さて

この段階になると

流石に事なかれ主義でも良くないと言うことが分かり

意欲的に 結局何をどうすれば良いかを探るようになります。ただ

他の段階には無い特徴として 過去の苦い経験から


権威を信じない

正義を信じない

力・・資産や権力を信じない

という傾向があります。

むしろ嫌うようにすらなっているのが特徴で

基本的に自分で判断し行動する・・というか

自分以外をあまり信じれなくなっているのがこの段階です。

根本的には

大切なのは心であり 人である。

という見地になりますが しかし

同時に世の中に多数いる問題のある人と

その人達がもたらす酷いあれこれに辟易もしています。

故に

優しさと共に選民思想と そして苛烈とも言える攻撃性 そしてこわがり屋で慎重派で論理やデータといったものを重んずるようになっています。


全て 過去様々なものや価値観や人を信じて酷い目にあったことに起因していますが

同時に楽しい思い出もまた 人によってもたらされているジレンマに苦しんでいる段階です。

本当は他人を全てまとめて切り捨てたいところですが

僅かにいる当たりの人・仲間の素晴らしさも知っているのでそれが出来ません。


とりあえず自己研鑽を手当たり次第やりつつ

しかし

冷めてしまっている自分もいて

人間賛美と厭世感と そして人の社会に失望や虚無感を同時に持っている段階です。自己開示に対するガードが強く

様々な対外用人格を作っていますが

根本の部分を見せる事は非常に稀で 相手を厳選しています。


つまりこの段階は

正体が分かりにくくなっています。

良い人ではあるのですが 壁が実は厚く

本当にこの人は仲間だ!と思える人以外には正体を出しませんし

本音も出しません。常に処世用の顔と言葉を駆使しています。


ここまで来ると

自分の道や価値基準 判断基準が必要になってきます。つまり

ここで初めて 哲学の必要性が出てくるのです。


人間は結局 自分で体感しないとよく分からない存在です。

勿論世の中に星の数ほどある、あらゆる体験を身をもって知る必要は無いわけですが

こうするとどうなるか?

と言う 方針と結果 に関しては

やはり体感しないと分からないというのが現実です。


恋に生きるにしても

お金に生きるにしても

宗教にハマるにしても

名誉を追いかけるにしても


やってみて 体感しないと分からないのです。


なので 知識を書籍などで集めてもこの段階にはいけません。

人やその社会を構成するあらゆる価値観と

それに基づいた方向性が実際どうなのか?を

身をもって知っていないと なかなかこの生存競争社会からの脱却は厳しいものがあります。

簡単に言えば 諦めきれないのです。

仏教で言う執着ですね。


しかも

お金でも成功でも恋愛でも

一回は上手くいって それでどうなのか?を知らないと諦めるのは厳しいという事実があります。


容姿にせよ 資産にせよ名誉にせよ

コンプレックスは 結局その大元となっているものを手に入れるか 手に入れた人を身近で詳しく知るなどして

今まで渇望していたものが

思ってたほどのものではないと知るまで解消は難しいのです。


とは言え教訓を全部自分で喰らうのはキツすぎます。故に

近しい人の生身の体験談や 或いは観察行為によって学ぶようにもなります。


結局 この世に生まれて良さそうなことを全部把握して 知って

初めて この生存競争社会のこの世を離れる事が未練無く出来るようになるのですね。


この段階に到達すると

その未練を解消しようとするのも 特徴として出てきます。この世で知らない事

求め残しているものはないか?これは未練そのもので それを

ちゃんと完全に解消できないと移行は出来ないのです。


人は生まれ変わると子供からやり直しです。

子供は無力なので

周りの環境次第でいかようにも地獄の底に叩き込まれかねない弱者です。だからこそ

子供からこの世でやり直す事はとてもリスキーで

また決して短くない期間様々な理不尽をくらう事でもあります。


今少しでも余裕があるのなら

その余裕を使って この未練を今のうちに

今世で解消出来ないか?と考える必要が出てくるわけです。


この段階まで来ると様々なものに冷めていて 繊細にもなっていますし

何より疲れているので

なんとか今回を最後にしないと

もうやってらんないぞ・・みたいな状況だったりするのです。


今回書いている哲学が

その近道になればとは思っています。