さて

この地球がどのような設定で存在しているか 現時点では測ることは勿論出来ませんが

しかし 場として大きく移行期になっている事は明らかです。

それはアセンションというようなオカルトな話ではありません。


この項ではそれについて具体的に書いていきます。


この世は結局 当面資本主義を抜け出せません。

死後の世界を真剣に知ろうとしない限り

生きている状態の中でしか物事を測れません。それはつまり

生き物としての価値観がどうしても強くなる事になり

生物としてもたらされる快楽を得る事

その逆の苦痛を避けることが重要になることが避けられなくなるのです。


そうすると結果的には

快楽至上主義を否定出来ず

様々な快楽をもたらすお金という力を否定出来ません。

加えて 自分がなんたるかも分からない上に

自分の上位互換みたいな人がいる事も知ってしまう為

自分の存在の正当性を何かに求めるのですが 

体感できる幸福の大小くらいしかアテがありません。


そして結局それはお金という力に決定的に左右されるので

競争が維持される事となるのです。

つまり資本主義が本質的に

そのまま生き様 アイデンティティとなってしまうのです。


資本主義とは

哲学不在の生き物達が 必然として行き着く一つの形態なのです。


そしてお金は力ですから

持てるものがさらに強く 競争で有利になる性質があります。

つまり より力は集約されます。

格差の拡大は力の性質上必然です。

しかし上述したようにそれに対抗する価値基準もその根拠もこの世では確立されていない為

必然的に資本主義という競争と格差の拡大はこれからも続きます。


様々な形で格差拡大は問題として噴出しますが

皆お金とそれがもたらす優位性をアイデンティティとしているので

資本主義も競争も そしてその結果もたらされる様々な問題も否定出来ません。

資本主義と競争 そしてその優劣がアイデンティティとなっている以上

抑止すら出来ないのです。

簡単に言えば

弱者をアゴで使いたい為には

強者にはアゴで使われなければならない

そのルールを認めているのですね。

楽して良い暮らしを認め求めるのなら

奴隷の存在もまた その為に認めざるを得ないのです。


そして 今のこの世界は

ほぼフロンティアを開拓し尽くしてしまいました。

昔は新天地があり

まだ誰のものでもないものを得る事が出来たのですが

もはや世界中の殆ど全てのものが グローバル化が進んだこの資本主義の枠組みの中に入っています。あらゆるところから強者にお金が流れる(ピンハネされる)仕組みになっています.

つまり これからは富裕層はますます栄えるけれど

非富裕層は枠組みから逃げ出して自分の基盤を作る新天地が無いのです。

世界のあらゆるものが必ず誰かのものとなっているこの世界で

もはや弱者が強者になる可能性は日に日に少なくなっていきます。

まだ人は資産ですから

弱者は所謂最低賃金(生かさず殺さず)の層に集約される事となりますが

これから機械がその仕事をさらに代替するようになれば

必要でない人達 というものも出てくるでしょう。

フェアからは遥かに遠い 明らかな勝ち負けが決まりさらにそれが加速する世界になっても

しかし人々はそれに異を唱えられません。

代わりが無いのです。


つまり

この世界では

貧困層の割合も 格差の程度も

その貧困度合いも

基本的に増加傾向が続きます。


つまり 一部の富裕層以外は

辛くてやってられない社会へと 必然的に近づいているのです。

地獄へと近づいて行くのです。


そして当然ながら限界が来ます。

幸福というものがどう足掻いても手に入らず その希望もない人達が増えて行く結果

豊かさも 幸福も 価値観としての根拠を失って行くでしょう。

生きていても仕方がない という状態の人が増えるのです。既にその傾向はあちこちに見られます。


つまり

生きる価値を世界の方から否定してくる時代がやって来るのです。

何となく生きていても それなりに幸せだから良いや なんて言えない時代が来るのです。


哲学を考えないでも良い時代は残り少なくなっています。

結局のところ 資本主義も生存競争も

持続可能性が無かったというのを

少し時間をかけてですが表しているのです。


あなたから幸福をとったら 何が残る?

というのを世界が聞いてくる時代が来つつあるのですね。


昔は 努力をしたり

人より何かが優れていると それなりに幸せになれました。しかしこれからは

持てるものがあらゆる手段でピンハネしてくるので

下剋上は不可能になっています。


誰かより何かが優れていても

努力をして何かしらの優位性を勝ち取っても

運の前には吹き飛んでしまうような状況になった時


誰かより何かが優れている事が

そのままその分自分の幸福とイコールにならない時代になって

初めてその本質に気づくのです。

自分達が幸せになる為には

自分達の能力さえ磨けば良いと思っていたが

その前に 一緒にいる存在次第なんだと。


泥棒と一緒に生きていると

どんなに自分の能力を磨いても 奪われるだけだと。

地獄を天国に改善する為には 自分達の能力を高めるのではなく

ピンハネ屋と占有屋を如何に排除するかが まず基礎なのだと気付かされる時が来るのです。


つまり 能力・生産性向上至上主義から

赤字要素排除優先主義にシフトする段階に近づいています。

その時 ここで書いてあるような哲学や

共存原則の重要性が明らかになると思いますが

そうなるまでにどれだけの地獄が必要か分かりません。

ただ

少なくとも

世の中があなたに微笑まなくなった時

あなたには結局何が残るのですか?というのを

各自問われる時代が迫っているのは 確かです。