「どうして、あのとき何も言えなかったんだろう」


そんな後悔を、ずっと抱えていました。

 

当時の私は、訪問看護の仕事をしていて
あるご家族が、大変な状況にいることに
うすうす気づいていました。

 

お母さんの表情、子どもの沈黙、部屋の空気。


全部が「助けて」と言ってるように感じてたのに――

私は、何も言えなかったんです。

 

言葉を選びすぎて、
関係性を壊すのが怖くて。

 

 

「また来ますね」って、
表面的な言葉しか出てこなかった。

 


 

あの日の沈黙を、


何度も思い出しては、
【もっと何かできたんじゃないか】って
自分を責め続けていました。

 

支援者なのに、支援できなかった。


優しくしたかったのに、何もできなかった。

 

💬 心だけが、置き去りになっていた気がしたんです。

 


 

 

そんな時、あるnoteの記事に出会って
 

わたしの中で、何かが変わりました。

 

そのnoteには、こう書いてあったんです。

 

🧩「優しさは、行動ではなく、設計できる」

あのとき動けなかった優しさも、
あとから“届け直す”ことができる――と。

 

もう、涙が止まりませんでした。

 


 

そのnoteでは、優しさを【4つのタイプ】に分けていて


「声をかけられなかったけど、心は寄り添っていた」


そういう優しさにも、ちゃんと意味があるって書いてあったんです。

 

あのとき私は、
【優しくなかった】んじゃない。
ただ、【動けなかった】だけなんだ。

 

 

そう思えたのは、


たぶん、初めてでした。

 


 

同じように


「助けたかったのに、動けなかった」


という記憶を持っている人がいたら――

 

ぜひ読んでみてほしいnoteがあります。

 

🌿わたしが救われた、大切な記事です👇


📎 [優しさの設計図 – Kindness Design Manual]

 


※わたしのnoteじゃありません。でも、何度も読み返しています。

 


 

📩 追伸:

 

今でも、「何もできなかった自分」が
ふとした時に頭に浮かびます。

 

でも最近は、その記憶に対して
【少しだけ、優しくなれるようになった】んです。

 

「優しさって、形じゃない」


「行動だけが、すべてじゃない」

 

そう思えるようになったから。

 

こうやって文章にすることも、


私なりの“遅れて届く優しさ”なのかもしれません。

 

読んでくれて、ありがとうございました🌱