二あたりが彼女作っていそうだ」
「ああ、あるかも。ていうか、栄子、慎二狙ってんだぜ」
「そうなのか?それは知らなかった。慎二には嬉しい話だな」
「え、脈あんの?」
「大有りだろ」
「マジかよ!うっわー面白いことになってきた!」
大学の友人同士が付き合う、ということになれば、嬉しいのは仕方がない。
が、喜び方がまるで野次馬だ。
「でも、クリスマスってキリストの誕生日なのに、日本じゃすっかり恋人のイベントだよなあ」
鼻をすすって、涼が言う。
俺は白く息を吐きながら、点々と続く街灯を見つめ、肯定を示す声を上げた。
昨今では、自宅やベランダにカラフルな電飾を施す家も珍しくないのに、このあたりではそういったものも見当たらない。
そんな視覚の静寂こそが、今、俺が涼とふたりきりであることを、知らしめている。
「日本人って、なんでこんなイベント好きかな。クリスマスやらバレンタインやら、騒げるモンは全部取り入れてるってカンジ」
そのうちイースターまで取り入れてそうだ、と言って、涼は肩を竦める。
「日本人の根本は多神教だからなあ。宗教を交えるということ自体に抵抗が少ないんじゃないか。
日本にはもともと八百万(やおよろず)と言って、自然だけでなく、人や物質まで神とする文化がある。祭りの起源は神事だし、日本人が祭り好きなのは、そういうところにもあるのかもしれないな」
もちろん、これは俺の推測だけど。
そう言うと、涼が、きゅ、と眉根を寄せる。
「だからってクリスマスが恋人のイベントになる理由にはならねーよ」
「まあ・・・最近の日本人が信仰深いとは、とても言えないからな」
単に騒ぎたいだけ、という感も否めなくはない。
それ自体を否定するつもりは毛頭ないが、当のイエスが日本のクリスマスを見れば、呆れ返ってしまうのかもしれないと思う。
いや、博愛の宗教だから、意外と許してくれるだろうか。
「恋人といちゃついて、何が聖夜だ。神聖の聖を、性交の性と勘違いしてんじゃねーの」
「お前なあ。いくら夜中とはいえ、道のど真ん中で言う台詞じゃないぞ。それに、負け惜しみみたいで、みっともない」
「いいんだよ、負け惜しみなんだから」
そう言って涼は、合わせていた歩調を少し速め、俺の前に飛び出した。
白く濁った吐息が、寂しくなった俺の隣をふわりと掠めていく。
それを目の端で追い、俺は涼へと視線を流した。
相変わらず手のひらをポケットに突っ込み、顎を上げて真上に息を飛ばしながら、乾いた笑いを漏らしている。
「好きなヤツに告白も出来てない時点で、負け犬だっての」
振り返ることなく、涼が言う。思わず凝視した背中は、予想以上に小さく見えた。
驚かなかった、と言えば、嘘になる。
涼とは長い、本当に長い付き合いだが、本人の恋愛に関しては、ほとんど話してこなかった。
長い付き合いだからこそ、という理由もある。だが、それだけではない。
意識的にしろ無意識的にしろ、俺たちにとって、この手の話題はタブーなのだ。
根本的な理由など、今更思い起こす必要もない。
涼と俺の間で、これは、至極デリケートな問題であった。避けていたのも当然のことと言える。
思わず、口腔に溜まった唾液を飲み込んだ。
渇いた喉を潤そうという生理的行動だったが、実際は、気休めにもならない。
「しないのか?」
「しないよ」
「どうして」
「見込みねーもん。異性として見られてないっていうか」
「本人に、そう聞いたのか」
「聞けるわけねーだろ。聞けたら告白できてるっての」
それもそうだ。思わず、息を詰める。
だが、その言葉をみすみす流してしまうことなど、俺にはできようもなかった。
コートのポケットの中でこぶしを作る。刺さるような寒さのなか、手のひらがじんわりと汗ばんだ。
柄でもない、と、苦笑が漏れる。
深く、冷たい風を肺に溜め込んで、俺は唇を開いた。
「俺は、結構、待ってたんだけどな」
ばちん、と音が聞こえそうなほどの素早さで、涼が振り返る。
まぶたが、限界まで開ききっている。今にも眼球が落ちてきそうだ。
その顔がどうにもかわいく見えて、頬が緩むのを止められない。
おそらく、涼の目には、微笑んで見えただろう。実際は、単ににやけていただけなのだとしても。
その証拠に、涼が、笑っている。
微笑む、なんて、かわいい表現ではない。顔中にしわを作るような、くしゃりとした笑顔。
「なんだよ・・・気づいてたのか」
「悪い。実は、結構前から」
「うっそ。いつから?」
「お前が、髪を伸ばし始めたときくらいから」
そんなに前からか、なんて、吐息混じりに呟いている。
どうやら拗ねているようだ。もしかしたら、恥ずかしいのかもしれない。
何せ、涼が髪を伸ばし始めたのは、今から二年も前の話だ。
「譲さ」
「何?」
「変わってんな」
「そうか?」
「そうだよ。あたしみたいな男勝りでいいなんて、相当だろ」
思わず、笑みがこぼれた。一瞬の間をおいて、涼の満面の笑顔が、暗闇に明るく浮かび上がる。
男勝りだなんて、関係ない。
俺は、他の誰よりも、涼がかわいいことを知っている。
変なところで、ロマンチストなところとか。恋人のイベントなんて気にしないような振りをしながら、その実、かなり気にしているところとか。
俺の好みがロングヘアーだと知って、背中まで髪を伸ばしたところとか。
長い付き合いぶん、涼のいいところを、誰よりも知っている。
自惚れなどではない。彼女の長所なら、涼自身よりも熟知していると断言できる。
止まっていた足を踏み出し、涼の隣に並んだ。
瞬間、示し合わせたように、涼の歩が進む。
友人という関係だった月日の賜物だろう。口元が、ゆるゆるとほころぶ。
「涼は、いいのか?」
「何が?」
「この先ずっと、ホワイトクリスマスは拝めなくなるぞ」
俺がそう言うと、涼は目をしばたかせた。
そして、唇を震わせながら噴出したかと思うと、声を上げて笑いはじめた。
失礼なヤツだな、と拗ねれば、今更だろと言って、また笑う。
何だか悔しくなって、仕返しとばかりにパーカーのポケットに手を突っ込み、彼女の汗ばんだ手のひらを、強く握った。
「・・・湿ってる」
「俺が緊張しなかったと思うなら、まだまだだな」
涼が笑い声を上げる。そんな涼を、恨むように、軽く睨んだ。
手のひらと同様、湿りきった瞳には、お互いに気づかないふりをした。